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母さん、それ中ボスです。 〜天然の母が敵と全員仲良くなるので、勇者の俺に経験値が入りません〜  作者: 佐和井 泥
第2話 討伐依頼ゼロ件

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お母さん同士

 岩だと思ったのは、鱗(うろこ)だった。

 馬を二頭並べたくらいの体が、広間の奥にうずくまっている。灰色の鱗は、ごつごつした岩肌にそっくりだった。

 細い目が、松明(たいまつ)の火を映して光った。

 ゲームの設定欄は、一行。

〈洞窟の奥に棲む凶暴な主〉

 攻撃パターンは三つ。噛(か)みつき、尻尾の薙(な)ぎ払い、岩の吐き出し。HPが半分を切ると、怒り状態になる。撃破時の経験値は、四百八十。

 四百八十あれば、レベル——

 そこで、計算をやめた。

 Lv.1の俺が勝てる相手ではないから、ではなかった。それもあるが、それだけではなかった。

 主の体の下に、何かがある。

 卵だった。

 人の頭ほどの、白い卵が五つ。主は体を丸めて、それを抱えこんでいた。

 よく見ると、主の脇腹は、あばらが浮くほどへこんでいた。

 計算を途中でやめたのは、初めてだった。

【ヒント:フィールドボスは強力です。十分にレベルを上げてから挑みましょう】

 そのヒントの横を、母さんがすたすたと歩いていった。

「母さん」

 俺の声は、洞窟の中で情けなく反響した。

「それ、卵を守ってるボスです」

「あら」

 母さんは足を止めて、緑の目をぱちぱちさせながら、主と、主の抱えた卵を見比べた。

「じゃあ、お母さん同士ね」

 主が、低く喉を鳴らした。威嚇の音だ。ゲームでは、この音のあとに噛みつきが来る。予備動作は〇・八秒。

 その〇・八を打ちこんだ覚えもある。

 母さんは、かまわずに一歩近づいた。小柄な母さんの頭は、主の顎(あご)の高さにも届かない。

「ずいぶん痩せてるわね。卵を温めてて、ご飯を取りに行けないのね」

 主の喉の音が、少しだけ小さくなった。

 母さんの言葉で、俺もようやく気づいた。

 この洞窟の魔物は、主の食べ物でもあったのだ。コウモリも、ネズミも、ムカデも、全部、村の炊き出しへ出ていった。

 卵を抱えて動けない主だけが、食べ物のなくなった洞窟に取り残された。

 炊き出しのせいだ。

 つまり、母さんのせいだ。

 もちろん、母さんはそんなことは知らない。

「リオ、籠(かご)おろして」

 俺は弁当籠(べんとうかご)をおろした。母さんは中から干し肉を取り出し、それから、ゆで卵を——

「母さん、卵はやめよう」

「……そうね。卵はやめましょうね」

 母さんはゆで卵をそっと籠に戻して、干し肉と黒パンと、羊飼いの少年にもらったチーズを主の前に並べた。それから、水筒の栓を抜いた。

「食べる前は、手を……」

 言いかけて、母さんは主の前足を見た。岩のような鱗と、太い爪。

「……手は、ないのね。じゃあ、足を洗いましょう」

 母さんは主の前足に、水筒の水をかけた。手ぬぐいで、爪の一本一本を拭いていく。

 主は動かなかった。細い目で、じっと母さんを見ていた。

 俺は、息をするのも忘れていた。主の口は、母さんの頭の真上にある。噛みつきの予備動作が来たら、〇・八秒。間に合わない。

 予備動作は、来なかった。

「大地の恵みに感謝を」

 母さんが、主の代わりに言った。

「はい、どうぞ」

 主は干し肉に鼻先を寄せ、しばらく匂いをかいでから、ひと口で飲みこんだ。黒パンも、チーズも、ひと口だった。

 飲みこみながら、主の喉がごろごろと鳴った。

「口に物を入れたまま、鳴らさないの」

 主の喉の音が、ぴたりと止まった。フィールドボスが、行儀を注意されていた。

 視界の枠の中で、主の名前が、赤から白に変わった。


   *


「奥さん」

 母さんは、主のことをそう呼んだ。近所の人に呼びかけるのと、まったく同じ調子だった。

「少し、お水でも飲んできたら? 卵は、見ててあげるから」

 主は、母さんを見た。それから、俺を見た。正確には、俺の手の短剣を見た。

 俺は、短剣を鞘(さや)に戻した。

 主はしばらく動かなかった。

 やがて、ゆっくりと体をほどいた。五つの卵が、松明の明かりの中にあらわになる。白い殻の表面に、うっすらと灰色の模様が浮いていた。

 主は一度だけ、卵のひとつひとつに鼻先を寄せた。それから、地底湖のほうへ、重たい足取りで歩いていった。

 何日も同じ姿勢でいたのだろう。後ろ足が、少しふらついていた。

 視界の隅のヒントの枠は、しばらくそこに残っていた。誰にも読まれないまま、やがて、ふっと消えた。

 母さんは卵の横に腰をおろして、自分の肩掛けを卵にかけた。

「冷えちゃうものね」

 それから、卵のひとつひとつに顔を近づけて、話しかけた。

「早く出てきてね。お母さん、お腹をすかせて待ってるから」

 五つ目の卵に同じことを言い終えると、母さんは満足そうにうなずいた。

 気づくと、鞘の上から短剣の柄(つか)を握りしめていた俺の手は、もう震えていなかった。

 母さんは、摘み籠からキノコを取り出して、弁当籠のほうへ移しはじめた。ここで一晩過ごすつもりらしい。

 俺は、まめのある手のひらを、卵のひとつにそっと当ててみた。

 温かかった。殻の内側で、何かが小さく動いた気がした。

「五つも温めるなんて、大変よねえ」

 母さんが、しみじみと言った。

「お母さんは、リオひとりでも大変だったのに」

「……母さん」

「なあに」

「怖くないの?」

「怖い?」

 母さんは、心の底から不思議そうに首をかしげた。三つ編みが、肩の上でころんと転がった。

「何が?」

「……いや。なんでもない」

 俺は、広間の入り口の壁にもたれて、座りこんだ。

 北の洞窟のボス部屋。チュートリアルの次に来る、最初の本格的な難所。

 勇者たちが、何度も全滅して、攻略法を調べて、ようやく突破するはずの場所。

 フィールドボスが、卵を、村人Lv.1に預けて出ていった。

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