↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第4話 ドロップしない鍵

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/47

解凍

 扉が開いたあと、母さんは回廊の中ほどへ戻ってきた。

 氷の柱の前に立って、手袋をはめた手で、そのうちの一本をぽんと叩く。

「ユキさん。この人たちも、そろそろいいんじゃないかしら」

 ユキは、氷の柱を見た。

「……ご主人様に、お見せせねば」

「ご主人様は、この人たちに会って、なんておっしゃると思う?」

 母さんの聞き方は、責める調子ではなかった。近所の人に、洗濯物を取りこんだほうがいいんじゃない、と言うときの調子だった。

 氷の軋(きし)む音が、何度か鳴った。

 やがてユキは、いちばん手前の柱に手を当てた。

 氷が、音もなく水になった。溶けたのではなく、氷であることをやめたように見えた。水は床に広がる前に霧になって、松明(たいまつ)の熱で消えた。

 柱の中に立っていた行商人が、そのまま前へつんのめった。

 ベックさんが、あわてて抱きとめた。


   *


 十七人が、順番に解かれた。

 誰も、何が起きたのかわかっていなかった。当然だと思う。彼らにとっては、鍵を求めて手を伸ばした瞬間の続きなのだ。

「今、何年だ」

 いちばん古い、巻物(まきもの)を差した男が最初にそう聞いた。

 ホルストさんがここにいたら、もっと正確に答えられたと思う。ベックさんが、冒険者証に刷ってある年号を読みあげた。

 男は、しばらく黙っていた。それから、氷の床に座りこんだ。

「……二百年か」

 別の一人が、震える声で聞いた。

「今は、どなたの治世で」

 誰も答えられなかった。ベックさんもロザさんも、王の名前までは知らない。

 村で暮らしていると、王の名前を口にする機会は、一年に一度もない。

「……あとで、村長に聞いてください」

 俺がそう言うと、その人は、ひどく不安そうな顔をした。

 四十年前の行商人は、もう少し実際的だった。

 自分の荷車に駆け寄って、積み荷の油紙をめくる。中から出てきた毛皮の束は、凍る直前のままの艶をしていた。

「腐ってない。一枚も腐ってない」

 男は、毛皮を抱えたまま笑いだした。

「四十年ものの新品だぞ、これは。ベルダの問屋に持っていったら、いくらになる」

「それでしたら、心当たりがあります」

 口が勝手に動いていた。オスカーの顔が浮かんだからだ。

 あの人なら、たぶん四十年ものの新品に、ちゃんとした値をつける。

 男は、毛皮を抱えたまま、俺をまじまじと見た。

「坊主、どこの子だ」

「ハルテ村の、リオです」

 男の顔から、笑いが消えた。

「ハルテ村」

 男は、自分の荷車の輪留めに手を置いた。

「……俺は、ヨナスだ。ハルテ村の、鍛冶屋の家の次男坊でな。兄貴のところに、ダグって甥っ子がいる。まだ小さい」

 まだ小さい、とその人は言った。

 俺は、返事の言葉を探した。四十年という数を、どう渡せばいいのかがわからなかった。


   *


 十七人のうち、一人だけ、人ではなかった。

 解かれたとたん、そいつは床に転がって、四つん這いで後ずさった。

 背丈は俺の腰くらい。灰色の膜のような翼(つばさ)が背中に畳まれていて、顔の半分が口だった。首から、金属の札を下げている。

 枠が開いた。

【魔王軍偵察課 斥候】

 名前の色は、赤くなかった。白でもない。見たことのない、くすんだ色をしていた。

「おい、待て」

 ベックさんが声をかけたときには、そいつはもう走りだしていた。

 開いたばかりの扉のほうではなく、俺たちが入ってきた入り口のほうへ。

 転びながら、翼をばたつかせながら、松明の光の外へ出ていった。

 ガルドは、追わなかった。

「首の札だ」

 ガルドは、そう言った。

「あの形の札は、わしが若いころに一度見たきりだ。六十年は、凍っておったな」


   *


 ユキは、最後にニールさんの前に立った。

 ニールさんが、毛にくるまれた右手を差し出した。差し出すまでに、少し時間がかかった。

 ユキの太い指が、その毛の上に触れた。

「……すまぬ」

 ユキは、そう言った。

「わしの体が、勝手にやることだ。わしが選んで撃ったのではない」

 白い色が、手首のほうへ引いていった。

 ニールさんは、しばらく自分の手を開いたり閉じたりしていた。

 それから、床の杖(つえ)を拾いあげた。氷に貼りついていたはずのものが、いつのまにか、ただの木に戻っていた。

 ニールさんは、ユキに向かって深く頭を下げた。

 この日、ニールさんがいちばん長くしゃべったのは、そのあとだった。

「……あの。さっきの、冷気が術をさかのぼるやつなんですけど」

「うむ」

「あれ、何年くらい練習したら、できるようになりますか」

 ベックさんが、ニールさんの後頭部を軽くはたいた。

 ユキは、答えなかった。

 ただ、氷の内側の気泡が、松明の光の中を、ゆっくりと上へのぼっていった。


   *


 残った十六人は、村へ連れて帰ることになった。

 どこへ帰ればいいのか、誰にもわからなかったからだ。二百年前の故郷は、たぶんもうない。四十年前の家族にも、簡単には会えない。

 回廊を出る前に、母さんは十六人を一列に並ばせた。

 ガルドが入り口から運んできた雪で手を洗わせ、籠(かご)の中身を、全部あけた。

 六人ぶんの弁当の残りを十六人で分けたので、一人あたり、パンがひと切れと、椀(わん)に半分の汁しかない。

 それでも母さんは、一杯ずつ手渡した。手が震えて椀を持てない人には、両手で包むように持たせた。

 水筒は毛のマントにくるんで背負わされていたので、汁はまだ温かかった。冷たさを逃がさないものは、温かさも逃がさない。

「はい、まず座って。あったかいものを飲んでから」

 籠に残っていた毛のマント三枚と、手袋の残りも、年寄りから順に配られた。

 背負い籠は、空の水筒だけになった。

 巻物を差した男は、椀を受け取る前に、床に膝(ひざ)をついて長い祈りを唱えた。

 母さんは、その祈りが終わるまで、椀を両手で持って待っていた。

 祈りの言葉は、誰も知らない神様のものだった。二百年のあいだに、祈られなくなった神様なのかもしれない。

 二百年ぶりの食事が、椀に半分の、村の炊き出しの残りだった。

 ヨナスさんは、汁を一口飲んで、目を丸くしていた。

「このカブ、うまいな。どこの畑だ」

「トマスさんとこよ」

 母さんが答えると、ヨナスさんは首をかしげた。

「トマスってのは、水車小屋の倅の、あのトマスか」

「ええ。今はおじいさんですけど」

 ヨナスさんは、椀を持ったまま、しばらく黙った。

 ユキは、回廊の奥に立ったままそれを見ていた。

「ユキさんは、村には来られないのよね」

 母さんが聞くと、ユキは短く答えた。

「この扉から、離れられぬ」

「じゃあ、こっちから来ますね」

 母さんは、あっさりそう言った。

「マント、もう一枚編んでるの。今のは一枚じゃ寒いでしょう。届けに来るわ」

 氷の軋む音が、一度だけ鳴った。

 その音が、何を意味していたのかは、俺にはわからなかった。


   *


 その晩は、回廊の入り口の岩陰で火を焚いて明かした。十六人ぶんの毛布はないので、みんなで固まって座っていた。

 村へ戻る道すがら、ベックさんが何度も後ろを振り返っていた。

「三百年だぞ」

 誰にともなく、そう言っていた。

「三百年開かなかった扉が、マント一枚で開いたのか」

「二枚目を編んでるそうですよ」

「……勘弁してくれ」

 雪の上には、来たときより多くの足跡が残っていた。

 俺たちのものではない。指の数が違う、小さな足跡だ。

 街道のほうへ、まっすぐに続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。