雪と、止まった荷車
冬になってから、井戸の水は毎朝凍るようになった。
いちばん先に起きるのはガルドで、次がチット、そのあとが母さんだ。
ガルドが斧の背で氷を割り、チットが桶で水を汲み、母さんがかまどに火を入れる。
俺が起きるころには、台所はもう温まっている。
母さんはかまどの前にしゃがんで、太い三つ編みを肩の前に回していた。火の粉が跳ねると、あれがいちばん先に焦げるらしい。
水瓶の横では、プルンが半分ほど固まっていた。冬になると動きが鈍くなるらしく、最近は日中もほとんど揺れない。
母さんはその水瓶を、かまどの近くまで動かしていた。
「寒いと、かわいそうでしょう」
スライムに寒いという感覚があるのかどうかは、資料にも書いていない。書いていないことのほうが、この村では毎日起きる。
*
広場では、ピムとチットが雪を投げ合っていた。
人間の子どもとゴブリンの子どもが、雪玉の作り方で言い争っている。固く握るか、ふんわり握るか。
決着はつかず、途中から納屋のオオカミが一頭混ざって、二人まとめて雪の中に沈めていた。
広場の炊き出しには、雪よけの布が張られた。
列は、秋のころよりずっと短い。歩きキノコは、雪が積もる前から傘を閉じて土に潜ってしまった。
潜った先は、井戸のそばだった。丸い雪のふくらみが四つ並んでいて、春まであのままらしい。
大ネズミたちは巣穴にこもり、光るムカデは岩の隙間で動かなくなった。
残っているのは、森オオカミの群れと、寒さに強いものたちだけだ。
オオカミたちは夜になるとうちの納屋に泊まりこむようになって、ガルドが「狭い」と文句を言いながら干し草を分けている。
ゲームでは、冬の森は魔物の湧きが半分になる。
寒い季節に狩り場へ出るプレイヤーが減るぶん、湧きも減らしておけば、サーバーの負荷が下がる。そういう理屈で決めた設定だった。
その半分が、今は全部、雪の下で眠っている。
村の周りで動いている魔物は、うちの納屋のオオカミくらいのものだった。
一度だけ、雪をかき分けて歩きキノコを掘り出そうとしたことがある。
冬眠中でも、倒せば経験値は入る。三十と少しで、レベルは二になる。
シャベルを持って井戸のそばの雪山を崩していたら、洗濯物を干しに出てきた母さんに見つかった。
「リオ。寝てる子を起こさないの」
寝てる子。
視界の枠には【歩きキノコ Lv.3】と出ていた。
俺はシャベルを納屋に戻した。
【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30 防御力 48】
数字は、秋からひとつも動いていない。
*
夜になると、うちの台所は編み物の会の会場になる。
糸車が三台、棒針が七組。最近は、チットまで棒針を持たされていた。
ゴブリンの指は関節が太くて、目を落としてばかりいる。それでも、母さんに褒められると耳の先を赤くしていた。
編んだそばから、手袋は納屋に積まれていく。
出張所の掲示板は、冬になってから貼り紙の種類が変わった。
〈雪おろし:屋根に雪が積もりすぎた 依頼主:大ネズミ(三匹連名)〉
〈掘り出し:巣穴の入り口が埋まった 依頼主:光るムカデ〉
討伐依頼は、相変わらず一枚もない。手伝いの札の下だけが、雪と一緒に増えていく。
ある日の昼前、広場に荷車が戻ってきた。
予定では、三日前に王都へ着いているはずの荷車だった。
秋のあいだ、荷車はベルダのグリム商会までだった。
王都の工房通りから直に注文が来るようになってからは、ベルダを素通りして、グリム商会が王都に借りた蔵まで運んでいる。
「だめだ。峠が埋まってる」
荷車を引いてきたベックさんは、眉に霜をつけたまま言った。ロザさんとニールさんも、毛布にくるまって荷台に座りこんでいる。
「腰まで雪だ。馬も通れん。掘るったって、あの量は人の手じゃ無理だな」
「春まで、開かないのかい」
村長の声が、少しかすれていた。
「毎年そうだろ。王都街道の峠は、雪が解けるまで閉じる。今年は早かったってだけだ」
荷台には、六日前に村の納屋から積みこんだ荷が、一つも減らずに載っていた。
手袋が百二十組。ランプが六十個。咳止めが百瓶。
冬のあいだに売るために、村じゅうで編んで、貼って、煮出したものだった。
*
夕方、出張所にオスカーからの手紙が届いた。
届けてくれたのは、ベルダまでの道を知っている行商人で、そちらの道はまだ通れるらしい。
ホルストさんが、封蝋を割って読みあげた。
「『手袋、追加で二百組。ランプ、百個。王都の工房通りからの注文です。年明けまでに入れていただければ、こちらで売り切ります』」
いい知らせのはずだった。
「『ただし、年が明けてからでは、冬物は動きません。この冬を逃すと、こちらもそちらも、在庫を抱えることになります』」
ホルストさんは、手紙をカウンターに置いた。
村長が、雪の張りついた長靴のまま、その紙を見おろしていた。
「……ベルダ経由で、王都へ回すのは」
「ベルダから王都へ行くには、結局あの峠を越えるんだ」
村長は、何か言いかけて、やめた。
言いたいことは、この場の全員にわかっていたと思う。秋のあいだに、村はすっかりこの商売を当てにするようになっていた。
冬の仕事として、女の人たちは毎晩編んでいる。トマスじいさんの奥さんも、ピムの母親も。
その冬物が、冬のあいだに運べない。
*
しばらく誰も口をきかなかった。
その沈黙を破ったのは、ホルストさんだった。
カウンターの下から、油紙に包まれた古い紙の束を引っぱり出してくる。
十年分の帳簿と一緒にしまってあったものらしく、紙の縁が茶色くなっていた。
「これは、俺がここに来た年に、前の受付から引き継いだ地図だ」
広げると、この辺りの山と谷が、色あせた線で描かれていた。
ホルストさんの指が、村から北へ動いた。王都街道とは反対の方角だった。
「北に、もう一本、道がある」




