表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よっさん  作者: 斉彬
4/31

春 - 相談

 大学の中庭では、桜がほころび始めていた。満開にはまだ遠い。枝先に淡い色がにじむだけで、全体はどこか頼りない。


 私はサークルの部室で、湯気の立つ紙コップを両手で包んでいた。向かいに座るのは、同じ学年の美咲だ。ボランティアサークルに入ってから、一番長く一緒に活動している。


 「この前さ、炊き出しのときに話しかけられて」


 私はなるべく軽い調子で切り出した。


 「話しかけられるって、誰に?」


 「ほら、いつも端っこに座ってるおじいさん。ちょっと上品な話し方の」


 「ああ、あの人。よっさんって呼ばれてる人?」


 名前が自然に出てきたことに、少しだけ驚く。


 「うん。その人に、聞かれたの。なんでここにいるのか、って」


 美咲は笑った。


 「え、面接みたい」


 「そうじゃなくて……動機を聞かれた感じ」


 私は、あの日のやり取りを簡単に話した。役に立ちたいと答えたこと。助ける側に立てている理由を問われたこと。


 話しながら、言葉が自分の中で改めて形を取る。


 美咲は少し首をかしげた。


 「でもさ、普通じゃない? 役に立ちたいって思うの」


 「うん。私もそう思ってた」


 「ていうか、そんなに深く考えなくてもいいんじゃない? やらないより、やったほうがいいでしょ」


 その言葉は、まっすぐで、迷いがない。


 やらないより、やったほうがいい。


 私もこれまで、そう考えてきた。


 「もちろん、そうなんだけど」


 私は紙コップの縁を見つめる。


 「助ける側って言われたとき、ちょっと変な感じがして。自分が上にいるみたいで」


 美咲は肩をすくめる。


 「でも実際、今はこっち側じゃん。大学に通えてて、家もあって。そこは事実でしょ」


 事実。たしかに。


 「それを自覚するのは悪いことじゃないと思うよ。むしろ、ちゃんと分かってるほうが誠実じゃない?」


 誠実、という言葉が引っかかる。


 「でもさ、向こうの人たちだって、ずっと“助けられる側”でいたいわけじゃないと思う」


 「そりゃそうでしょ。でも今は困ってるから来てるんだし」


 美咲はコーヒーを一口飲んだ。


 「アユミ、ちょっと考えすぎじゃない?」


 その言い方に悪意はない。むしろ心配しているようだった。


 「私たちができることって限られてるよ。全部背負おうとしたら、続かないって」


 続かない。


 それもまた、現実的な言葉だ。


 「私、正直さ、ああいう活動ってシンプルでいいと思ってるんだよね」


 美咲は窓の外の桜を指さす。


 「お腹が空いてる人に、ご飯を渡す。それ以上でもそれ以下でもない。そこに変に哲学とか持ち込むと、動けなくならない?」


 哲学。


 よっさんの顔が浮かぶ。静かな目。問いの置き方。


 「動けなくなる、か……」


 私は小さく繰り返す。


 もし、問いを抱えすぎたら。もし、自分の立ち位置ばかりを気にしたら。手は止まってしまうのだろうか。


 「アユミはさ、真面目なんだよ」


 美咲は笑う。


 「でもさ、真面目すぎると疲れるよ。私たち、まだ三年だよ? 全部答え出す必要ないって」


 その言葉は、やさしい。


 全部答えを出す必要はない。


 それは、よっさんが言ったことにも少し似ている。ただし、意味の向きが違う。


 「……美咲はさ、自分が“助ける側”にいるって言われても、気にならない?」


 「うーん」


 彼女は少し考える。


 「気にならないって言ったら嘘かも。でも、だから何? って感じかな。今はこっち側にいる。それだけじゃない?」


 それだけ。


 私は頷きながら、どこか納得しきれない自分を感じる。


 立っている場所は事実だ。けれど、その理由を問われたとき、私はまだ揺らぐ。


 部室の外で笑い声が響く。新入生らしき集団が通り過ぎる。春の空気は軽い。


 「よっさんって、ちょっと変わってるよね」


 美咲がふと思い出したように言う。


 「でもさ、あの人が何言っても、私たちのやってることは変わらないよ」


 変わらない。


 私はその言葉を胸の中で転がす。


 本当に、変わらないだろうか。


 問いを抱えたまま鍋の前に立つのと、何も考えずに立つのとでは、見える景色が違う気がする。


 「ありがとう。ちょっと、話せてよかった」


 私はそう言って立ち上がる。


 部室を出ると、桜の枝先が風に揺れている。花はまだまばらだ。けれど確実に、咲く準備をしている。


 やらないより、やったほうがいい。


 全部答えを出す必要はない。


 そして、なぜここにいるのか。


 なぜ助ける側に立てているのか。


 いくつもの言葉が、胸の中で並んでいる。


 私はまだ、どれを選ぶか決めていない。


 それでも、選ばないまま歩くことはできる。


 春は、まだ始まったばかりなのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ