査察
査察官は、朝いちばんの乗合馬車でやってきた。
黒い外套に、細い眼鏡。脇に帳簿を三冊抱えた、三十前後の女の人だった。
黒髪をうなじの上できっちりとまとめ、背筋は定規を当てたようにまっすぐだった。
「ギルド本部監査室、イレーネです。本日中に結論を出します」
挨拶は、それだけだった。
イレーネさんは出張所のカウンターに持参の帳簿を広げ、ホルストさんの帳簿と一行ずつ突き合わせはじめた。
速かった。ページをめくる音が、ほとんど途切れない。
「過去一年の新規依頼、二十九件。月平均、二・四件。うち討伐依頼、二十一件」
「……はい」
「今月の新規依頼」
「……ゼロ件です」
イレーネさんは、ペンを止めなかった。
「ギルド規程第十二条。『新規依頼が著しく少ない出張所は、統廃合の対象とする』。今月ゼロ件は、著しく少ないに該当します」
ホルストさんは、黙ってうなずいた。
イレーネさんは懐から紙包みを取り出して、中の乾いたパンを、書類を見たままかじった。立ったままだった。
昨夜も、見た光景だった。
*
昼前、外で悲鳴があがった。
出張所の戸口から顔を出すと、村の大通りを、岩が歩いていた。
洞窟の主だった。
馬二頭分の体が、ゆっくりと広場のほうへ進んでくる。その後ろを、灰色の子どもたちが、よちよちとついてくる。一匹、二匹、三匹、四匹。
四匹。
「と、トカゲだあああ!」
ピムが走っていった。村の男たちが鍬を持って集まってくる。ダグさんが大槌をかついで飛び出してくる。
トマスじいさんは、荷車のカブを一個つかんで、振りかぶりかけて、それを投げずに荷台に戻した。
主は、落ち着かない様子で首を振っていた。喉の奥で、短い音を何度も鳴らしている。
「奥さん!」
母さんが、洗濯物を抱えたまま、三つ編みを弾ませて駆けてきた。
「どうしたの?」
ガルドが、お玉を持ったまま走ってきた。主の前に立って、しばらく喉の音に耳をかたむける。
「……子どもが、一匹、足りないそうだ」
「まあ」
「朝から探しても、見つからないと。子どもの匂いを追ってきたら、この村に着いたと言っている」
ガルドは、トカゲの言葉が少しわかるらしい。長く森で暮らしていると、そうなるのかもしれない。
母さんは、ぽんと手を打った。
「困ったときは、ギルドに相談するものよ。奥さん、こっち」
母さんは主の前足を軽く叩いて、出張所のほうへ歩きだした。主は、素直についていった。
四匹の子どもも、ついていった。その後ろに、ガルドと、俺と、鍬を持った村の男たちが、ぞろぞろとついていった。
*
雑貨屋の戸口は、主には狭すぎた。
主は戸口の前で止まり、首だけを店の中に突っこんだ。カウンターの向こうで、イレーネさんが帳簿を抱えたまま固まっていた。
それから、イレーネさんは帳簿を開いて、何か書きこんだ。ペンを持つ手は、はっきりと震えていた。
ホルストさんは、立ちあがった。
膝をかばうように、ゆっくりと。それから、カウンターの引き出しから依頼票を一枚取り出して、ペンを取った。
「ご依頼ですか」
いつもと同じ、棒読みの声だった。
ガルドが、主の言葉を訳していく。依頼内容、迷子の捜索。対象、岩トカゲの子ども一匹。名前は——
「ダイコン」
母さんが言った。
ホルストさんのペンが、一瞬止まった。それから、依頼票の欄を上から順に埋めていった。依頼主の欄で、また止まった。
依頼票には、依頼主の名前と住所を書く欄しかない。種族を書く欄は、ない。
ホルストさんは、欄の外の余白に、小さな字で書きこんだ。
〈依頼主:岩トカゲ(洞窟の主) 住所:北の洞窟、最深部〉
「報酬は」
ガルドが訳す。
「……赤い傘のキノコを、ひと籠」
ホルストさんは報酬の欄を埋めて、依頼票を掲示板に留めた。
今月初めての、一枚だった。
その一枚を見ながら、俺は、帰り道の弁当籠の重さを思い出していた。
キノコのせいだと思っていた、あの重さを。
「……ちょっと待ってて」
家まで走った。まだ細い脚が、何度かもつれそうになった。台所のテーブルに、弁当籠が置きっぱなしになっている。
キノコの山をどけると、その下で、灰色の小さな体が丸くなって眠っていた。
【岩トカゲ(ダイコン) Lv.1】
籠を抱えて出張所に戻ると、主が首を伸ばして、ダイコンを籠ごとそっとくわえた。
地面におろして、鼻先で何度も確かめた。ダイコンは寝ぼけたまま、母親の鼻にしがみついた。
受注者の欄には、ホルストさんが俺の名前を書いた。
【依頼を達成しました】
【獲得経験値:0】
依頼を達成しても、経験値はつかない。出るのは報酬の金だけで、そういう仕様にした覚えが、はっきりとあった。
出張所のまわりを囲んでいた村の男たちが、ひとり、またひとりと鍬をおろした。
ピムが、ダグさんの脚のうしろから出てきて、主の足もとの子どもたちをのぞきこんだ。
主は、細い目でピムを見て、それから、首を少しだけ下げた。
ピムは、おそるおそる手を伸ばして、カブの背中を撫でた。
「……つめたい」
ピムは、うれしそうに笑った。
*
イレーネさんは、しばらく掲示板を見ていた。
それから、鞄から分厚い規程集を取り出して、ページをめくった。
「ギルド規程第二条。『依頼とは、依頼主が報酬を約し、ギルドを通じて冒険者に業務を委託するものをいう』」
イレーネさんは、眼鏡を指で押しあげた。
「依頼主の種族について、定めはありません」
ペンが、帳簿の上を走った。
「今月の新規依頼、一件。達成、一件。達成率、百パーセント。——統廃合の判断は保留とし、三か月の試行期間を設けます」
ホルストさんは何か言いかけて、やめた。
この出張所は、残る。ホルストさんの帳簿も、掲示板も、俺の冒険者証も、この村に残る。
代わりに、深く、頭を下げた。膝をかばうのも忘れたような、深い礼だった。
「イレーネさん」
母さんが、にこにこと近づいていった。手には、お昼の包みを持っている。
「さっきから、立ったまま食べてたでしょう。座って」
イレーネさんは、眼鏡の奥の切れ長の目で、二度まばたきをした。
それから、丸椅子に腰をおろした。
「……はい」




