夏 - 小さな相談
相談室は、昼の光がよく入る部屋だった。
窓が大きいからだと、アユミは思う。
夏の光は強く、机の上の紙を白くする。
扇風機がゆっくり回っている。
ミカは椅子に座り、メモ帳をめくっていた。
「今日は静かだね」
「うん」
アユミは答える。
相談室の当番にも、だいぶ慣れてきた。
最初は、椅子の位置や紙コップの水ばかり気になっていた。
今は、少し違う。
ここに座る時間が、前より長く感じなくなった。
ミカが言う。
「そういえば」
「ん?」
「この前の子」
アユミは顔を上げる。
最初に相談に来た一年生の女子。
ミカが続ける。
「どう思った?」
アユミは少し考える。
その子は、はっきりした悩みを持っていたわけではなかった。
ただ、話した。
授業のこと。
友達のこと。
寮の部屋が少し狭いこと。
そして最後に、こう言った。
「なんとなく不安で」
それが相談の中心だった。
「……小さいことだった」
アユミは言う。
ミカが笑う。
「小さい?」
「うん」
アユミは頷く。
「でも」
言葉を探す。
「大きかった」
ミカは「どっち」と笑う。
そのとき、扉がノックされた。
軽い音。
ミカが言う。
「どうぞ」
扉が開く。
入ってきたのは、また学生だった。
今度は男子。
少し背が高い。
バッグの紐を握っている。
「……相談、いいですか」
ミカが頷く。
「どうぞ」
男子学生は椅子に座る。
しばらく黙っている。
アユミは急かさない。
よっさんの声が、ふと思い出される。
——良い問いは、急がない。
男子学生が口を開く。
「たいしたことじゃないんですけど」
「はい」
「なんか」
言葉を探す。
「大学、向いてない気がして」
沈黙。
ミカがメモを取る。
アユミは学生を見る。
その表情は、深刻というより、迷っている感じだった。
「授業が難しい?」
アユミが聞く。
「いや」
男子学生は首を振る。
「それは大丈夫なんですけど」
「友達?」
「それも、まあ」
また沈黙。
男子学生は少し笑う。
「全部普通なんです」
アユミは待つ。
男子学生は続ける。
「普通なんですけど」
「はい」
「なんか、自分だけ違う場所にいる感じがして」
アユミは頷く。
その感覚は、少しわかる気がした。
男子学生は言う。
「みんなちゃんと大学生やってるのに」
「うん」
「自分だけ、たまたま座ってるだけみたいな」
アユミは少し考える。
答えを急がない。
よっさんの問いが頭をよぎる。
人はなぜ他人を助けようとするのだろう。
助ける。
でも、何を。
アユミは男子学生に聞く。
「ここに来た理由って、なんですか」
男子学生は少し驚く。
「理由?」
「うん」
「相談室に」
男子学生は考える。
しばらくして言う。
「……誰かに話したかった」
その言葉は、静かだった。
アユミは頷く。
「じゃあ」
「?」
「それは、もうできてる」
男子学生が少し笑う。
「そうですね」
アユミは続ける。
「大学が向いてるかどうかは」
少し考える。
「たぶん、すぐにはわからないと思う」
男子学生は黙って聞いている。
「でも」
アユミは言う。
「今ここに座ってるのは、偶然じゃないと思う」
男子学生が顔を上げる。
アユミは笑う。
「たまたまでも、座ってるなら」
机を軽く指で叩く。
「しばらく座ってみてもいいと思う」
男子学生は少し考える。
それから、ゆっくり頷く。
「……そうですね」
表情が少しだけ軽くなる。
ミカが言う。
「また来てもいいよ」
「はい」
男子学生は立ち上がる。
「ありがとうございました」
扉が閉まる。
相談室に静けさが戻る。
ミカがアユミを見る。
「今の」
「うん」
「よかったよ」
アユミは少し照れる。
「そうかな」
ミカは笑う。
「うん」
それから言う。
「なんかさ」
「?」
「アユミ、ちょっと変わったね」
アユミは窓の外を見る。
夏の光が中庭に落ちている。
川のベンチを思い出す。
よっさんの問い。
——人はなぜ他人を助けようとするのだろう。
答えは、まだ完全ではない。
でも一つだけ、わかることがある。
人は、理由より先に座ることがある。
そして、その隣に誰かが座る。
それだけで、少しだけ世界が動くことがある。
相談室の扇風機が、ゆっくり回っていた。




