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よっさん  作者: 斉彬
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秋 - よっさんの問い

 十一月に入ると、空気ははっきりと冷たさを帯びるようになった。


 朝の道を歩くと、吐く息がわずかに白く見えることがある。


 川沿いの木々も、色を変え始めていた。


 アユミは講義のあと、一人で外に出た。


 空は高く、光はどこか遠く感じられる。


 人の流れから少し離れ、ゆっくり歩く。


 特に目的があるわけではなかった。


 ただ、歩いていると落ち着く気がした。


 キャンパスの端を抜けると、街の音が少しだけ変わる。


 車の音や、人の声が混ざり合う。


 それでも、どこか均一に流れている。


 アユミはその中を歩きながら、何かを考えようとしていた。


 けれど、はっきりした形にはならない。


 ミカの言葉を思い出す。


 向いてない気がする、という言い方。


 あのときの表情。


 迷いはなかった。


 それは一つの選び方だった。


 アユミは川の方へ向かう。


 足は自然にそちらへ向いていた。


 夕方には少し早い時間だったが、光はすでに傾き始めている。


 川沿いの道に出ると、風がまっすぐ通り抜ける。


 冷たさが、手の表面に残る。


 ベンチが見える。


 よっさんは、すでにそこに座っていた。


 帽子をかぶり、いつものように杖を横に置いている。


 アユミが近づくと、よっさんは顔を上げた。


 「やあ」


 穏やかな声だった。


 「こんにちは」


 アユミはベンチの端に座る。


 少し距離をあける。


 川の水は、変わらない速さで流れている。


 しばらく、言葉は交わされない。


 風の音と、水の流れだけがある。


 やがて、よっさんが口を開く。


 「このところ、よく考えているようだね」


 アユミは少しだけ視線を落とす。


 「そう、かもしれません」


 はっきりとは言えなかった。


 考えているのか、ただ立ち止まっているのか、自分でもよくわからない。


 よっさんは軽く頷く。


 「良いことだ」


 それだけ言う。


 アユミは川を見る。


 水面に、光が細かく揺れている。


 「友達が、サークルをやめました」


 少ししてから言う。


 「ほう」


 よっさんはそれ以上は問わない。


 アユミは続ける。


 「間違っていないと思います」


 その言葉は、前にも口にしたものだった。


 「そうだろうね」


 よっさんは静かに答える。


 アユミは息を吐く。


 冷たい空気が胸に入る。


 「でも」


 言葉が少し止まる。


 何を言おうとしているのか、自分でもはっきりしない。


 それでも続ける。


 「自分がどうするかは、まだわかりません」


 よっさんはアユミの方を見る。


 その視線は変わらず穏やかだった。


 「きみは、この夏」


 ゆっくりと言う。


 「いくつかの場所にいたね」


 アユミはうなずく。


 相談室。


 夜の橋の下。


 いくつかの顔が浮かぶ。


 「何かが変わっただろうか」


 問いは静かだった。


 けれど、避けることはできなかった。


 アユミは考える。


 あの人たちのこと。


 自分のこと。


 答えはすぐに出る。


 「……あまり、変わっていないと思います」


 よっさんは頷く。


 「そうだろう」


 その言い方は、前と同じだった。


 否定ではなく、確かめるような響き。


 よっさんは川を見る。


 「それでも、きみはそこにいた」


 風が少し強くなる。


 水面が揺れる。


 アユミは何も言わない。


 答えはまだ形にならない。


 よっさんは続ける。


 「人はしばしば」


 ゆっくりとした口調で言う。


 「何かを変えるために動こうとする」


 杖の先で地面を軽くなぞる。


 「だが実際には」


 少しだけ間を置く。


 「変えられることは多くない」


 アユミはその言葉を聞く。


 すでに知っていることのようでいて、完全には受け止めきれていない。


 よっさんはアユミの方を向く。


 「では」


 声は静かだった。


 「きみは、何をしていたのだろう」


 問いがそのまま置かれる。


 アユミは答えない。


 言葉が見つからない。


 ただ、あの場所にいた自分の姿が浮かぶ。


 何もできなかった時間。


 それでも、その場を離れなかったこと。


 よっさんは少しだけ目を細める。


 「もう一つ、尋ねよう」


 その言い方は変わらない。


 穏やかで、逃げ場がない。


 「きみは」


 アユミを見る。


 その視線は静かにまっすぐだった。


 「誰の隣に座る人間になりたいのだろう」


 風が通る。


 葉が一枚、足元に落ちる。


 川の音が続く。


 遠くで誰かの話し声が聞こえる。


 アユミは答えない。


 すぐには言えない問いだった。


 けれど、その言葉は消えなかった。


 胸の奥に、そのまま残る。


 よっさんは小さく頷く。


 それ以上は何も言わない。


 ゆっくりと立ち上がる。


 杖を手に取る。


 「考えるといい」


 それだけ言う。


 歩き出す。


 背中は、いつもと同じだった。


 アユミはベンチに残る。


 川の流れを見つめる。


 さっきの問いが、形を持たないまま残っている。


 誰の隣に座るのか。


 それは、何をするかとは少し違っていた。


 風が冷たくなる。


 日が少しずつ落ちていく。


 アユミはしばらく動かなかった。


 答えはまだない。


 けれど、問いだけが、はっきりとそこにあった。

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