キノコのスープ
収穫祭の前の晩、広場の大鍋で、キノコのスープが煮えていた。
赤い傘のキノコだ。依頼の報酬のひと籠と、北の洞窟の入り口で母さんが摘んだ分。
広場には、明日のための飾りがもう吊るされている。麦わらの輪と、色とりどりの布。
その下に長い卓が並べられ、村の人たちと、森から来た連中が、同じ卓に座っていた。
座っていた。全員が。母さんの教育は、行き届いていた。
ガルドは、ずっと鍋の前を動かなかった。お玉でかき回しては、湯気の匂いをかいでいる。
「味見、する?」
母さんが小皿によそって渡すと、ガルドはそれを両手で受け取った。ひと口すすって、しばらく黙っていた。
「……母が、昔、作ってくれた」
ガルドは、ぽつりとそう言った。
ゴブリンにも母親がいる。当たり前のことだ。
ただ、ひとつ問題があった。
赤い傘のキノコは、ゲームでは毒キノコとして配置している。食べると、HPが減る。
「母さん。このキノコ、人間が食べても大丈夫なの」
「よく煮れば大丈夫よ。お母さんのお母さんも、そう言ってたわ」
祖母の代からの知恵と、俺の仕様書。どちらを信じるべきかは、わかっていた。
俺は、スープを飲んだ。
【HP −1】
……うまかった。
隣の卓では、ダグさんが三杯目をおかわりしていた。
トマスじいさんは、自分のカブが入っているのを確かめてから、満足そうにうなずいていた。
その向かいに、イレーネさんが座っていた。帰りの乗合馬車は、明日の朝だ。
イレーネさんは背筋を伸ばして、両手で椀を持ち、ゆっくりとスープを飲んでいた。立ったまま食べてはいなかった。
ただ、卓の端には、手帳が開いてあった。
〈炊き出しが村の経済に与える影響 要調査〉
読めてしまったので、俺は目をそらした。
*
スープの列の途中で、ガルドの手が止まった。
井戸の陰に、小さなゴブリンが隠れていた。ガルドよりずっと若い。まだ子どもと言っていい。腕と頬に、新しいあざがあった。
大きすぎる耳が、びくびくと震えている。肌の緑は、ガルドよりずっと明るかった。
「……チット」
ガルドが、低く名前を呼んだ。
チットは、びくりと肩を震わせた。それから、おずおずと井戸の陰から出てきた。
「長……」
「もう長ではない」
チットは、ザグの群れのゴブリンだった。
三日前、森で、炊き出し帰りのオオカミにスープの残りを分けてもらった。それが、群れに知れた。
「人間の飯を食った奴は、群れにいらないって。ザグが」
ガルドの顔が、暗く曇った。
母さんの緑の目が、チットのあざの上で止まった。
母さんは、何も聞かなかった。チットの手を取って井戸で洗い、あざに薬草を貼り、椀にスープをよそって、座らせた。
「大地の恵みに感謝を」
「……だいちの、めぐみに……」
チットは、泣きながらスープを飲んだ。口に物を入れたまましゃべろうとして、母さんに優しくたしなめられて、また泣いた。
「今夜は、納屋に泊まっていきなさい。ガルドさんと一緒に」
母さんがそう言うと、チットはガルドの顔をうかがった。ガルドは、黙ってうなずいた。
それからガルドは、チットを大鍋の柱の前に連れていった。柱には、母さんの書いた板が打ちつけてある。
ガルドは、字が読めない。それでも、板を指でなぞりながら、一行ずつ、ゆっくりと言った。
「手洗い。お祈り。座って食べる」
全部、覚えていた。
チットは、真剣な顔で、それを繰り返した。
ガルドは、森のほうを見ていた。
「ザグは、わしが育てた」
ガルドは、それだけ言った。
ザグ。その名前は、ゲームのどこにもない。三年後のチュートリアルで、群れを率いて勇者の前に立つのは、ゴブリン王ガルドのはずだった。
ガルドが王にならなかった三年後に、あの森の群れを率いているのは、誰なのか。
俺はまだ、その先を考えたくなかった。
*
翌朝、出張所の掲示板には、依頼票が三枚貼られていた。
〈道案内:収穫祭の会場まで 依頼主:森オオカミ(婆さん)〉
〈手伝い:巣穴の修繕 依頼主:大ネズミ(三匹連名)〉
〈相談:日当たりのいい場所の紹介 依頼主:歩きキノコ〉
三枚とも、依頼主の名前は欄の外に書かれていた。
ホルストさんは掲示板の前に立って、その三枚を眺めていた。
何か言いかけて、やめた。
それから、掲示板の上の「討伐」「採取」「護衛」「捜索」と並んだ札の横に、新しい札を一枚、釘で打ちつけた。
手伝い。
*
朝の乗合馬車に乗る前に、イレーネさんが出張所に寄った。
「三か月後に、また来ます」
イレーネさんは、掲示板の三枚の依頼票を見て、眼鏡を押しあげた。
「それまでに、依頼票の書式を改定しておきます。依頼主の種族を書く欄を、追加します」
ホルストさんは、何も言わなかった。代わりに、赤い傘のキノコをひと包み、イレーネさんに持たせた。
*
俺は広場の端に腰をおろし、目にかかる前髪を払って、ステータスを開いた。
【リオ 勇者(未覚醒) Lv.1 EXP 0/30】
変わらない。遠征一回、依頼達成一件。獲得経験値、ゼロ。HPは、一減った。
本編開始まで、あと二年と十一か月と少し。
俺はまだ、一匹も倒していない。
◆
【人材開発課 週次報告】
報告者:魔王軍人事局 人材開発課 係長 モルグ
案件:南部森林地帯における勧誘活動について
経過:
南部森林の勧誘候補(群れを追われた個体、はぐれ個体など)十二件のうち、十一件が、接触予定日までに所在不明となった。
現状:
所在不明の十一件は、いずれも当該村落の炊き出しの列で確認された。
今月の勧誘実績、ゼロ。
補足:
本件について、局長より口頭で指導を受けた。
また、当課の新人(オーク、配属二か月)が、休日に当該村落の炊き出しの列に並んでいたとの目撃情報がある。本人は否定している。
手は清潔であった。
所見:
原因を調査中。
追記:
有望な候補を一名確認した。
ゴブリン、ザグ。人間の食べ物を、拒んでいる。




