取引
三人組がハルテ村に来たのは、お礼を言うためだった。
「弟の熱、三日で下がったんです」
弓の女、ロザさんは、母さんの両手を握って、何度も頭を下げた。
「言われたとおり、朝と晩に煎じて飲ませたら、本当に三日で。医者の薬より効いたって、母が」
「よかったわねえ」
母さんは、目尻の笑いじわを深くして、ロザさんの手を握り返した。
ロザさんは、町で買ったという飴の包みを、母さんに差し出した。
母さんはそれを受け取って、すぐにピムとミナとチットに一粒ずつ配った。三人の子どもは、同じ顔をして飴を頬ばった。
ただ、三人組の顔は、それほど晴れやかではなかった。
「礼を言いに来たのは本当だ。ただ、ついでに言うとな」
剣士のベックさんが、頭をかいた。
「仕事がねえんだ。討伐依頼は、どこの出張所からも消えちまった。手持ちの素材を売ろうにも、この値崩れだ。このままじゃ、冬を越せねえ」
魔術師のニールさんは、杖を抱えたまま、黙ってうつむいていた。
討伐依頼が消えたのも、素材の値が崩れたのも、元をたどれば、ハルテ村の炊き出しだ。
俺は、ホルストさんの帳簿の裏に書いた「加工品の値付け表」を、懐から取り出した。
*
話し合いは、翌朝、出張所のカウンターで開かれた。
オスカーも、帰る日を一日延ばしていた。娘が、村の子どもたちのところから動きたがらなかったからだ、と本人は言っていた。
集まったのは、村長、ホルストさん、オスカー、三人組、それに俺。母さんは、お茶と茶菓子を運ぶ係だった。本人の希望で。
俺は、値付け表をカウンターの上に広げた。
「素材を、素材のまま売るのをやめます」
オスカーが、汗を拭く手を止めた。
「村で、手袋と、ランプと、咳止めにしてから売ります。森オオカミの毛の手袋は、羊の毛より暖かい。光るムカデの殻のランプは、普通のランプの倍明るい。咳止めは、医者の薬より効く」
「効くというのは、誰が決めた」
「オスカーさんです」
オスカーの手が、止まった。
娘の咳がいつ止まったかは、この人がいちばん正確に数えているはずだった。
「それを、グリム商会に卸します。ベルダと、王都で売ってください。冬はこれからです。手袋もランプも咳止めも、冬に一番売れる」
オスカーは、値付け表を手に取った。
目の動きが、変わった。汗を拭いていたときの目ではなかった。
数字を一行ずつ追って、頭の中で何かを足したり引いたりしている、商人の目だった。
「……倉庫の素材は」
「村が、加工用の材料として、少しずつ買い取ります。仕入れ値そのままとはいきませんが、今の相場よりはずっと高く。代金は、加工品の売り上げから、月ごとに払います」
「井戸の前の山だけでは、冬じゅう編み続ける量には足りません。それに、そちらの倉庫が紙くずのままだと、この取引ごと潰れます」
「月ごと、か」
オスカーは、値付け表をしばらく眺めてから、太い指で卓を叩いた。
「いいだろう。ただし、条件がある」
声の調子が、変わっていた。
「一つ、この村の加工品は、うちにだけ卸すこと。ほかの問屋に持ちこむのはなしだ。二つ、卸値はこっちが決める。三つ、前金は出さん。売れてからだ」
「それは——」
村長が身を乗り出したが、オスカーは手のひらを向けて止めた。
「言っておくがな。うちが買わなけりゃ、その手袋は村の納屋で腐るぞ。羊の毛なら、よその村からいくらでも仕入れられる。困るのは、どっちだ」
商人の顔だった。
三代続いた店を守るために、この人は、この顔で長いことやってきたのだろう。追い詰められた者は、自分より弱い相手を探す。
〈金に汚い商人〉は、たぶん、こうして出来あがる。
「羊の毛は、仕入れられますね」
俺は、値付け表の端を指で押さえた。
「咳止めは、どうですか。歩きキノコの胞子は、あの連中が自分で落としたものしか手に入りません。よその村から仕入れる方法を、思いついたら教えてください」
オスカーの目が、一度だけ細くなった。
悪い手ではなかったと思う。ただ、咳止めの売り上げの見込みは、手袋とランプを合わせた三分の一にも届かない。
それは、この人の頭の中の算盤にも、たぶん同じ速さで出ている。
「なら、咳止めだけ、うちに卸してくれ。手袋とランプは、好きなところへ持っていけばいい」
オスカーは、間を置かずにそう返した。
誰も、言い返せなかった。
そのとき、窓の外から、子どもの声が聞こえた。
ミナが、片方だけ手袋をはめた手を、ピムとチットに見せていた。その横に母さんがしゃがんで、指を折りながら何か数えている。
「もう片方も、すぐ編むからね」
オスカーが、窓のほうを見た。
それから、しばらく黙っていた。卓の上の太い指が、一度だけ丸まって、ゆっくりとほどけた。
「……独占も、卸値も、前金も、忘れてくれ」
オスカーは、汗も出ていない額を、それでも手ぬぐいで拭いた。
「言っておくが、損をするのはこっちだ。独占で叩いて仕入れりゃ、来年の借金は半分で済んだ」
オスカーは、手ぬぐいを卓の上に置いた。
「そのかわり、来年もこの村と商売ができる。うちの店は、たぶん、そっちのほうが長持ちする」
「条件は、一つでいい。値段は、話し合いで決める」
オスカーは、値付け表の一行を指で叩いた。
「手袋ひと組、銅貨四十枚。高すぎる。ベルダの問屋は、羊の毛の手袋を二十五枚で仕入れてる」
「羊の毛の手袋より、暖かいです。それに、光るムカデのランプと一緒に、冬の贈り物として売れば」
「贈り物にしたって、四十は高い。三十だ」
「三十五」
「三十二」
オスカーの目は、もう完全に商人のそれだった。汗も、いつのまにか止まっている。
手に入れたときにうれしい値段。売ったときに惜しくない値段。そのあいだに線を引け。
前世の先輩の言葉を、俺は初めて、表計算の画面以外の場所で使っていた。
「はい、お茶のおかわり」
母さんが、二人のあいだに湯気の立つ椀を置いた。
「冷めないうちに飲みなさい。数字は、逃げないから」
オスカーは、椀を見て、俺を見て、それから、ため息をついた。
「……三十四だ。それ以上は、出さん」
「三十四で」
オスカーが、しぶしぶ右手を差し出した。俺は、その手を握った。汗で湿った、分厚い手だった。
「ホルストさんが、契約書を書きます。ギルドの規程に沿った形で」
ホルストさんは、もう羽ペンを手に取っていた。
「第三十一条。『出張所は、依頼主と冒険者のあいだの物品の売買について、これを仲介することができる』。十年、使ったことのない条文だ。……少し、伸ばして読むがな」
ホルストさんの羽ペンが、さらさらと紙の上を走った。
「それから、ベックさんたちに頼みたいことがあります」
俺は、三人組のほうを向いた。
「ベルダまでの荷車の護衛です。手袋とランプと咳止めを積んだ荷車を、毎週、ベルダまで運ぶ。その道中の護衛を、手伝い依頼として出します」
「護衛? この辺の魔物は、全員あんたの村で手を洗ってるって話じゃねえか」
「魔物はいなくても、盗賊はいます。それに、荷車が溝にはまったら、押す人が要ります」
それから、俺はロザさんのほうを向いた。
「ロザさん。三回目の売り出しの日、グリム商会の列にいましたよね」
ロザさんの目が、少しだけ動いた。
「……見てたのか」
「声をかけませんでした」
俺は、正直に言うことにした。
「うちの荷車のほうが、ずっと重かったので」
ロザさんは、しばらく何も言わなかった。それから、肩をすくめた。
「気にすんな。こっちだって、あんたの荷車を見て、列から抜けたんだ」
ベックさんは、しばらく俺の顔を見て、それから、大きな声で笑った。
「……いいぜ。溝から荷車を押し出す仕事なら、得意だ」
*
話がまとまったのは、昼過ぎだった。
母さんが、昼ごはんを運んできた。豆とカブの煮こみと、焼きたての黒パン。
オスカーは、手を洗って、座った。
座って、ゆっくりと食べはじめた。村に乗りこんできたときの、怒鳴りながらかきこむ食べ方ではなかった。
途中で、卓に肘をついた。
「肘」
母さんの声が飛んで、オスカーは、あわてて肘を引っこめた。
それから、なぜか、少しだけ笑った。
出張所の外では、ミナとピムとチットが、母さんの編んだ手袋をはめて、プルンを追いかけていた。
ミナが声をあげて笑っているのを、俺は初めて聞いた。咳は、もう出ていなかった。
オスカーは、窓の外の娘を、しばらく黙って見ていた。
〈金に汚い商人〉。
設定欄の一行の裏にいたのは、追い詰められた父親だった。
三年後の王都に、売値一・五倍の道具屋は、たぶん、もう開かない。
*
夕方、オスカーは、直った荷馬車に最初の加工品を積んで、ベルダへ帰っていった。
手袋が二十組。ランプが十個。咳止めが三十瓶。荷台の端に、ミナがちょこんと座っている。両手には、灰色の手袋。
荷積みの最中に、光るムカデが一匹、荷車の横でわざわざ脱皮してみせた。
脱ぎたての殻は、まだ少し湿っていて、いつもより明るく光っていた。
オスカーはそれを両手で受け取って、「……新品か」とつぶやいた。
御者台に乗る前に、オスカーは、母さんに向かって帽子を取った。
ゲームの中では、何百回も聞いた台詞がある。勇者が買い物を終えるたびに、あの男が言う台詞だ。
毎度ありィ。
オスカーは、そうは言わなかった。
「……ごちそうさま」
そう言って、深く頭を下げた。




