氷漬けの旅人たち
松明に火を入れて、回廊に入った。
通路の壁は、人の手で削られたものだった。天井は高く、足もとは平らで、荷車が二台並んで通れるだけの幅がある。
三百年前まで、ここを商人の隊列が行き来していたのだろう。
ゲームでは、この回廊は三つの部屋に分かれていた。入り口の広間、中間の休憩所、それから奥のボス部屋。区切りを決めたのは、俺だ。
実際に歩いてみると、まっすぐな一本道だった。仕切りらしいものは、どこにもない。
マップに置いた覚えのない小川を渡ったときと同じで、この世界は、こちらの都合のいい形をしていない。
十歩進むごとに、息が白くなる間隔が短くなった。
壁に、氷が張りはじめる。最初は霜のような薄さだったものが、奥へ進むにつれて厚くなり、やがて壁そのものが氷になった。
松明の光が、氷の中で何重にも散った。
ガルドが、鼻をひくつかせた。
「……人間の匂いがする。ずいぶん古い匂いだ」
その散った光の向こうに、柱のようなものが並んでいるのが見えた。
氷の柱だ、と最初は思った。
近づいて、そうではないと気づいた。
*
人が、入っていた。
氷の中に、立ったままの姿で。
列のいちばん手前の氷には、荷車ごと、行商人が入っていた。厚い外套を着て、片手をまっすぐ前に伸ばした格好で止まっている。
何かをつかもうとした手だった。
顔は驚いた形のまま、眉のあたりに霜が乗っていた。荷車の車輪の形が、今ベルダで見かけるものと少し違う。
その隣は、女の人だった。荷を背負って、まっすぐ前を見ている。
その次の一本だけ、中身の形がうまく取れなかった。人にしては小さくて、松明の光の当たる角度も悪い。
さらに奥には、二人組の冒険者らしい姿があった。剣を抜きかけたところで固まっている。
「……何人いる」
ベックさんの声が、低くなった。
数えた。十七。
服装は、手前から奥へ行くほど古くなっていた。
いちばん奥の氷の中の男は、膝まである長い上着を着て、腰に巻いた帯に巻物を差していた。あの格好は、たぶん二百年は昔のものだ。
「死んでるのか」
ニールさんが、杖を握りしめたまま聞いた。
返事をしたのは、母さんだった。
母さんは、いちばん手前の氷に近づいて、手袋をはめた手を、そっと氷の表面に当てていた。
「あらあら。この人たち、風邪をひくわよ」
風邪の心配をする段階ではないと思う。
ただ、そう言われてみれば、氷の中の顔には、どれも死んだ人の色がなかった。血の気がある。眠っている人の顔だった。
枠も、出ていた。
【氷漬けの旅人】
死んだものには、枠が出ない。倒した魔物の名前は、枠ごと消える。そういう仕組みにした覚えがあった。
「生きてます」
俺が言うと、ベックさんが眉を上げた。
「見りゃわかるのか」
「……たぶん。凍ってるだけで、死んではいない」
ゲームでは、この人たちは背景だった。名前も、枠も、つけていない。
あの回廊の氷像は、美術班が作ってくれた。何体並べますかと聞かれて、俺は「適当でいい」と答えた記憶がある。
上がってきた絵には、十七体が並んでいた。
今、氷の中で枠が光っているのも、十七。
数えるまで、同じ数だとは思っていなかった。
*
「なあ」
ロザさんが、小声で言った。
「この人たち、氷から出したら、どうなるんだろう」
「二百年だぞ」
ベックさんは、松明を持ち直した。
「帰る家も、待ってる奴も、とっくにいねえ」
その会話は、そこで止まった。
奥のほうで、音がした。
氷が軋む音だ。それが、こちらへ近づいてくる。
ベックさんが、松明を前に突き出した。ロザさんが弓に矢をつがえ、ニールさんが杖を構える。
ガルドが斧を持ち直し、母さんを背中にかばうように一歩前へ出た。
通路の奥の闇から、それは出てきた。
背丈は、ベックさんの倍近い。
体は、全部が氷だった。ただし、澄んだ氷ではない。
内側に細かい気泡と、古い布の繊維のようなものが閉じこめられていて、白く濁っている。
肩から、ぼろぼろの外套が下がっていた。もとは厚い毛織りだったらしいが、三百年ぶんの霜を吸って、板のように固まっている。
そして、腰。
革のベルトに、鉄の鍵が一本、下がっていた。人の手のひらほどある、大きな鍵だった。
視界に、枠が開いた。
【霜の番人 Lv.24】
名前は、赤い。
【ヒント:氷の魔物には、炎が有効です】
わかってる。
ただ、あの外套のことは、資料のどこにも書かなかった。
*
攻略法も、覚えていた。
霜の番人は、動きが遅い。近づいて殴り合う必要はなくて、松明を二本、足もとの氷に押しつければいい。
氷が溶けて足場が崩れると、番人は体勢を崩して膝をつく。そこへ油の壺を投げて、火を移す。二度繰り返せば倒せる。
推奨レベルは二十。Lv.24の相手に、二十でも勝てるように、攻略法のほうを甘く作った。
推奨レベル二十という数字を決めるとき、後輩と一度もめた。二十では甘い、二十二にすべきだと言われて、俺は二十で押し切った。
プレイヤーに「ぎりぎり勝てた」と思わせたかったからだ。
撃破経験値は、二万八千。
二万八千。
頭の中で、数字が勝手に並びはじめた。Lv.1からの必要経験値を積み上げていくと、一気にレベル十五を超える。
今まで足踏みしていたぶんが、ここで全部片づく。
松明は、ベックさんとロザさんが持っている。油も、荷にある。
条件は、そろっていた。
俺がその計算をしているあいだに、母さんは、氷の柱のほうへ歩いていっていた。




