強欲な商人(予定)
グリム商会の主人が村に乗りこんできたのは、その二日後の昼だった。
砂ぼこりを上げて、一台の荷馬車が広場に駆けこんできた。御者台から転げるように降りてきたのは、四十がらみの小太りの男だった。
上等な仕立ての上着は、汗で背中に貼りついていた。額の汗を、握りしめた手ぬぐいでしきりに拭っている。
「ハルテ村ってのは、ここか! 素材を売りに来てた連中の村は!」
早口で、しかも広場じゅうに響く声だった。
炊き出しの列に並んでいた大ネズミが、びくりとして列から外れた。
鍋の前にいたガルドが、お玉を置いて、一歩前に出た。男は、ガルドの緑色の顔を見て一瞬ひるんだが、すぐにまた声を張りあげた。
「グリム商会のオスカーだ! あんたらのせいで、うちの店の在庫が紙くずだ!」
村長が、額の汗を拭きながら前に出た。
「ま、まあまあ。ひとまず、話を……」
「話もなにもあるか!」
オスカーは、まくしたてた。
グリム商会は、ギルド本部の素材部と契約を結んでいた。王都の工房に、決まった量の素材を、決まった値段で納める。
相場は夏からずっと上がり続けていた。早く買うほど得なので、オスカーは借金をして、来年ぶんまで倉庫いっぱいに仕入れていた。
そこへ、この値崩れだ。
素材部は、相場が下がったのを理由に、納める値段を下げろと言ってきた。
契約に、そんな条項はない。あるのは、断れば来年の契約がない、という話のほうだ。
下げた値段では、借金が返せない。
倉庫の中身は、仕入れ値の十分の一にもならない。
「このままじゃ、店をたたむしかない! ご先祖から三代続いた店をだ!」
オスカーは、そこで一度だけ、声を詰まらせた。
「女房に先立たれて、残ったのは、あの店だけなんだ」
*
その顔を、俺は知っていた。
ハルテ村の人間として、ではない。三浦圭介として、だ。
王都の大通りの道具屋。カウンターの向こうで、もみ手をしている小太りの男。
〈強欲商人オスカー〉
ゲームの中盤で、勇者が必ず立ち寄る店の主人だ。回復薬も、解毒薬も、相場の一・五倍の値段で売っている。
買い物を終えると、にやにやしながら「毎度ありィ」と言う。
プレイヤーの所持金を適度に削るために、一・五倍の売値の表を作ったのは、俺だ。
設定欄は、一行。〈金に汚い商人〉。
書いたのも、俺だ。
目の前のオスカーは、もみ手はしていなかった。握りしめた手ぬぐいで、ひたすら汗を拭いていた。
その横に、いつのまにか、母さんが立っていた。
「まあまあ。お昼、まだなんでしょう?」
「母さん」
俺は、母さんの前掛けの端を引いた。
「それ、王都一の悪徳商人(予定)です」
「よてい?」
母さんは、ふっくらした頬に指を当てて、首をかしげた。
「予定なら、まだ違うんでしょう。ほら、座って。手を洗ってからね」
*
オスカーは、怒鳴りながら手を洗い、怒鳴りながら座り、怒鳴りながら豆の煮こみを口に運んだ。
「だいたい、魔物が素材をくれるなんて話が、あってたまるか! 素材ってのはな、冒険者が命がけで……」
「口に物を入れたまま、怒らないの」
母さんの声が、ぴしゃりと飛んだ。
オスカーの口が、閉じた。
そのまま、もぐもぐと噛んで、飲みこんだ。それから、母さんをにらんだ。それから、次の一口を運んだ。
二口目からは、怒鳴らなかった。
「……うまいな、これ」
「でしょう。トマスさんのカブが入ってるのよ」
俺は、卓の端からオスカーの横顔を見ていた。
このまま店をたたんだら、この人はどうなるのか。
借金を抱えて、三代続いた店を手放す。仕事を探して、王都へ流れる。そこで、小さな道具屋を始める。
二度と、誰にも足もとを見られないように。二度と、店を潰さないように。
売値を一・五倍にして、「毎度ありィ」と笑うようになる。
ゲームの〈金に汚い商人〉の一行には、たぶん、そういう事情があったのだ。
そして、その店を潰しかけている原因は、母さんの炊き出しだった。
いや。母さんだけではない。
素材を荷車に積んで、ベルダへ売りに行ったのは、俺だ。値崩れが始まっても、あと三回売ればいいと思っていたのも、俺だ。
*
オスカーが三杯目の煮こみを空にしたころ、母さんが、ふと荷馬車のほうを見た。
「あら」
荷馬車の御者台の陰に、小さな女の子が座っていた。
七つくらいだろうか。栗色の髪を二つに分けて、お下げに編んでいる。父親の上着の余りのような大きな外套にくるまって、膝を抱えていた。
ここへ着いてから、一度も声を出していない。
「……ミナ」
オスカーが、急に小さな声になった。
「娘だ。家に一人で置いてくるわけにもいかなくてな」
母さんは、もう荷馬車のほうへ歩いていた。
ミナの前にしゃがんで、そっとその手を取った。
「まあ。こんなに冷たくなって」
母さんは、ミナの小さな手を、ふっくらした両手で包みこんだ。
ミナは、驚いたように母さんの顔を見た。それでも、手を引っこめはしなかった。
それから、外套の襟に顔をうずめて、小さく咳をした。乾いた、なかなか止まらない咳だった。
母さんの手が、その背中に回った。
「お腹、すいてるでしょう。いらっしゃい」
母さんに手を引かれて、ミナは卓についた。
ミナは、何も言われないうちに井戸で手を洗い、椅子にきちんと座り、両手を組んで、小さな声で祈った。
スープは、口を閉じて、ゆっくりと噛んで飲んだ。
父親より、ずっと行儀がよかった。
オスカーは、娘の横で、決まり悪そうに口もとを拭った。




