冬支度
それから、ひと月が過ぎた。
村の倉庫には、冬の備蓄が戻っていた。麦も、豆も、カブも、春まで持つだけの量がある。炊き出しの鍋は、今日も広場で湯気を立てている。
井戸の前の「お礼」の山は、毎朝、村の女の人たちが分けて運んでいく。
森オオカミの抜け毛は、うちの台所へ。光るムカデの抜け殻は、村長の家の土間へ。歩きキノコの胞子は、母さんの薬草棚へ。
うちの台所は、毎晩、編み物の会の会場になっていた。
糸車が三台に増えた。棒針を持つ手も増えた。最近は、トマスじいさんの奥さんまで来ている。
じいさんは、奥さんを迎えに来たついでに、台所の隅で黙ってカブの皮をむいていく。
週に一度、ベックさんたちの護衛つきの荷車が、ベルダへ向かう。帰りの荷台には、麦の袋と、グリム商会の受取証が載っている。
洞窟の主も、ときどき子どもたちを連れてやってくる。
子どもたちは、ひと月でまたひと回り大きくなって、それぞれ小さな脱皮殻を背負ってくるようになった。
ダイコンは、来るたびに、母さんの弁当籠の中にもぐりこもうとする。もう、入りきらない。
受取証の余白には、毎回、オスカーの字で一行、何か書いてあった。
〈ランプ、王都の工房通りで評判。追加三十個〉
〈手袋、娘がまだ外したがらない〉
*
出張所の掲示板は、にぎやかになっていた。
手伝いの札の下に、依頼票が十二枚。荷運び、護衛、糸紡ぎ、巣穴の修繕、道案内。
依頼主の欄には、村の人の名前と、魔物の名前が、半分ずつ並んでいる。
その日の昼、王都から、ホルストさん宛ての手紙が届いた。封蝋は、ギルド本部監査室のものだった。
「イレーネさんからだ」
ホルストさんは、手紙を読みあげた。
「『ハルテ出張所の今月の新規依頼、十二件。達成率、百パーセント。試行期間の中間評価として、良好と判断します。なお、改定した依頼票の書式を同封します』」
封筒の中には、新しい依頼票の束が入っていた。
依頼主の欄の下に、新しい欄が一つ増えていた。
〈依頼主の種族〉
そして、その横に、もうひとつ。小さな字で。
〈手洗い済み □(任意)〉
ホルストさんは、その欄をしばらく眺めていた。それから、新しい依頼票の束を、そっとカウンターの引き出しにしまった。
村長が、帳面を抱えて出張所に入ってきた。
「ホルスト。今月の備蓄の数字だ」
村長は、帳面を開いてカウンターに置いた。麦、豆、カブ。どの行も、先月より数字が増えていた。
「春まで持つ。炊き出しを続けても、だ」
村長は、そう言って、ここしばらく見なかった顔で笑った。何かを言いかけて、やめる必要のない顔だった。
夜になると、村はすっかり冷えこむようになった。
森オオカミの何頭かは、寒さをしのぐために、うちの納屋に泊まりこむようになった。
ガルドは「狭い」と文句を言いながら、干し草を分けてやっていた。
*
俺は、広場の端に腰をおろして、ステータスを開いた。
【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30 防御力 48】
レベルは、上がらない。経験値は、ゼロのまま。防御力だけが、中盤の数字になっている。
本編開始まで、あと二年と十か月。
計画表の上では、今ごろレベル十を超えているはずだった。
*
その晩、夕食のあとで、母さんが灰色の毛糸の塊を差し出した。
「はい、リオの分」
マフラーだった。森オオカミの毛で編んだ、灰色の、ふかふかしたマフラー。端に、へたくそな字で「リオ」と刺繍が入っている。
「首が寒そうだったから」
母さんは、それだけ言って、また糸車の前に戻っていった。
俺は、マフラーを両手で持ったまま、しばらく動けなかった。
押し入れの中の、段ボール箱。開けて、確かめて、しまいこんだ五本のマフラー。
今度は、巻いた。
首に巻いて、台所の窓に映った自分を見た。赤茶のくせ毛と、灰色のマフラー。少し、暑かった。
それでも、外さなかった。
*
翌日の夕方、納屋の前で、ガルドとチットが薪を割っていた。
ガルドが斧を振りおろし、チットが割れた薪を拾って積む。
チットの両手には、母さんの編んだ灰色の手袋がはまっていた。大きすぎて、指の先が余っている。
日が落ちかけたころ、森の奥から、声が聞こえた。
ゴブリンの声だった。一匹や二匹ではない。低い、揃った声が、何度も、何度も繰り返されている。
ガルドの斧が、止まった。
「……ザグの声だ」
ガルドは、低く言った。
ガルドは、斧を持ったまま、じっと森のほうを見ていた。チットが、ガルドの前掛けの裾を握った。
炊き出しの列には、森じゅうの魔物が並んでいる。
並んでいない者たちは、今、どこにいるのか。
俺はまだ、その答えを確かめていなかった。
◆
【人材開発課 週次報告】
報告者:魔王軍人事局 人材開発課 係長 モルグ
案件:ゴブリン、ザグとの接触について
経過:
南部森林の奥にて、ゴブリン、ザグと初めて接触した。
現状:
本人は、当局の勧誘に関心を示さなかった。
ただし、人間の村への敵意は十分にある。
群れの規模は、先月の倍に増えている。当該村落の炊き出しに行かなかった個体、行くことを拒んだ個体が、ザグのもとに集まっている模様。
所見:
継続して接触する。
追記:
手は、洗っていなかった。




