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よっさん  作者: 斉彬
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夏 - ベンチの人

川は、夜になると音だけが残る。


 昼間は光が流れているが、夜は水が流れている。


 その違いを、アユミは最近知った。


 ミカが前を歩いている。


 コンビニの袋を揺らしながら言う。


 「ほんとに戻ってるかな」


 「わからない」


 アユミは答える。


 先輩の言葉を思い出す。


 ——よっさん、戻ってきてるっぽい。


 川沿いの道を曲がる。


 ベンチが見える。


 そして、そこに人影があった。


 ミカが足を止める。


 「……いる」


 アユミも止まる。


 街灯の下。


 ベンチの端に、一人の男が座っている。


 帽子をかぶり、杖を横に置いている。


 川を眺めている姿は、以前と同じだった。


 ミカが呼ぶ。


 「よっさん」


 男はゆっくり顔を上げる。


 そして、柔らかく微笑む。


 「やあ」


 声は穏やかで、どこか古風だった。


 「久しぶりだね」


 その言い方は、再会を喜ぶというより、

 予定されていた出来事を確認するようだった。


 ミカが近づく。


 「どこ行ってたの」


 よっさんは少し考える。


 「旅、というほどでもないが」


 川を見ながら言う。


 「しばらく病院という場所に滞在していた」


 ミカが眉を上げる。


 「入院?」


 「そういう言い方もある」


 よっさんは穏やかに言う。


 「人は、倒れると、少し世界を観察する時間を与えられるらしい」


 ミカが袋を差し出す。


 「パン」


 「ありがとう」


 よっさんは丁寧に受け取る。


 袋を開ける動作まで、妙に整っている。


 アユミはまだ立っていた。


 よっさんが視線を向ける。


 「きみも座りたまえ」


 アユミはベンチの端に腰を下ろす。


 川の匂いがする。


 水の流れる音。


 しばらく三人で黙っていた。


 よっさんがパンを一口食べる。


 それから、ふとアユミを見る。


 「さて」


 その声は静かだった。


 「きみに一つ、尋ねてもよろしいかな」


 アユミは少し驚く。


 「……はい」


 よっさんは川を指さす。


 「人は、なぜ他人を助けようとするのだろう」


 ミカが笑う。


 「またそれ?」


 よっさんは微笑む。


 「良い問いは、何度でも良い」


 アユミは黙る。


 その問いは、軽い雑談ではない。


 考えないといけない種類のものだった。


 川の音が続く。


 アユミは言う。


 「……助けたいから」


 よっさんは首をかしげる。


 「ほう」


 「では、なぜ助けたいのだろう」


 問いが続く。


 アユミは少し考える。


 そして言う。


 「困ってる人がいるから」


 よっさんは頷く。


 「なるほど」


 それから、少し笑う。


 「だが」


 川を見る。


 「困っている人は、助けを望んでいないこともある」


 アユミの胸が、少しだけ動く。


 あの夜のことを思い出す。


 拒絶された夜。


 よっさんは続ける。


 「では、改めて尋ねよう」


 静かな声。


 「それでも、人はなぜ他人を助けようとするのだろう」


 アユミは答えない。


 答えがすぐに出ない。


 ミカも黙っている。


 川の水が流れている。


 アユミは、ゆっくり言う。


 「……たぶん」


 言葉を探す。


 「助けたいっていうより」


 少し息を吐く。


 「一人にしておきたくないんだと思います」


 よっさんは、しばらく何も言わない。


 アユミは続ける。


 「この前、夜回りで失敗しました」


 「ほう」


 「話しかけた人に怒られて」


 「うむ」


 「何もできなかった」


 沈黙。


 川の音。


 アユミはベンチを見る。


 「でも」


 「?」


 「隣には座ってました」


 よっさんの目が、少し細くなる。


 アユミは言う。


 「それだけしかできなかったけど」


 川を見る。


 「それでも、いいのかなって」


 言い終わる。


 しばらく静かだった。


 そして。


 よっさんが、ゆっくり頷く。


 その顔は、満足そうだった。


 「なるほど」


 穏やかな声。


 「きみは、良い答えを見つけたようだ」


 ミカが笑う。


 「満足?」


 よっさんは立ち上がる。


 杖を手に取る。


 「実に」


 ベンチを軽く叩く。


 「ベンチというものは、面白い」


 川を見る。


 「王座ではない」


 少し笑う。


 「だが、隣に座ることができる」


 それだけ言う。


 そして歩き出す。


 ミカが言う。


 「もう行くの?」


 よっさんは振り向く。


 「良い答えを聞いた夜は」


 柔らかく微笑む。


 「長居をするものではない」


 街灯の外へ歩いていく。


 影が少しずつ溶ける。


 アユミが呼ぶ。


 「よっさん」


 男が振り向く。


 アユミは少し考える。


 そして言う。


 「また来ます」


 よっさんは頷く。


 「知っている」


 それだけ言って、歩いていく。


 川の音が残る。


 ミカがベンチに座り直す。


 「ほんと、あの人なんなの」


 アユミは川を見る。


 夜の水が流れている。


 ベンチの上に風が吹く。


 アユミは思う。


 助ける理由は、まだよくわからない。


 でも一つだけわかることがある。


 ここに座ることはできる。


 そして、その隣にも。


 川は、静かに流れていた。

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