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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第4話 ドロップしない鍵

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三百年

 母さんは、氷の床に腰をおろした。

 俺たちも、なし崩しに座った。

 松明(たいまつ)を壁の窪(くぼ)みに立てて、その周りに輪になって座ると、氷の回廊が急に、焚き火のそばのような場所に見えてきた。

 番人だけが、立ったままだった。座るための関節が、たぶんない。

「わしは、この関所の番をしておった」

 番人は、そう語りはじめた。

 三百年前、この回廊は北の交易路だったという。夏でも涼しく、雪の季節でも通れる道で、関所には番人頭と、その下に何人かの番人がいた。

「ご主人様は、律儀な方であった」

 番人が「ご主人様」と言うとき、声の調子が少しだけ変わった。ご主人様というのが、その番人頭のことらしい。

「ある年の秋に、山を下りられた。王都へ届け物があると。三日で戻ると言い残された」

 関所には、番人が六人いたという。人が四人と、氷の者が二人。目の前のこれと同じものが、もう一体いたということらしかった。

 夏には商隊が日に三つも四つも通り、冬でも荷は絶えなかった。番人たちは通行証を検め、荷を数え、宿の世話までしていたらしい。

「にぎやかであった」

 番人は、そう言った。にぎやか、という言葉を使うのに、少し間があった。

 出ていく前に、番人頭は関所の扉に鍵をかけ、その鍵を、目の前のこの番人に預けた。

 そして、一つだけ命令を残した。

「鍵は、誰にも渡すな。わしが戻るまで」

 それから、番人頭はもう一つだけ言葉を残したという。

「寒くはないか、と」

 番人の声の調子が、また少し変わった。

「三百年で、一度だけだ。わしに、そう聞かれた方は」

 母さんは、うなずきながら聞いていた。

 肩にかかったマントの端が、氷の表面で少しだけ動いた。

 番人は、その言葉を繰り返した。三百年、毎日繰り返してきたような言い方だった。

「それきり、ご主人様はお戻りにならぬ」

 最初の冬、ほかの番人たちは山を下りた。春になっても、誰も戻らなかった。

 三年目に、商隊が来なくなった。十年目に、道が草に埋もれた。

 百年目あたりで、鍵を求める者が来るようになった。

 番人は、その一人一人を止めた。止めて、待たせた。


   *


 誰も、何も言えなかった。

 ベックさんは、口を開けたまま、何も言わなかった。ロザさんは、弓を膝(ひざ)に置いたまま、氷の柱のほうを見ていた。

 ニールさんは、毛にくるまれた右手を、ずっと胸に抱えていた。

 三日で戻ると言った人は、三百年、戻っていない。

 理由は、いくつでも考えられる。道中で死んだのかもしれないし、王都で職を得たのかもしれない。戦があった時代かもしれない。

 どれであっても、その人はもう、この世にいない。

 番人には、それがわかっていないらしかった。

「あの、氷の中の人たちは」

 母さんが聞いた。

「鍵を、持ち出そうとされた」

 番人は、氷の柱のほうへ顔を向けた。

「殺してはおらぬ。ご主人様がお戻りになったとき、お見せせねばならぬ。鍵を欲しがった者たちを、こうして待たせておる」

 待たせておる。

 氷の中の十七人は、番人にとっては罪人でも獲物でもなく、主人に見せるまで待ってもらっている人たち、ということらしかった。

 三百年、律儀に。

「……なあ、坊主」

 ベックさんが、俺の耳もとで小さく言った。

「あれ、倒せるのか」


   *


 倒せる。

 松明は二本ある。油の壺も、荷にふたつ入っている。ベックさんとロザさんとガルドがいて、ニールさんの手は使えない。

 足もとの氷を溶かして体勢を崩させ、油を投げて火を移す。二度繰り返せば終わる。攻略法を作ったのは自分なので、手順に迷いはない。

 魔術師抜きでも、数は足りる。もともと、魔術師が要らないように組んだ手順だ。

 倒せば、鍵が落ちる。扉が開いて、荷車が通る。村の手袋とランプと咳止めが、冬のあいだに王都へ届く。

 経験値は、二万八千。

 Lv.1が、一度にレベル十五を超える。

 正しい手順に、すべてが戻る。

 ベックさんが、俺の顔を見ていた。

 やるのか、と目が聞いている。松明を持った手に、もう力が入っている。

 ロザさんは矢の向きを変えないまま、いつでも引けるようにしていた。

 ガルドだけが、斧(おの)を持たずに立っていた。

 俺は、懐の火打ち石に手をかけた。

「坊主」

 ベックさんが、ほとんど声を出さずに言った。

「合図をくれ。あんたが言うなら、俺とロザで足もとをやる。ガルドの旦那に、母ちゃんとニールを連れて下がってもらう。……たぶん、いける」

 いける、と俺も思った。

 手順は頭にあるし、火種は懐にある。あとは、うなずくだけだった。

 火打ち石に手をかけたまま、番人を見た。

 番人は、母さんの話を聞くために顔を傾けていた。マントをかけられた肩を、少し前に出すようにして。

 三百年のあいだに、その姿勢で固まってしまったのだろう。

 誰かの返事を待っている者の立ち方だった。

 ……あの人も、こういう立ち方をしていたのだろうか。

 台所のテーブルで、あるいは電話の前で。返事の来ない画面を、何度か開いては閉じて。

 返事を待っている人を、俺は一度、置き去りにしている。

 火打ち石から、手を離した。

「どうした、坊主」

「……今日は、やめときます」

 ベックさんは、しばらく俺の顔を見ていた。

「……坊主」

 声が、低くなっていた。

「ニールの手は、まだ凍ったままだ」

 ベックさんは、松明を持ち替えた。

「うちは、秋から一度も仕事にありついてねえ。弟の薬代も、まだ残ってる。この扉の向こうが道になるなら、そこを通る荷車に、俺たちの飯があるんだ」

 言い返す材料は、一つもなかった。

 全部、正しかった。

 討伐依頼が消えたのも、素材が値崩れしたのも、この人たちが冬を越せないのも、元をたどれば、うちの台所から始まっている。

「……わかってます」

 それだけ言うので、精一杯だった。

「わかってて、今日は、やめときます」

 ベックさんは、鼻から長く息を吐いた。

 それから、松明を肩に担ぎ直した。

「あんた、そういうところは、母ちゃんそっくりだな」

 褒められた気は、しなかった。

「リオ。そんなところにいたら寒いでしょう」

 母さんの声が飛んできた。

「こっちに座りなさい。番人さんのお話、まだ途中よ」

 番人さん、と母さんは呼んでいた。

 さっき手を凍らせた相手を、井戸端で会った人と同じ呼び方にしている。

 ベックさんは、それ以上は聞かなかった。松明の火が、氷の壁に長く伸びて揺れていた。

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