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生活の跡  作者: 鷺沼鳩屋
残したもの、残ったもの
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3/13

二十七袋

冷凍庫の扉が閉まらなかった。


榊冬一はしゃがんだまま、奥へ押し込んでみた。


閉じる。


手を離す。


少しして、また開いた。


「何か噛んでるか?」


佐伯が後ろから覗く。


「たぶん、中身です」


冷凍庫を開ける。


一番手前に、冷凍炒飯があった。


その後ろにも同じ袋。


さらに奥にもある。


冬一は一袋ずつ出して床の箱へ移した。


五袋。


八袋。


十二袋。


佐伯が聞く。


「まだある?」


「あります」


十五。


十九。


二十二。


最後に、引き出しの奥から五袋出た。


冬一が数え直す。


「二十七です」


「店できるな」


佐伯が言った。


村瀬佳奈が台所へ来た。


亡くなった兄、孝明の部屋だった。


「何がですか?」


佐伯が箱を指す。


「炒飯が」


佳奈が中を見る。


「全部同じ?」


「同じですね」


冬一が一袋持ち上げた。


外装の色も商品名も同じだった。


佳奈が笑う。


「兄、これ好きだったんですね」


袋を受け取る。


表に印刷された炒飯の写真を見た。


少しして、


「……好きだったのかな」


と言った。


「どうかしました?」


冬一が聞く。


佳奈は写真の一角を指した。


緑色の小さな粒がいくつも写っている。


「グリーンピース、嫌いだったんですよ」


子供の頃、家で炒飯が出ると、孝明は自分の皿のグリーンピースを佳奈の皿へ移した。


一粒ではない。


全部。


佳奈も嫌いだったので、見つけるたび兄の皿へ戻す。


するとまた来る。


「最初は箸でやってたんですけど、そのうち面倒になって、兄がスプーンでまとめて私の皿に入れてくるんです」


「豪快ですね」


佐伯が笑った。


「私もまとめて返すんですよ」


「食べないんですか」


「二人とも食べないです」


母親に見つかるまで続ける。


最後にはどちらの皿に何粒あったのか分からなくなり、


「二人とも食べなさい」


と怒られる。


「兄が『佳奈の方が多い』って言うんですよ。自分が最初に入れたくせに」


「お兄さんですね」


冬一が言う。


「そうなんです」


佳奈は笑った。


もう一度、袋を見る。


「大人になって食べられるようになったのかな」


答えられる人はいなかった。


佳奈は袋を箱へ戻した。


「全部処分でお願いします」


「分かりました」


冷凍庫の扉は、今度はきちんと閉まった。


孝明の部屋は二DKだった。


物はそれほど多くない。


本棚と机、箪笥。寝室にはベッド。押し入れの半分は空いている。


佳奈からは、通帳や印鑑などの書類と写真だけ確認し、それ以外は基本的に処分するよう頼まれていた。


冬一は机を担当し、佐伯は台所の続きを始めた。


引き出しには筆記具、電池、領収書。


旅行会社の封筒が一つ出た。


「村瀬さん」


佳奈へ渡す。


中には予約票ではなく、古い観光案内が入っていた。


山間の温泉地。


佳奈が見る。


「兄、ここ行ったのかな」


「日付はあります?」


「ないですね」


地図には何か所か折り目がついている。


それだけだった。


「旅行、好きだったんですか?」


冬一が聞いた。


佳奈は笑った。


「私が知ってる兄は、家族旅行に行くたび『家で寝てる方がいい』って言う人です」


「変わったのかもしれませんね」


とは冬一は言わなかった。


佳奈もそれ以上考え込まなかった。


「これは処分で」


封筒ごと戻す。


机の下から何冊か本が出た。


知らない作家の小説。


古い雑誌。


近郊の低山を紹介する薄いガイドブック。


佳奈がガイドブックを見て、


「山?」


と笑った。


ページをぱらぱらとめくる。


「兄、神社の階段でも文句言う人だったんですけど」


佐伯が台所から、


「登山に目覚めたんじゃないですか」


と言う。


「だったら一回くらい言ってくれればよかったのに」


佳奈はそう言って、ガイドブックを閉じた。


処分になった。


箪笥の一段目には下着。


二段目には靴下。


冬一が引き出しを抜くと、黒い靴下ばかりが並んでいた。


柄もほとんど同じ。


佳奈が横から見て、すぐ笑った。


「これは変わってない」


「昔からですか」


「高校くらいから全部黒です」


朝、左右を揃えるのが面倒だから。


同じ物を何足も買えば、片方なくしても困らない。


孝明がそう言い出した。


母親は、


「ちゃんと一組ずつ畳みなさい」


と言った。


孝明は、


「同じだから組み合わせなんてない」


と言い返した。


「母がすごく嫌がってました」


佳奈は一足取る。


「たまに濃紺が混ざってるんですよ」


「黒じゃない」


「本人は黒だって言い張るんです」


ある朝、片方が黒、片方が濃紺のまま学校へ行った。


帰宅して母に指摘されても、


「靴履けば見えない」


で終わった。


「私、兄のこういうとこ嫌いだったな」


佳奈は笑いながら言った。


靴下を戻す。


「全部お願いします」


冬一は袋へ入れた。


変わらなかったものもある。


分からなくなったものもある。


午後に入る前、押し入れから薄いアルバムが一冊出た。


佳奈が畳へ座って開く。


幼い孝明。


幼い佳奈。


家族旅行。


運動会。


海。


一枚の写真で、佳奈が手を止めた。


兄妹二人で砂浜に立っている。


孝明は口をへの字に曲げ、佳奈も不機嫌そうな顔をしていた。


「何で二人とも怒ってるんですか」


佐伯が聞く。


佳奈は写真を近づけた。


「これ、覚えてる」


海へ行った日、浮き輪をどちらが先に使うかで喧嘩した。


孝明が先に持っていった。


佳奈が追いかけて取り返そうとした。


二人とも母親に怒られたあと、


「せっかく海に来たんだから一枚くらい一緒に撮りなさい」


と並ばされた。


「だからこの顔なんですよ」


佐伯が笑う。


「仲悪そうですね」


「この五分後には一緒に海入ってます」


「早いな」


「兄妹なんてそんなもんじゃないですか」


佳奈も笑った。


写真をアルバムから外す。


他のページも最後まで見たが、抜いたのはその一枚だけだった。


「これだけ残します」


「はい」


冬一は小さな透明袋へ入れて渡した。


「兄と二人だけの写真、私持ってないので」


アルバムは処分になった。


昼休憩。


佳奈は窓際でスマートフォンを見ていた。


画面に短い通知が出る。


「息子です」


佐伯が弁当を開けながら、


「お子さんいるんですね」


「大学二年です。一人暮らししてます」


佳奈が画面を見せるわけでもなく笑った。


「朝送った荷物が届いたって」


「何送ったんです?」


「米とレトルトと洗剤」


「喜びそうですね」


「返事、『届いた』だけですよ」


佐伯が頷く。


「届いたんでしょうね」


「それは分かるんです」


冬一も笑った。


佳奈は短く返信して、スマートフォンを伏せた。


午後は本棚と寝室を片づけた。


孝明がどんな本を読んでいたのか、佳奈の知っている題名は少なかった。


昔好きだった漫画は一冊もない。


代わりに時代小説が何冊もある。


「これも知らないな」


一冊手に取る。


少し見て戻す。


全部処分。


古い腕時計。


壊れたイヤホン。


使いかけの整髪料。


どれも迷わない。


佐伯が、


「お兄さんとはよく会ってたんですか」


と聞いたのは、寝室の棚を外している時だった。


「最近は正月くらいですね」


「遠くに?」


「いや、電車で一時間もかからないです」


佳奈は笑った。


「近い方が会わないのかもしれませんね」


絶縁していたわけではない。


会えば普通に話す。


誕生日に短いメッセージを送る年もある。


母親の用事があれば電話もする。


けれど、用事がなければ連絡しない。


「会っても昔の話ばっかりでした」


「昔の話?」


「お前、子供の頃こうだったとか。兄こそこうだったとか」


佳奈はベッド脇に落ちていた小銭を拾い、冬一へ渡した。


「最近何食べてるとか、休みの日に何してるとか、そういう話はしなかったですね」


冬一は小銭を確認用の袋へ入れた。


何も返さなかった。


夕方には、部屋の大半が空になった。


家具がなくなると、二DKは思っていたより広かった。


冷蔵庫も搬出する。


その前に、朝出した冷凍食品を処分することになった。


箱の中には、同じ炒飯が二十七袋。


佐伯が持ち上げる。


「改めて見るとすごいな」


「一日一袋でも一か月近いですね」


佳奈が言う。


「途中で飽きそうです」


冬一が一袋持った。


佳奈が、


「ちょっといいですか」


と手を出す。


渡す。


表の写真。


グリーンピース。


朝と同じ袋だった。


佳奈はしばらく見た。


「兄、これ、どうやって食べてたんでしょうね」


「どうやって?」


佐伯が聞く。


「グリーンピース」


指先で写真を示す。


「食べられるようになったのか、一個ずつ除けてたのか」


佐伯も袋を見る。


冬一は答えなかった。


佳奈が冬一を見る。


「分からないですよね」


「分かりません」


「ですよね」


佳奈は笑った。


袋を箱へ戻す。


「全部お願いします」


一袋も残さなかった。


冷凍庫は空になった。


冷蔵庫を運び出し、電源コードをまとめる。


最後に冬一と佐伯で部屋を確認した。


写真は一枚。


書類は必要な物だけ。


それ以外の孝明の物は、すべて処分することになった。


佳奈は何度か部屋を見回したが、追加で残した物はなかった。


作業が終わり、外へ出る。


トラックの荷台には、孝明の部屋から運び出した物が積まれていた。


二十七袋の炒飯もその中にある。


佳奈は透明袋に入れた海辺の写真を鞄へしまった。


それからスマートフォンを出した。


画面を少し見て、電話を掛ける。


相手が出た。


「もしもし。今平気?」


少し待つ。


「うん。別に用事ってほどじゃないんだけど」


佐伯はトラックの後ろへ回った。


冬一も荷台の確認を続ける。


佳奈の声だけが聞こえる。


「ねえ、あんた、今いちばん好きな食べ物って何?」


電話の向こうで何か言った。


「何急にって、いいから」


また返事。


佳奈が少し驚いた顔をした。


「麻婆豆腐?」


間。


「あんた、辛いの嫌いだったじゃない」


向こうから長めの返事が返る。


佳奈は聞いていた。


やがて笑う。


「それ、小学生の時の話?」


少しして、


「そっか」


と言った。


トラックの扉が閉まる。


佳奈は電話を耳に当てたまま、歩道の端へ少し移動した。


「じゃあ今度、それ食べに行こう」


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