ドロップしない鍵
村に着いたのは、翌日の夕方だった。
十六人の旅人を連れた一行が広場に入っていくと、炊き出しの前にいた村の人たちが、手を止めてこちらを見た。
そのあとの半日は、たいへんな騒ぎになった。
二百年前の旅人が村長に王の名を聞き、四十年前の行商人がダグさんに荷車の修理を頼み、十六人ぶんの寝床を村じゅうで探すことになった。
納屋も、出張所の奥も、空いている場所は全部使った。
広場の真ん中で、ダグさんが立ち止まっていた。
向かい合っているのは、四十年ものの毛皮を抱えたヨナスさんだった。
ダグさんは、今年で五十だ。髭は白いのが半分混じっていて、腕は丸太のように太い。
ヨナスさんは、三十そこそこの顔をしていた。凍る直前のままの顔だ。
二人は、しばらく黙って見合っていた。
先に口を開いたのは、ヨナスさんのほうだった。
「……ダグ坊か」
ダグさんは、返事をしなかった。
返事の代わりに、叔父さんの肩を両手でつかんで、二度、三度と揺すった。
それから、そのまま抱えこんで、太い腕の中に閉じこめてしまった。
ヨナスさんが、何か言っていた。苦しい、と言っていたのかもしれない。
ようやく解放されたヨナスさんは、甥の顔をまじまじと見上げた。
「……お前、いくつになった」
「五十だ」
ヨナスさんは、自分の手のひらを見た。それから、もう一度ダグさんの白髪まじりの髭を見た。
「俺は、三十二だ」
「知ってる」
「……おい。俺より年上じゃねえか」
「知ってる」
ダグさんは、そう言って、叔父さんの背中をもう一度叩いた。
広場の隅では、母さんが鍋の前にしゃがんだまま、前掛けの裾で目もとを押さえていた。
それから何事もなかったような顔で立ちあがって、「ヨナスさん、お代わりは?」と聞いた。
いちばん困っていたのは、ホルストさんだった。
旅人のうち何人かは、冒険者だった。
彼らが差し出した冒険者証は、木札の形も焼き印も、今のものと違っていた。登録番号は三桁で、帳簿のどこを探しても載っていない。
「ランクは」
ホルストさんが聞くと、巻物を差した男が、胸を張って答えた。
「Aだ」
ホルストさんの手が、止まった。
「……二百年前のAですな」
「今と、違うのか」
「基準が、三度ほど変わっております」
ホルストさんは、その木札を明かりにかざして、しばらく眺めていた。
それから、何か言いかけて、やめた。
カウンターの引き出しから新しい依頼票の束を出して、いちばん上の一枚に、まず「再登録」と書きはじめた。
*
その夜、俺は自分の部屋で、攻略チャートを広げていた。
紙ではない。頭の中にある、前世の仕様書の書式そのままのやつだ。
第二章の最初の行に、こう書いてある。
〈北の関所の鍵:霜の番人(Lv.24)を撃破して入手〉
【ヒント:ボスを倒すと、まれに特別な宝箱を落とします】
ヒントの枠が、律儀に開いた。
落とすはずの鍵は、今もユキの腰に下がっている。三百年前から、ずっとそこにある。
俺たちが通るたびに、ユキが自分で扉を開けて、自分で閉める。
あの鍵は、この先も、たぶん永遠にドロップしない。
俺は、その行に線を引いた。
消した行は、これで三本目になる。
一本目が、ゴブリン王ガルド。二本目が、洞窟の主。そして三本目が、霜の番人。
どれも、本編の序盤で勇者が倒すはずだった相手だ。
今は、炊き出しの鍋をかき回し、洞窟で子どもを育て、毛のマントを着て扉の番をしている。
*
三年後に何が起きるか、自分は知っているつもりでいた。
知っているのは、「起きるはずだったこと」だ。
その起きるはずだったことが、一つずつ起きなくなっている。ゴブリン王は生まれず、洞窟の主は凶暴にならず、霜の番人は倒されない。
経験値が入らないのは、まだいい。
困るのは、手持ちの地図が、一枚ずつ薄くなっていくことのほうだった。
三年後、村は焼けないかもしれない。焼けなければ、勇者は覚醒しないかもしれない。
覚醒しないまま、魔王軍の先遣隊がこの村に来たら、そのとき俺は、何を頼りに戦えばいいのだろう。
答えは、仕様書のどこにも書いていない。
俺は、前髪をかき上げた。
村長は、夕方から帳面を抱えて頭を抱えていた。十六人ぶんの冬の食い扶持が、いきなり増えたからだ。
ただ、そちらは何とかなりそうだった。
ヨナスさんの荷車には、四十年ものの新品の毛皮が三十枚積まれている。オスカーに見せれば、冬の備蓄くらいは軽く買える値がつくはずだ。
毛皮を売る先も、それを運ぶ道も、今はある。
台所から、糸車の音が聞こえていた。
母さんが、二枚目のマントを編んでいる。ユキに届けるぶんだ。
ついでに、氷漬けから解けたばかりの十六人のぶんも編むと言っていたので、あの糸車はたぶん、春まで止まらない。
チャートの最後の行に、俺は新しく一行を書き足した。
〈三年後にすべきこと:不明〉
書いてから、しばらく眺めて、消さずにおいた。
俺は、頭の中の紙を閉じた。
地図が薄くなっていくのは、たぶん、悪いことばかりではない。焼けるはずだった村で、今夜も糸車が回っている。
北の山では、今ごろ、ユキが扉を閉めているはずだった。
誰も見ていない回廊で、三百年ぶりの仕事をしている。
◆
【人材開発課 週次報告】
報告者:魔王軍人事局 人材開発課 係長 モルグ
案件:北部山中からの帰還者について
経過:
六十年前に行方不明として処理された偵察課の斥候一名が、北部山中より帰還した。
本人の説明によれば、人間の関所を守る氷の魔物に捕らえられ、氷中に留め置かれていたとのこと。
現状:
当時の上司はすでに退職しており、引き継ぎの資料も残っていない。
本件の担当部署が不明のため、暫定的に当課で引き取った。
報告内容:
「北の古道が開いた。人間の村の荷車が通っている」
補足:
ゴブリン、ザグの群れは、冬に入って食料が尽きかけている。人間の荷車を狙う動きがある。
所見:好機と判断する。
追記:
帰還した斥候が、六十年ぶんの給与の支払いを求めている。
対応を検討中。




