Lv.1の胸当て
「リオ。ちょっと来い」
ダグさんに呼ばれたのは、オスカーの荷馬車の車輪が直った日の昼だった。
鍛冶屋の奥の作業台に、何かが布をかぶせて置いてあった。
「開けてみろ」
布をめくると、灰色の胸当てが現れた。
岩のような、ごつごつした鱗が、一枚ずつ重なって並んでいる。
縁は革で丁寧に包まれていて、肩と脇には、しっかりした留め具がついていた。
見覚えがあった。
洞窟の主の脱皮殻だ。四回目の売り出しで、グリム商会に引き取ってもらえずに持ち帰った、あの殻だ。
「売れ残りの殻を、捨てるのももったいねえからな」
ダグさんは、太い腕を組んだ。
「材料はタダ同然だ。誕生日祝いのやり直しだと思え。短剣だけじゃ、さすがに心もとねえだろ」
ダグさんは、目の下に隈を作っていた。三晩、炉の前にいたらしい。
「ああ、殻の持ち主にも、ことわってあるぞ。ガルドに通訳してもらった。子どもが世話になった坊主の防具なら、いいってよ」
俺は、胸当てを持ちあげた。見た目より、ずっと軽かった。
【岩鱗の胸当て】
枠に出た名前を見て、声が出そうになった。
ゲームでは、中盤の港町でしか手に入らない防具だ。店売りで銀貨四十枚。
素材を持ちこんで作ってもらっても、職人の手間賃だけで銀貨十枚はかかる。
Lv.20前後のプレイヤーが、ボス戦の前にようやく買いそろえる装備だった。
「……ダグさん。これ、本当に、もらっていいんですか」
「いいから着てみろ」
*
家に帰って胸当てを着けると、母さんが目を丸くした。
「あら、似合うじゃない」
母さんは、俺の後ろに回って、背中の留め具を締め直した。ふっくらした指が、革紐の長さを器用に調節していく。
「ちょっと大きいわね。でも、ちゃんと食べれば、すぐにちょうどよくなるわ」
母さんは、胸当ての鱗を、手のひらでとんとんと叩いた。
「奥さんの殻なのね。これを着てれば、奥さんが守ってくれるわ」
納屋から出てきたチットが、胸当ての鱗を指でつついた。
「……かたい」
その後ろで、ガルドが腕を組んで、小さくうなずいた。
「似合う」
ガルドにそう言われたのは、初めてだった。
ステータスを開いた。
【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30 防御力 48】
防御力、四十八。
Lv.1の勇者の防御力は、初期装備の木の棒と布の服で、八。レベルデザインの表では、そうなっている。四十八は、Lv.20の数値だ。
【ヒント:装備は、レベルに合ったものを選びましょう】
わかってる。
バランスが崩壊している。レベル一の勇者に、中盤の防具。調整したのは、俺じゃない。
母さんだ。
*
胸当てを着けたまま、森へ出た。
倒木の窪地には、今日も何もいなかった。
三本杉の分かれ道の湧き地点も、赤い実の低木のそばの巣穴も、空のままだった。
この森の魔物は、今日も全員、村の井戸の前で手を洗っているか、炊き出しの列に並んでいるか、どちらかだ。
防御力四十八で、戦う相手がいない。
仕方がないので、短剣を抜いて、素振りをした。
百回やるつもりだった。三十回目で、腕が上がらなくなった。四十回目で、短剣が手からすっぽ抜けて、窪地の底に転がっていった。
防御力は四十八でも、筋力は一のままだ。
窪地の底から短剣を拾いあげて、そのまま、苔の上に仰向けに寝転がった。
木の枝のあいだから、秋の空が見えた。
ステータスの職業の欄には、今も「勇者(未覚醒)」とある。
ゲームで勇者が覚醒するのは、本編の冒頭だ。
焼け落ちた故郷の真ん中で、膝をついた勇者が、光に包まれて力に目覚める。
オープニングムービーの、あのカットのすぐあとだ。
故郷を失うことが、覚醒の条件だった。そういうふうに、俺が書いた。
その焼け跡が、もし、なくなったら。
俺は、目を閉じて、その先を考えるのをやめた。今は、考えなくていい。まだ、三年近くある。
俺は起きあがって、倒木に腰をおろし、胸当ての鱗を指でなぞった。
素材を売って、金を作って、装備を買う。それが、この半月の計画だった。
計画は、相場の崩壊と一緒に崩れた。金は、鉄の胸当てにも届かなかった。
それなのに、俺は今、鉄の胸当ての何倍もいい防具を着ている。
計画は壊れたのに、目的だけが達成されている。
設計図のとおりには、何ひとつ進んでいない。それでも、なぜか前に進んでいる。前世で、こういう進み方をしたことは一度もなかった。
窪地の底で、落ち葉がかさりと鳴った。
スライムかと思って身を乗り出したら、ただの風だった。
*
胸当てを着けたまま村に戻ると、広場の人たちが振り返った。
「リオにいちゃん、かっこいい!」
ピムが、胸当ての鱗をぺたぺたと叩いた。
「ほう。カブ畑の見張りに、ちょうどいいな」
トマスじいさんは、そう言って通りすぎていった。たぶん、褒めてくれたのだと思う。
井戸の前では、洞窟の主の子どもたちが日向ぼっこをしていた。
ダイコンが、俺の足もとまでよちよちと寄ってきて、胸当ての裾の匂いをくんくんとかいだ。
それから、安心したように、俺の足の甲の上で丸くなった。
母親の匂いが、するのかもしれなかった。
日が傾きかけたころ、村の入り口の柵の前に、見覚えのある三人組が立っていた。
大柄な剣士。短く切った金髪を革紐で縛った、弓の女。杖を抱えた、青白い魔術師。
「おう、坊主!」
剣士のベックさんが、大きく手を振った。
「……なんだ、その胸当て。お前みたいなひよっこが着るもんじゃねえぞ」
知ってる。レベルで言えば、十九足りない。




