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よっさん  作者: 斉彬
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秋 - 秋のベンチ

 十一月の終わり、空は高く澄み、光は冷たく地面に落ちていた。


 川沿いの木々は葉をほとんど落とし、枝の重なりがはっきりと見える。


 風が吹くたび、地面に残った葉が乾いた音を立てて動いた。


 アユミはベンチに座っていた。


 講義を終えて、そのままここまで歩いてきた。


 歩く理由は特にない。


 ただ、足がこの道を覚えている。


 川の流れは変わらない。


 季節が進んでも、その速さは同じだった。


 アユミはしばらく、水面の揺れを見ていた。


 光が細かく砕けて、すぐに形を失う。


 指先が少し冷える。


 手をこすり合わせると、乾いた感触だけが残る。


 遠くで人の声がする。


 意味は届かないまま、風に流されていく。


 やがて、足音が近づく。


 ゆっくりとした歩幅。


 聞き慣れた音だった。


 よっさんが隣に座る。


 帽子を軽く直し、杖を横に置く。


 言葉はすぐには出てこない。


 同じ方向を見ているだけで、時間が過ぎる。


 しばらくして、よっさんが言う。


 「枝だけになると、形がよく見えるものだね」


 アユミは顔を上げる。


 川の向こうの木々を見る。


 重なり合った細い線が、空に浮かんでいる。


 「余分なものが落ちると」


 よっさんは続ける。


 「残っているものが、はっきりする」


 風が通る。


 枝がわずかに揺れる。


 アユミはその言葉を聞く。


 この数ヶ月のことを思い出す。


 うまくいかなかったこと。


 離れていったもの。


 残ったもの。


 それらは整理されているわけではない。


 けれど、前よりも少しだけ見えやすくなっている気がした。


 アユミは息を吐く。


 白くなる前に、空気に溶ける。


 「前よりも」


 ゆっくり言う。


 「わからないことが増えました」


 よっさんは小さく頷く。


 「それでいい」


 短い言葉だった。


 それ以上は足さない。


 アユミは続ける。


 「でも」


 言葉を探す。


 考えたことを、そのまま置くように。


 「何をするかは、少しだけ決まりました」


 よっさんは視線を向ける。


 「ほう」


 それだけ言う。


 アユミは川を見る。


 流れの上に、光が重なっている。


 「大きなことは、できないと思います」


 「変えられないことも、多いと思います」


 言葉は静かに出てくる。


 止まらずに続く。


 「それでも」


 少しだけ間を置く。


 「その場にいることは、やめないでいようと思います」


 風が強くなる。


 水面が揺れる。


 よっさんは何も言わない。


 ただ、聞いている。


 アユミはそれ以上言葉を重ねない。


 十分だと思った。


 よっさんはゆっくり頷く。


 「なるほど」


 その一言だけだった。


 評価でも、導きでもない。


 ただ、受け取ったという印のような言い方。


 しばらく、二人は何も話さない。


 川の音だけが続く。


 よっさんはやがて立ち上がる。


 杖を手に取る。


 「風が冷たくなった」


 静かに言う。


 「無理はしないことだ」


 それだけ言って、歩き出す。


 背中はいつもと同じだった。


 けれど、振り返ることはなかった。


 アユミはそのまま座っている。


 呼び止めない。


 言うべきことは、もう残っていなかった。


 やがて姿が見えなくなる。


 ベンチには、自分だけが残る。


 風が通る。


 空の色が、少しずつ落ちていく。


 アユミはしばらく動かなかった。


 川の流れを見る。


 同じ場所に、水は留まらない。


 それでも、流れそのものは続いている。


 足音が近づく。


 ベンチの端で、少しだけ止まる。


 アユミは顔を上げる。


 見知らぬ人が立っていた。


 座るかどうかを迷うように、視線を落としている。


 アユミは何も言わない。


 少しだけ体をずらす。


 空いた分だけ、場所ができる。


 その人は小さく会釈をして、端に腰を下ろす。


 距離は少しある。


 触れ合うことはない。


 言葉もない。


 風が二人の間を通り抜ける。


 それで十分だった。


 アユミは前を見る。


 流れは続いている。


 どこまでも。


 季節は、次の方へ進んでいた。

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