手袋
オスカーは、その晩、村に泊まることになった。
荷馬車の車輪の軸が、村に駆けこんだときの勢いで割れていたからだ。ダグさんが直すのに、一晩かかる。
俺は、出張所のカウンターを借りて、ホルストさんの古い帳簿の裏に数字を書きならべていた。
ゲームの経済なら、何が起きたかは説明できる。
素材が、市場に出すぎている。そのくせ、使い道のほうは増えていない。
出口の決まった水路に、上流から水を足し続ければ、どこかであふれる。
ゲームなら、打つ手も決まっている。ドロップ率を下げる。あるいは、素材の使い道を増やす。
新しい装備の作成レシピを追加して、素材を消費させる。
ドロップ率のほうは、どうにもならない。あの連中は、飯の礼のつもりで毎朝あれを積んでいる。
礼をやめてくれとは、さすがに言えなかった。
なら、使い道を増やすしかない。
ただ、この世界で、何を作れば素材が消費されるのか。
ゲームなら、レシピを一行追加すれば済む。この世界には、レシピの追加画面がない。
帳簿の裏は、線と数字でいっぱいになった。答えは、出なかった。
素材の値段は、プレイヤーの感情だ。前世の先輩の言葉を思い出した。
なら、この世界のプレイヤーは誰だ。素材を買うのは、誰で、何のために買うのか。
ゲームのプレイヤーは、強くなるために素材を買う。この世界の人たちは、何のために買うのだろう。
そこで、考えが止まった。
「……リオ。もう遅いぞ」
ホルストさんが、ランプの芯を短くしながら言った。
出張所を出ると、うちの窓に、まだ明かりがついていた。
*
台所は、女の人たちでいっぱいだった。
井戸端でいつも野菜を刻んでいる三人組に、ピムの母親。それから、ミナ。
みんな、手に何かを持っている。糸の束。棒針。糸車。
テーブルの真ん中には、森オオカミの抜け毛の袋が、口を開けて置いてあった。売れ残りの袋だ。
母さんは糸車の前に座って、灰色の毛を紡いでいた。ふっくらした指先から、細くて柔らかい糸が、するすると伸びていく。
「ミナちゃんの手、冷たかったでしょう」
母さんは、糸車を回しながら言った。
「だから、手袋を編んであげようと思って。ピムの分もね。それで、いっそのこと、みんなで編みましょうって話になったのよ」
テーブルの端には、もう片方だけ編みあがった小さな手袋が置いてあった。灰色の、ふかふかした手袋だった。
ミナは、それを片手にはめて、じっと見つめていた。
「オオカミの毛って、あったかいのよ。羊の毛より、ずっと」
母さんは、それから、光るムカデの抜け殻を一枚つまみあげた。
「これも、きれいでしょう。捨てるのがもったいなくて」
母さんは、台所のランプの笠に、抜け殻を糊で貼りつけていた。
ランプの火が、薄い殻を透かして、台所じゅうに柔らかい光を広げていた。いつもの倍は明るい。それに、光の色が温かい。
台所の戸が、ことりと鳴った。
開けると、森オオカミの婆さんが座っていた。口に、灰色の毛の塊をくわえている。
自分でむしってきたらしい。首のまわりが、一か所だけ薄くなっていた。
「まあ。無理しなくていいのよ」
母さんは毛を受け取って、薄くなった首のあたりを撫でてやった。婆さんは満足そうに尻尾を振って、かまどの前で丸くなった。
「うちにも、ひとつ作ってほしいわ」
「うちにも」
女の人たちが、口々に言った。
テーブルの隅では、小さな鍋が湯気を立てていた。歩きキノコの胞子と、母さんの薬草を煮出したものだ。
「ミナちゃん、ここに来てから、ずっと咳をしてたでしょう。これ、咳によく効くのよ。お母さんのお母さんから、教わったの」
ミナは、こくりとうなずいた。
戸口の向こうの暗がりに、オスカーが立っていた。納屋に泊まるはずが、眠れなかったらしい。
オスカーは、台所に入ってこなかった。ただ、片方だけ手袋をはめた娘の横顔を、戸口の陰から、じっと見ていた。
母さんは、それに気づいていたのかどうか。糸車を回す手を止めずに、「オスカーさんも、お茶どうぞ」とだけ言った。
*
俺は、台所の戸口に立ったまま、動けなかった。
抜け毛を紡いで、手袋にする。抜け殻を貼って、ランプにする。胞子を煮出して、咳止めにする。
素材を、素材のまま売るから、値崩れする。
手袋にしてしまえば、それはもう手袋として売れる。冬の町で手袋を欲しがる人なら、いくらでもいる。ランプも、咳止めも同じだった。
売り場そのものが、素材とは別になる。
ゲームで言えば、新しいレシピの追加だった。
さっき出張所で行き詰まったのは、この世界のプレイヤーを、強くなるために素材を買う誰かだと思いこんでいたからだった。
台所にいたのは、手の冷たい子どもに手袋をはめてやりたい人たちのほうだ。
俺が帳簿の裏で線を引いて、答えを出せずにいたことを、母さんは台所で、糸車を回しながらやっていた。
母さんは、相場のことなど何も考えていない。
母さんにしてみれば、ただの冬支度だったのだろう。
「リオ。そんなところに立ってないで、あなたも手伝いなさい」
母さんが、糸の束を差し出した。
「……俺、編み物なんてできないよ」
「じゃあ、糸を巻いて。はい、両手を出して」
俺は両手を出した。
母さんは、俺の両手に糸をかけて、くるくると玉に巻きはじめた。まめのできた俺の手のあいだを、灰色の糸が、ゆっくりと行き来した。
前世の母も、冬になると、手編みのマフラーを送ってきた。
毎年、段ボール箱に入れて。宅配便の伝票に、あの人の丸い字で、俺の名前が書いてあった。
一度も、巻かなかった。箱を開けて、中を確かめて、押し入れにしまった。首に何かを巻いて出勤するのが、なんとなく気恥ずかしかった。
押し入れには、たぶん、マフラーが五本入っていた。
糸を巻かれながら、俺は、頭の中で値段を数えていた。手袋ひと組、銅貨何枚。ランプひとつ、銅貨何枚。咳止め、ひと瓶いくら。
翌朝、俺はホルストさんに頼みこんで、帳簿の裏の最後の一枚を使わせてもらった。
そこに、「加工品の値付け表」と書いた。
ゲームでは、レシピを追加するのは、俺の仕事ではなかった。
この世界では、たぶん、俺の仕事だ。




