迷子?
冒険者ギルド・ハルテ出張所は、村の雑貨屋の奥にある。
出張所といっても、カウンターがひとつと掲示板がひとつあるだけだ。ゲームには登場しない。
本編が始まるころには、雑貨屋ごと灰になっているからだ。
カウンターの向こうで、くたびれた中年の男が帳簿をつけていた。
顔を上げて、まず俺を見て、次に俺の背中の籠を見て、最後に、俺の隣で目尻に笑いじわを寄せている母さんを見た。
「……登録?」
「はい」
「名前と年齢」
「リオ。十五です」
「十五……ああ、今日が誕生日か。おめでとう」
棒読みだった。男の目が、また俺の隣に移る。
「で、そちらは付き添い?」
「母です。いつも息子がお世話になっております」
「今日が初日だから、まだ何もお世話してないけどね」
男はため息をひとつついて、木札に焼き印を押した。Fランクの冒険者証。
受け取った瞬間、朝から視界の隅でちらついていた半透明の枠が、はっきりと開いた。
【冒険者登録が完了しました】
【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30】
ゲームの勇者は、王都の大ギルドで、ファンファーレと一緒に冒険者登録をする。
ステンドグラスから光が差し込む、そこそこ予算をかけたイベントシーンだ。
現実の勇者は、雑貨屋の奥で、棒読みの「おめでとう」と一緒に登録された。
母さんも受付の男も、目の前に浮かぶ文字にまったく反応しない。見えているのは俺だけらしい。
前世の記憶と一緒に開いた、開発者用のデバッグ画面のようなものなのだろう。
試しに、隣の母さんに視線を向けてみる。
【マルタ 村人 Lv.1 スキル:なし】
平凡そのものだった。当たり前だ。名前すらなかった人なのだから。
「初日なら、森の浅いとこでスライムでも突いてなさい」受付の男が掲示板を指さした。「薬草採取の依頼もあるけど」
「薬草なら、お母さんが摘むわよ」
「登録してない人には報酬出ないよ」
「いいのよ。お茶にするだけだから」
男は何か言いかけて、やめた。賢明な判断だと思う。
掲示板には、依頼の紙が三枚だけ貼ってあった。薬草採取。迷い山羊の捜索。それから、討伐依頼が一枚。
〈南の森 痩せたゴブリン一体の目撃情報あり 討伐報酬 銅貨二十枚〉
痩せたゴブリン一体。群れからはぐれた個体だろう。Lv.3か4。スライムで二、三レベル上げてからなら、十分に狩れる。
チャートの三日目に組み込めるな、と思った。
*
森の入り口で、母さんとは別れた。
母さんは自分用の小さな摘み籠と水筒だけを持って、「お昼には戻ってくるのよ」と手を振った。
巨大な弁当籠は、俺の背中に残った。
勇者の初陣が、弁当を背負ってのスライム狩りになるとは思わなかった。
森の中の道は、ほとんど記憶どおりだった。
三本杉の分かれ道。苔に埋もれた石の祠。道の脇の、赤い実をつける低木。どれも俺がマップに置いたものだ。
赤い実は、食べると少しだけHPが回復する。チュートリアルで「採取」のボタンを教えるために置いた。
歩きながら、自分の足が道を覚えていることに気づいた。
十五年この村で育ったリオの足と、この森を方眼紙の上で組んだ圭介の頭が、同じ道をなぞっている。妙な感覚だった。
ただ、途中で一か所だけ、小川を渡った。
マップに小川を置いた覚えはない。水の流れる音も、足首を濡らす冷たさも、仕様書のどこにも書いていない。
少しだけ、足が止まった。それから、まあ誤差だろう、と思い直して先へ進んだ。
目指すのは、森を少し入ったところにある、苔むした倒木の窪地だ。
チュートリアルの一戦目のために、俺が配置した湧き地点。
倒木の段差でスライムの動きが鈍るよう、地形まで組んである。
いた。
窪地の底で、半透明の塊がぷるぷると揺れている。
【スライム Lv.1】
核は中心よりやや下。そこを一突きすれば終わる。経験値は五。六匹でレベル二。初週でレベル五。チャートどおりだ。
ダグさんにもらった短剣を抜いた。
前世では、一度も生き物を殺したことがない。リオとしても、せいぜい鶏をしめるのを手伝ったくらいだ。
数字の上では何百万匹と倒させてきたスライムを、今、自分の手で刺す。
畑仕事のまめが残る手のひらが、柄の上で少しだけ汗ばんだ。
倒木の陰から踏み込もうとした、そのとき。
「あら」
聞き慣れた声が、真横の茂みからした。
母さんが、しゃがんで薬草を摘んでいた。
そうだった。薬草の採取ポイントを、スライムの湧き地点のすぐ隣に置いたのは俺だ。
戦闘と採取を一度に覚えられるように。無駄のない、いい導線だと当時は思った。
「迷子?」
母さんは緑の目を細めて、スライムに向かってそう言った。
スライムはぷるんと一度震えると、母さんの足もとへころころと転がっていき、前掛けの裾にぴたりと貼りついた。
【スライムの敵対状態が解除されました】
「ひんやりして気持ちいいわねえ」
母さんの裾に貼りついたスライムを刺すには、母さんの脚ごといくしかない。俺は短剣を下ろした。
一匹目は、あきらめる。湧き地点はここだけじゃない。次に行けばいい。
そう考えて振り返りかけたとき、奥の藪が、がさりと鳴った。
出てきたのは、ゴブリンだった。正確には、ゴブリンが藪から倒れ込んできた。
緑がかった灰色の肌。枯れ枝みたいな腕。片耳が欠けていて、脇腹に汚れた布を巻いている。
ゴブリンの年齢はよくわからないが、それでもわかるくらいの年寄りだった。
掲示板の、痩せたゴブリン一体。
視界に枠が開く。
【ガルド ゴブリン Lv.8】
一拍、心臓が止まった気がした。
ガルド。その名前を、俺は知っている。




