相場
翌朝、荷車に素材を積んで、村を出た。
荷車を引くのはダグさん。荷台の端には、膝をかばったホルストさんが腰かけている。
俺は荷車の横を歩き、その後ろを、母さんがついてきた。
「ベルダの市には、秋のキノコがたくさん並ぶのよ」
母さんは、それだけの理由でついてきた。もちろん、弁当籠は俺が背負っている。
ベルダに着いたのは、昼を少し回ったころだった。
石畳の大通りに、店がずらりと並んでいる。パン屋、布屋、鍛冶屋、薬屋。人の数も、ハルテ村とは比べものにならない。
母さんは、町に入ったとたんに寄り道を始めた。
薬屋の店先で、干した薬草の束を一つずつ手に取っては、店の主人と話しこむ。パン屋の前で、焼き色の具合をほめる。
迷子の犬に、干し肉を分ける。
ホルストさんが、俺の横で小さく笑った。
「マルタさんは、どこへ行っても、ああだな」
素材問屋は、市場の奥の一角にまとまっていた。いちばん大きな構えの店の看板には、「グリム商会」とあった。
「ここが一番、値をつけてくれる」
ホルストさんが、荷台から降りながら言った。
店に入ると、帳場にいたのは、若い番頭だった。主人は王都へ出張中で、留守らしい。
番頭は、荷車の素材を一つずつ検め、壁の札と照らし合わせて、値をつけていった。
壁の札には、素材の名前と買い取り価格が並んでいた。
〈岩トカゲの脱皮殻(大) 銀貨十五枚〉
ゲームと、同じ値段だった。
この殻をどうするのかと聞くと、番頭は帳面から目も上げずに答えた。
「防具屋に卸します。あとは、王都の工房ですね。鎧の内側の当て布に使うんですよ」
買い取られた素材は、この店の倉庫に積まれて、そこから職人や工房へ流れていく。
全部で、銀貨四十二枚になった。
帰りに市場で麦と豆を買いこみ、荷台がまたいっぱいになった。村の冬の備蓄は、これでひと月分戻る。
俺の手伝い報酬は、銀貨二枚。武具屋の店先に吊るされていた鉄の胸当ては、銀貨八枚だった。あと三回、売りに来ればいい。
母さんは、キノコの市で、見たこともない紫色のキノコをひと籠買っていた。
*
二回目は、三日後だった。
その三日のあいだにも、井戸の前の山は毎朝できていた。
魔物たちは、お礼が役に立ったと知って、張りきっていた。森オオカミは、仲間に声をかけて抜け毛を集めてきた。
光るムカデは、脱皮を早めているような気さえした。
洞窟の主も、もう一度、背中の殻を置いていった。前のより、ひと回り大きい。
ガルドは、山の横に木の板を立てて、刻み目で数を数えていた。抜け毛、殻、胞子、歯。
種類ごとに、刻み目の列が分けてある。炊き出しの椀を数えるのと、同じやり方だ。
荷車は、一回目より山盛りになった。
グリム商会の壁の札が、書き換えられていた。
〈岩トカゲの脱皮殻(大) 銀貨九枚〉
「……近ごろ、脱皮殻の持ちこみが増えてましてね」
番頭は、申し訳なさそうに言った。
「ハルテ村さんだけじゃないんですよ。ほかの村からも、冒険者さんからも。討伐の仕事がないとかで、手持ちの素材をみんな売りに来るんです」
討伐依頼が消えたのは、ハルテ村だけではなかったらしい。村の炊き出しの噂は、森を越えて、よその村の魔物にまで届いていた。
番頭は、帳場の奥の扉を指した。
「うちの倉庫、もう半分埋まってます。王都の工房が引き取ってくれるのは、月に決まった量だけなんですよ」
「売れる見込みより多く買っても、積んでおくだけになる。だから、値を下げるしかないんです」
ゲームの道具屋なら、持ちこんだものは何でも買ってくれる。財布の中身は無限で、倉庫という考え方そのものがない。
そういうものとして、俺が作った。
目の前の店は、そうではなかった。倉庫には床があって、金を出すのは、算盤を弾いている生身の人間だった。
鎧の内側に当て布を張る職人が、先月から急に増えたわけでもない。増えたのは、殻を担いで店に来るほうだった。
三回目は、さらに三日後。
グリム商会の前には、列ができていた。素材の袋を担いだ冒険者たちだ。
「討伐の仕事がねえから、倉庫に溜めてた昔の素材を、全部吐き出すしかねえんだよ」
列の前のほうで、髭面の冒険者が誰にともなくぼやいていた。
その後ろに、俺たちの荷車が並んだ。荷車の素材は、冒険者たちの袋を全部合わせたより多かった。
列の中ほどに、見覚えのある後ろ姿があった。
短く切った金髪を、革紐で縛っている。背負った弓の、握りの革の巻き方まで覚えがあった。
北の洞窟で、母さんから弁当と薬草を受け取って帰っていった、あの三人組の弓の人だ。
声をかけようとして、やめた。
こちらの荷車には、あの人の袋の何倍もの素材が積んである。それを、これから同じ店に持ちこむ。
もう一度そちらを見たときには、列の中に、あの後ろ姿はなかった。
列を眺めていて、気づいたことがある。買う側——防具屋と、王都の工房。その顔ぶれは、先月から何ひとつ増えていない。
〈岩トカゲの脱皮殻(大) 銀貨四枚〉
四回目も、三日後だった。
店に入ると、番頭が踏み台に乗って、壁の札を書き換えているところだった。
湿らせた布で数字を消して、白墨で新しい数字を書く。慣れた手つきだった。この数日で、何度もやったのだろう。
書き終わるまで、俺たちは黙って待った。
〈岩トカゲの脱皮殻(大) 銀貨一枚半〉
「……職人衆が、買うのをやめまして」
番頭は、踏み台から降りながら言った。
「もっと下がると思ってるんです。今日は買わない。明日も買わない。安くなってから買えばいい、と」
待てば下がると思われれば、値は本当に下がる。下がったのを見て、みんなはもっと待つ。
壁の札の落ち方が、回を追うごとに急になっていたのは、たぶん、そのせいだった。
荷車の中身は、一回目の三倍になっていた。売り上げは、一回目の半分にもならなかった。
*
壁の札を見上げながら、俺は、この数字の並びに見覚えがあることに気づいていた。
十五。九。四。一・五。
前世で、一度だけ見たことがある曲線だ。
夏のイベントで、ドロップ率の設定を一桁間違えた。一パーセントのはずの素材が、十パーセントで落ちた。
プレイヤーの倉庫に素材があふれ、取引所には売り注文だけが並んだ。買う側は、明日もっと安くなると読んで、誰も手を出さなくなった。
三日で、十分の一になった。
壁の札に起きているのも、たぶん、同じことなのだろう。
あのときは、緊急メンテナンスで直した。落としすぎた素材を回収して、お詫びの石を配った。
この世界に、緊急メンテナンスはない。
お詫びの石も、配れない。
ホルストさんは、壁の札の前で腕を組んでいた。
十年分の帳簿をつけてきた人の顔だった。この値段が何を意味するか、俺よりよくわかっているはずだった。
ホルストさんは何か言いかけて、やめた。
帰り道の荷車は、行きとほとんど変わらない重さだった。売れ残った素材を、グリム商会が引き取ってくれなかったからだ。
「言ったろう。相場は生き物だって」
荷台の上で、ホルストさんがぽつりと言った。
「買う奴の数は、変わっちゃいない。売る奴だけが、急に増えた。それだけのことだ」
ホルストさんは、帳簿を閉じるような手つきで、膝の上の荷を押さえた。
「そうなるとな、買うほうは急がなくなる。待てば安くなるんだから。待たれれば、また下がる。……それだけのことで、生き物は死ぬ」
俺の手伝い報酬は、四回合わせて、銀貨三枚と銅貨二十枚。鉄の胸当てには、まだ遠い。
母さんは、荷台の上で、売れ残った森オオカミの抜け毛の袋を枕にして、気持ちよさそうに昼寝をしていた。
村に戻ると、村長は、売り上げの袋の重さを手のひらで量って、黙りこんだ。
冬の食料を買うには、まだ足りない。足りない分を埋めるには、もっと売るしかない。もっと売れば、値段はもっと下がる。
下がった値段を埋めるために、また売る。
ゲームなら、この先に何が待っているか、俺は知っていた。
*
五回目の売り出しの日、ベルダの町に入ると、グリム商会の前に人だかりができていた。
店の戸は、閉まっていた。
戸には、一枚の貼り紙があった。
〈当分のあいだ、素材の買い取りを停止いたします グリム商会〉




