9
カンナの墓標の前に、ゼラニウムの花束を持った男が佇んでいる。
「ただいま。カンナ。」
そっと墓前に花束を置き、目を閉じてただ祈りを捧げている。
「・・・ジーク様。」
男が振り返ると、そこにはアレックスが立っていた。
ジークは薄く微笑むと、墓前を立ち去ろうとした。
「お待ちください。」
「……」
「このまま続ければ死にますよ。 」
「……魔術で援護し続けていたのは、やはりお前か。」
ジークの顔に苦笑が浮かぶ。
「そんなことで罪が消えるはずがないでしょう。そんなことをしても、カンナは喜びませんよ。」
「さぁなぁ。どうだろう。」
クスクスと笑うジークを苦い気持ちで見ながら、アレックスは続けた。
「カンナは、今のあなたを許さないでしょう。」
「『許す』か…。許しを乞おうとは思っていないよ。私のしてきたことは、どれもこれも許しを乞えるようなものではない。」
沈黙が2人の間を支配する。
墓地に優しい風が吹いた。
『ジーク様。感謝しています。国のために働かれたのでしょう?どんな心持であったとしても、私たちの国を護って下さったことに変わりはなのですから。』
風に乗って、幻聴が聞こえる。
自分に都合のいい言葉が、もう一度聞きたいと思い続けた最愛の人の声で紡がれる。
きつく閉じた目の奥から枯れたはずの涙が湧き上がり、目頭が熱くなる。
「……ありがとう。」
やっと絞り出したお礼に応える声が聞こえる。
「いいえ、どういたしまして。」
今、目を開ければ、カンナの幻が見られるかも知れない。
そっと目を開けると、アレックスの横に、どんなに望んでも夢ですら会えなかった最愛の人が見える。
すこし大人びたように見えるのはカンナが死んでいないと思いたい自分の願望が強く表れているせいだろうか?
「カンナ。つらい思いをさせて悪かった。」
視界が滲んで彼女のシルエットがぼやけて見える。
「ジーク様、私…。本当にごめんなさいっ!!勘違いして、先走って、あなたをひどく傷つけたわ。後になって聖女様から聞いたの。ジーク様の本心を。私、合わせる顔が無くて。」
「そうか。」
クスクスと泣き笑いしながらジークは駆け寄ってくるカンナの幻に手を伸ばした。
二人で自邸に住んでいた頃には、一度も触れた事が無かったはずなのに、そうする事が当たり前のように目前のカンナを抱き込んだ。
「……」
「……」
「ん?」
ジークは、カンナの頭越しに見える アレックスの顔を凝視した。
アレックスは何とも言えない表情でジークを見ている。
視線を下げると腕の中にはカンナがいる。
「……どうなさいました?」
はっきりした感触、声、香り……。
音がしそうな勢いで顔を再びアレックスに向けて、ジークは震える声で呟いた。
「……カンナがいる。」
「えぇ。そうですね。」
「私、死んでいませんもの。」
「は?」
大きなため息をついたアレックスは、聖女のくれたペンダントに治癒の効力があり、時間は掛かったが、少しずつ回復し今に至ることを説明された。
「本当に身体は大丈夫なのか?」
あの丘での出来事が脳裏をよぎり、快癒が難しい傷を内にも外にも負った事は明白なのに…。
心配させまいとして嘘をついているのではないかと思ってしまう。
「理の外の力で負った傷は、理の外の力でのみ癒せるということでしょうか。聖女様がペンダントに託された力以外では恐らく治せなかったでしょう。」
ジークにとって、カンナが生きていること以上に重要なことは無かった。長い時間抱きしめ合った後、ジークはカンナの前に跪いた。
「カンナ。生きていてくれて、ありがとう…。愚かな私は、あの日、あなたを失って初めて、あなたが居てくれた日々の大切さに気付いた。
…私はあなたを愛していた。
いつでも言えると高を括って、一度も言わなかったことを心から悔いたのです。」
過去形で愛を語るジークに、カンナの中で不安がよぎる。
「ジーク様?」
立ち上がったジークは、呆気に取られて反応できない2人に背を向けた。
「カンナ。今までもこれからも、あなたは私の光です。…どうか、幸せに。」
2人は息を飲む。
「ジーク様っ!待ってくださいっ!」
後ろからジークを抱きしめる手が震えている。
「カンナ…。」
「ど…どうして。行かないで下さい。ずっと一緒にいたいのです。」
胸が震える。
カンナが死んだと聞かされて以来、こんなに感情が溢れ出たことはない。
振り向いて、カンナを抱きしめたい気持ちを何とかふり払い、カンナに告げた。
「…カンナ。私はもう、あなたのそばにはいられない。私は…殺しすぎた。」
「でも…。国のためでしょう?殺さなければ、殺されてたのでは無いですかっ‼」
「違う。私は…。死にたかった。貴方を追い詰めて死なせてしまったから。…せめて騎士らしく、戦いの中で死にたかった。こんな利己的な理由で多くの命を奪った罪は重い。」
「い…嫌ですっ!」
泣いてすがるカンナの腕を優しくなでて、外させ、最期にもう一度だけ振り返った。
深い森色の目から涙を流してこちらを見上げるカンナの頬を両手で包んだ。
「あなたに会えて良かった。もし来世で再び会うことが出来たら、その時は、この手を絶対に離しません。」
「来世など。あるかどうかもわからないのにっ。」
ジーク自身も、本当に来世があるとは思っていない。だが、来世があって、そこではカンナと幸せに暮らしていると信じたい。
それ以外にもう、二人が共に生きられる道が無いのだから。
ジークは泣き崩れるカンナをアレックスに託すと、墓地を出て行った。
「…カンナ。愛してる。」
優しい風が銀色の髪を揺らす。
呟いた声を乗せた風が王都の空へ舞い上がった。