霜の回廊
地図の上では、北の山腹に細い線が引かれていた。
線の途中に、小さな四角が描いてある。四角の横には、消えかけた字で「関所」とあった。
「霜の回廊、と呼ばれてた道だ」
ホルストさんは、指で線をなぞった。
「山の腹を横に抜けて、雪の少ない斜面を通って、峠の向こう側で王都街道に合流する。峠を越えずに済む」
「そんな道があるなら、みんな使うでしょう」
「三百年前に閉じてる」
ホルストさんは、四角の印を指で叩いた。
「関所の扉に、鍵がかかった。それきりだ。開けに行った連中は、誰も帰ってこなかった」
ランプの明かりの下で、村長が唾を飲みこんだ。
「中に、鍵を持った何かがいる。そういう言い伝えだな。俺が若いころにも、腕自慢が何人か挑んだ。帰ってきた奴は、一人もいない」
ダグさんが、鼻から息を吐いた。
「うちの叔父貴も、その口だ」
みんなが、ダグさんのほうを向いた。
「四十年前だ。毛皮を扱ってた人でな。北の道さえ開けば、王都まで一本で運べると言って、荷車ごと出ていった。……それきりだ」
ダグさんは、太い腕を組んで、地図の四角い印を見ていた。
「俺がまだ、十かそこらのころの話だがな」
*
俺は、その道を知っていた。
霜の回廊。ゲームの第二章、最初のダンジョンだ。
本編では、勇者は王都へ向かおうとして雪山に阻まれる。街道の峠は雪で閉ざされていて、越えられない。
そこで、地元の老人から古い道の話を聞く。
回廊の奥には、氷の魔物がいる。
【霜の番人 Lv.24】
プレイヤーが倒すと、【北の関所の鍵】を落とす。その鍵で関所の扉を開けると、雪山を迂回して王都へ入れる。
鍵がなければ、勇者は王都にたどり着けない。第二章は、そこで止まる。
設定欄は、一行だった。
〈旅人を氷漬けにする氷の魔物〉
書いたのは、俺だ。
理由は書かなかった。
雪山の手前で一度足を止めさせたかった、という都合があっただけで、その魔物が何を考えているかまでは、誰も必要としていなかった。
氷漬けになった旅人たちも、背景の飾りとして絵にしてもらった。あの回廊に立ち並ぶ氷像は、美術班の仕事としてはよくできていたと思う。
設定欄は、ない。飾りに設定欄は要らない。
*
「鍵は、たぶん本当にあります」
俺がそう言うと、大人たちが一斉にこちらを向いた。
「回廊の奥に、それを持ってるやつがいる。扉を開けられれば、峠を通らずに王都へ行けます」
「リオ。お前、なんでそんなことを」
ダグさんの問いに、俺は地図の線を指で示してごまかした。
こういうとき、前世の記憶は説明しづらい。母さんは俺の横で、にこにこと地図をのぞきこんでいるだけだった。
話は、その晩のうちにまとまった。
様子を見に行く。荷車が通れるかどうかだけ確かめて、無理なら引き返す。
行くのは、俺と、ガルドと、ベックさんたち三人組。
それから、当然のように母さん。
「お弁当がないと、みんな困るでしょう」
誰も反論しなかった。この村では、その一言で話が決まる。
*
翌朝、まだ暗いうちに村を出た。
背負い籠には、村の毛のマントが四枚と、手袋が六組。弁当と、薬草と、水筒。
詰めたのは母さんで、背負うのは、今回も俺だ。
ここ数日で編み上がった、いちばん新しいマントも入っていた。
「向こうは寒いでしょうから」
誰にあげるつもりなのかは、聞かなかった。
出る前の晩、ガルドは納屋で斧を研いでいた。
チットが自分も行くと言い張って、ガルドに短く叱られていた。留守のあいだ、炊き出しの鍋はチットの担当になる。
刻み目を数える木の板も、その晩のうちに引き継がれた。
チットが、納屋の前まで見送りに出てきた。ガルドが何か短く言うと、チットは何度もうなずいて、手袋をはめた手を振っていた。
雪は、思ったより歩きにくかった。
膝まで沈む場所もあれば、風で吹き払われて凍っている場所もある。ベックさんが先頭で雪を踏み固め、そのあとを俺たちが歩いた。
俺たちが登っているのは、尾根を越える近道だ。
荷車を通すなら、川沿いに大きく回りこむ道になる。遠いが、風の当たらないぶん雪は浅いと、ホルストさんの地図の端に書いてあった。
昼前に、ガルドが足を止めた。
雪の上に、足跡があった。
人の足跡ではない。俺より小さくて、指の数が違う。
「ゴブリンだ」
ガルドは、しゃがんで雪の縁を指でなぞった。
「新しい。昨日の夜か、今朝だ」
「一匹か?」
ベックさんが聞くと、ガルドは首を横に振った。
「……十七、八はいる」
足跡は、街道のほうへ続いていた。俺たちが来た方角ではなく、荷車が通る道のほうだ。
ガルドは、しばらくその足跡を見おろしていた。
「ガルド」
俺が呼ぶと、ガルドは雪の縁をもう一度だけ指でなぞった。
「……右だ」
「え?」
ガルドは、先頭の足跡を順番に指した。左、右、左、右。
言われてみると、右の足跡だけが、わずかに浅い。踏みこむ力が、片方だけ足りていない。
「若いころに、罠にかかった。右の足の指が、二本ない」
ガルドは、その足跡の縁を親指でならした。
「罠を開けてやったのは、わしだ」
ガルドは、そこで言葉を切った。
「ザグだ」
ベックさんが、荷を背負い直しながら口笛を吹いた。
「その群れとやらは、荷車を襲うのか」
「冬だ」
ガルドは短く答えた。
「森に食い物がない。荷車には、ある」
それきり、ガルドは何も言わずに立ちあがって、また歩きはじめた。
*
霜の回廊の入り口に着いたのは、日が傾きはじめたころだった。
山肌に、四角く口を開けた石の門があった。門柱には彫刻の跡が残っているが、半分は崩れている。
門の奥は、まっすぐな通路になっていた。
中から、風が吹き出してくる。
外も十分に寒いのに、その風は、明らかに種類が違った。




