春 - 帰り道
川沿いを離れると、風の匂いが変わった。水気を含んだ冷たさが、ビルの隙間を抜ける乾いた空気に変わる。私はエコバッグを肩にかけ直し、駅へ向かって歩き出した。
「君は、なぜここにいるのかね」
最初の問いは、思いのほか静かだった。責める調子ではなく、ただ事実を確かめるような響きだった。
私は「ボランティアで」と答えた。けれどあれは、理由ではなく説明だったのかもしれない。行為の名札を差し出しただけで、中身までは語っていない。
なぜ、ここにいるのか。
サークルの先輩に誘われたから。単位にもなるから。履歴書に書けるから。どれも嘘ではない。けれど、どれを選んでも、胸の奥が少しざらつく。
誰かの役に立ちたいと思ったから、とも言った。あの言葉は、間違いではないはずだ。それでも、どこか薄い。
交差点の信号が赤に変わる。足を止め、川の方角を振り返る。高架の影は、もう夕闇に溶けている。
私は今日、何をしたのだろう。
味噌汁を配った。挨拶をした。紙コップを補充した。それらは確かに行為として存在する。けれど、「ここにいる理由」として語るには、どこか足りない。
ここにいる。
その言葉には、立ち位置の問題が含まれている気がする。どちら側に、どの高さに、どんな顔で立っているのか。
「君は、なぜ“助ける側”に立てているのかな」
二つ目の問いは、少しだけ重かった。
助ける側。私はその言い方に違和感を覚えながら、否定はしなかった。実際、私は鍋のこちら側に立ち、並ぶ人たちに味噌汁を手渡していた。立っている場所は明らかに違う。
運が良かっただけ、と私は答えた。
あの瞬間、胸の奥に小さな安堵が広がった。努力でも才能でもなく、運。誰の責任にもならない言葉。自分を特別扱いしないための言葉。
けれど、本当にそれだけだろうか。
大学に通うことを選んだのは私だ。東京に出てきたのも私だ。アルバイトをし、家賃を払い、友人とカフェで笑う日常を積み重ねている。その選択の連なりが、今の場所をつくっている。
それを「運」の一語で包んでしまうのは、少し乱暴かもしれない。
青信号に変わり、人の波が動き出す。私は流れに合わせて歩く。
助ける側に立てている理由。
そこには、私の家族も含まれている。新潟の実家。父の仕事。母の弁当。雪の重みを支える屋根。そうした背景が、私をこちら側へ押し上げている。
もし生まれる場所が違っていたら。
考えようとすると、思考がぼやける。想像はできても、実感が伴わない。私は段ボールの硬さを知らないし、夜の川風の冷たさを経験していない。
知らないことの上に、私は立っている。
駅の階段を上りながら、ふと自分の靴を見る。汚れていない。底もまだ厚い。今日の炊き出しで、地面にしゃがんだときの感触を思い出す。アスファルトは冷たかった。けれど私は、すぐに立ち上がれた。
立ち上がれる、ということ。
それもまた、「助ける側」に立つ条件の一つなのかもしれない。
ホームに着くと、風が吹き抜けた。三月の空気はまだ硬い。新潟では、今ごろ庭の雪がようやく解け始める頃だ。雪の下から顔を出す土は、湿って重い。その匂いを思い出す。
芽は、地面の下で静かに形をつくる。
よっさんは春のことを言っていた。問いに急いで答えを出す必要はない、と。
私は、ここにいる理由をまだ言葉にできない。助ける側に立つ理由も、ひとつではない気がする。
けれど今日、初めてその位置を意識した。
これまで私は、立っている場所を疑わなかった。教室でも、アルバイト先でも、友人との関係でも。自分がどちら側か、考える場面はほとんどなかった。
川沿いで、境界が見えた。
線は引かれていない。それでも確かにある。
電車がホームに滑り込む。扉が開き、車内の暖気が流れ出す。私は乗り込み、窓のそばに立つ。ガラスに映る自分の顔は、朝と同じはずなのに、どこか輪郭がはっきりしている。
なぜここにいるのか。
なぜ助ける側に立てているのか。
答えはまだまとまらない。それでも、問いは私の中に根を張り始めている。
電車が動き出す。街の灯りが後ろへ流れていく。
私はもう一度、あの場所に行くのだろうか。
確かめたいのは、誰かを助けるためなのか。それとも、自分の立ち位置を知るためなのか。
理由はまだ曖昧だ。
それでも、今日の問いは消えない。
消えないまま、私の足取りに静かに寄り添っている。




