第6枠 初心者講習と初討伐
ギルドの扉を押すと、昨日とは違う、静かな朝の空気が迎えてくれた。
早い時間だからか冒険者の姿はまばらで、受付の職員が黙々と書類を整理している。昨日教えられた通り、ギルドの奥にある広めの部屋へ向かうと、すでに数人の若者が、思い思いの場所に座っていた。
腰に剣を下げた体格のいい男。杖を抱えた魔法使いらしき女性。革鎧を身に着けた小柄な少年。ざっと見渡して6人だ。全員が、それなりに戦えそうな装いをしている。
その中で、武器も防具もなしの旅人ルックが一人、俺である。
案の定、何人かの視線がこちらに刺さった。信じられない、あいつ丸腰だぞ、という顔をした者もいれば、単純に珍しい動物を見る目の者もいる。
絡まれる気配はなかったので、会釈だけして適当な椅子に腰を下ろした。
席につきながら、こっそり意識の中で起動操作をなぞる。ぽん、と視界の端にダッシュボードが浮かんだ。
スキル欄は、歌唱の下に伏せ字が五つ。称号も加護も秘匿のまま。昨夜寝る前に確認した時と、何も変わっていない。
条件を満たすことで順次解放されます、というあの注釈。条件とやらが何なのか、ヒントのひとつでも書いておいてほしいものだ。運営への要望、送れるものなら送りたい。
画面を閉じたところで、扉が開いた。
入ってきたのは、50歳くらいの大柄な男だった。肩幅が広く、首が太い。顔には古傷がいくつも刻まれていて、まとっている雰囲気から普通の人間ではないと分かる。それでいて目元は穏やかで、怖いというより、頼りがいという言葉が服を着て歩いているような存在感だった。
「いち、に……よし、全員いるな。俺はギルドマスターのガイだ。新人講習は毎回俺がやってる。堅苦しい挨拶は抜きだ、さっさと始めるぞ」
ギルドマスター直々の講習。ありがたい話だが、新人6人のためにトップが出てくるあたり、この街の人手不足が透けて見える気もした。
講習は、思ったより中身が濃かった。
まず魔物と冒険者のランク。最弱のFから、災害扱いのSまで七段階。冒険者は依頼の達成数と実力審査で少しずつ昇級していくこと。
それからパーティ編成の基本。
「パーティは同ランク帯で組むのが無難だ。実力差がありすぎると、守る側も守られる側も足をひっぱりあってしまうからな。次に、パーティにおける役割は分かるな?剣士や斧使いのような近接アタッカー、矢面に立つタンク、魔法使いのような後衛アタッカー、回復役のヒーラー。これらが揃ってるのが理想形だ。…そして」
ガイさんの視線が、ちらりとこちらを向いた。
「今日は珍しく、吟遊詩人がいる。バッファーって役割を、実際に見たことあるやつは?」
誰も手を挙げなかった。
「だろうな。俺も現役時代、パーティにいたことがねえ。仲間の能力を底上げする、理屈じゃ分かってるが、実際どれほど変わるもんなのか、正直俺も体感したことがない」
元Aランクだというギルドマスターですら、バフを受けたことがない。ゲームの常識ではバフ・デバフこそ攻略の要なのに、この世界では担い手が少なすぎて、重要性そのものが知られていないらしい。
なるほど、と俺は思った。需要はあるのになり手がいない、とイリスさんも言っていた。つまりこの職業、ブルーオーシャンというやつではないか。…いやまぁ、あまり冒険者として有名になるのもなんか怖いが。
「せっかくだ、後で実際にやってもらうぞ」
ガイさんはそう言って、話を先へ進めた。
スキルと加護についての説明もあった。スキルは生まれつきの才と修練で身につく力で、測定水晶で視えるのはその名前まで。
細かい効果や使い方は、本人が使い込んで掴むしかないこと。加護は神々からの贈り物で、持っているだけで一目置かれるが、効果は人それぞれで、本人にすら全容が分からないことも珍しくないらしい。
「ちなみにステータスってのは、神殿の管理物だ。測定水晶も神殿からの貸与品でな。視たけりゃ水晶のある場所まで行くしかない。自分の力ぐらい自分で視たいもんだが、こればっかりは世の決まりだ。だからこそ、お前らに渡したギルド証は大事にしろよ。登録時のステータスが転写された、お前らの唯一の証明書だ」
なるほど。やはりこの世界の標準では、ステータスはいつでも気軽に視られるものじゃないらしい。
いつでも好きな時に裏画面を呼び出せる俺は、相当な反則をしていることになる。スキルの詳細が分からないのが当たり前の世界で、俺のダッシュボードには、解放さえされれば説明文まで表示されるのだから。
神様、あんたの作った依り代、過保護すぎやしないか。
「それと犯罪歴の話だ。重罪人は測定水晶で判別され、ギルド証に印が刻まれる仕組みでな。お前らのは登録時に確認済みだ、全員真っ白。胸を張れ」
座学の締めに、周辺の魔物の特徴、簡単な地理、貨幣価値、ギルドの銀行のような制度の説明があって、そして―
「よし、最後は実地演習だ。街の近くの森にFランクの魔物が出る区域がある。今日はそこで、実際に魔物と戦ってもらう。倒せなくても構わんが、逃げる時は俺の指示でだ。勝手に背中を見せるなよ、冒険者の卵ども」
新人たちがざわつき、俺も背筋が伸びた。
◇
小一時間後。俺たちは森の浅い区域に立っていた。
下草を踏む音、鳥の声、湿った土の匂い。二日前に目覚めた森と似た空気だが、今日は呑気に鼻歌を歌っている場合ではない。
「いたぞ。ほれ、あそこだ」
ガイさんが顎で示した先、木々の間の開けた場所に、緑がかった灰色の影が3体、うろついていた。
ぬめった肌、毛のない前傾姿勢の二足歩行、だらりと垂れた長い爪。忘れもしない。転生初日、俺を食おうとして、もふもふ軍団に沈められたあの雑魚だ。
「グールドッグ。Fランクの中じゃ標準的な魔物だ。動きは単純、爪の一撃だけ気をつけろ。……まずはお前ら三人、前衛組からだ。やってみろ」
剣士の青年、斧持ちの大男、革鎧の少年が、ごくりと喉を鳴らして進み出る。
戦いは、正直、素人の俺からしても見ていられないものだった。
三人とも腰が引けている。剣士は踏み込みが浅く、剣先が届かない。斧の大男は力みすぎて空振り、少年に至っては盾を構えたまま固まっている。グールドッグは雑魚とはいえ獣だ。素人の硬さを見抜いて、じわじわと囲い込みにかかる。
「ふむ。まあ、初陣はそんなもんだ。――コトギ」
ガイさんが、にやりと笑って俺を見た。
「出番だ。バフってやつを、あいつらにかけてやれ」
来た。
頷いて一歩前に出た、その瞬間だった。
ぽこん、と。
視界の端で、軽い音と共に何かが点滅した。
【お知らせ】 1件
条件達成 仲間の窮地に立つ
秘匿スキルが1件、解放されました
……このタイミングでか!
慌てて意識を向けると、スキル欄の伏せ字のひとつが、ぱりん、と音を立てて剥がれた。
――――――――――
スキル
・歌唱
・神威(解放済)
・【秘匿】???
・【秘匿】???
・【秘匿】???
・【秘匿】???
――――――――――
神威。スキル名に意識を向けると、詳細が直接、頭に流れ込んでくる。
【神威】
声や歌に乗せて発動する身体強化のバフ。攻撃力、速度、防御力を全体的に強化する。強化の度合いと対象は術者が自由に変更可能。発動中、自身にも常時適用される。
使い方を誰かに教わったわけでもないのに、やろうと思えばできる、という確信だけが体の奥にある。これが異世界のスキルという仕様らしい。
そして、自由に変更可能。さらっと書いてあるが、それは出力調整ができるということだ。加減を間違えなければ、人前でも使える。
……運営、戦闘前ぎりぎりの実装はやめろと言いたいところだが、今は助かる。
「どうした、コトギ?」
「いえ。…いきます!」
俺は息を整える。対象は前衛の三人。出力は、初めての実戦だ、控えめでいいだろう。意識の中で、つまみを軽くひねるイメージ。
そして、歌った。
歌詞のない、短く力強い旋律。背中を押す歌。スキル名は、歌に乗せて、吐息に混ぜ込むように。
「――神威」
瞬間、前衛三人の体が、ぴくりと跳ねた。
「……え?」
最初に変わったのは、固まっていた盾の少年だった。グールドッグの爪の一撃を、盾でがっちりと受け止めたのだ。さっきまでよろけていた体が、岩みたいに揺るがない。
「か、軽い!?攻撃を受けたのに、全然衝撃がない!」
「うおっ、足が、勝手に前に出る……!」
剣士の踏み込みが、見違えるほど深くなった。届かなかった剣先がグールドッグの胴を捉え、一体が倒れた。斧の大男の一撃は、力みが取れた分むしろ鋭くなり、二体目を仕留めた。残る一体は盾の少年が弾き飛ばし、体勢を崩したところを剣士が追撃して、終わった。
ほんの数十秒の出来事だった。
森に、変な沈黙が流れた。
倒した本人たちが、一番呆然としている。自分の手を見つめ、剣を見つめ、それから一斉に俺を振り返った。
「な、なあ、今の、あんたのスキルだよな!?」
「体が熱くて、怖くなくなって……なんだあれ、なんなんだあれ!」
「す、すごい……すごいよ、詩人の兄ちゃん!」
わっと囲まれて、みんなで盛り上がり、もみくちゃにされる。
ただ一人、ガイさんだけは黙っていた。腕を組み、目を細めて、倒れたグールドッグの消えた跡と、新人たちと、俺とを順繰りに見ている。
「……コトギ。今の、どれくらいの本気だ」
「えっと……控えめ、です。初めてだったので、三割くらいのつもりで」
「三割で、初陣の素人が、グールドッグ3体を無傷で狩るか」
ガイさんは低く唸って、それから、がしがしと頭を掻いた。
「俺は現役時代、Aランクまでバッファーなしでやってきた。それでも何とかなったから、まあいなくても困らんと思ってた。……これだけ変わるなら、そりゃあ俺の現役時代は、しんどかったわけだ」
苦笑するその横顔には、少しだけ、遠くを見るような色があった。
―と、その時だった。
がさり、と。
俺のすぐ後ろの茂みが、不穏な音を鳴らした。
「コトギ、後ろだ!!」
振り向いた視界いっぱいに、開いた顎と黄色い目。四体目のグールドッグが、茂みから俺めがけて跳びかかっていた。
新人たちは遠い。ガイさんも、一歩分間に合わない。
でも、不思議なほど、視界はクリアだった。
体が、勝手に動く。半歩だけ体を開いて、爪をやり過ごす。
そうだ、神威の発動中は自身にも常時適用される。三割とはいえ、俺の体も今、強化されているのだ。
着地して振り向いた魔物に向かって、俺は息を吸い込み――至近距離で、思いっきり、声を叩きつけた。
「――アァッ!!」
腹の底からの、ただの大声。だが、鍛え上げた配信者の発声法と神様特製の喉から放たれたそれは、ほとんど音の壁のような威力だった。
グールドッグがびくりと硬直し、耳を押さえるように頭を振る。
その隙に、俺は足元の手頃な木の枝を拾い上げ、強化された膂力に任せて、無防備な脳天へ、フルスイングで振り下ろした。
ごっ、という鈍い音。
グールドッグは白目を剥いてひっくり返り、ぴくぴくと痙攣したあと、ばたりと倒れた。
……しん、と静まり返る森。
枝を構えたままの俺と、口を開けて固まる新人たちと、目を丸くしたガイさん。
「…………え、倒し、た?俺が?」
じわじわと実感が追いついてくる。
初討伐。記念すべき異世界初討伐が、素手……いや、その辺の枝。
「……ぶっ、はっはっはっは!!」
ガイさんが、堪えきれずに吹き出した。
「バッファーが!歌で怯ませて、拾った枝で一撃ときた!おいおい、お前ほんとに初心者か!?」
「い、いやあの、夢中で」
「いい度胸だ、気に入った!…だがな」
ひとしきり笑ったあと、ガイさんは、ぽんと俺の頭に大きな手を乗せた。
「次からは真っ先に俺の後ろに逃げろ。バッファーはパーティの心臓だ。心臓が止まれば、全員死ぬ。…お前はこれから、嫌ってほど狙われる側になるぞ、覚えとけ」
その声には、笑いの余韻の中に隠れた、確かな重みがあった。
「……はい。肝に銘じます」
帰り道、新人たちは興奮冷めやらぬ様子で、口々に今日の戦いを語り合っていた。なあ詩人の兄ちゃん、パーティ組むならぜひ俺と、いや俺と、と早くも青田買いが始まっている。
その輪の中で、俺はこっそりダッシュボードを開いた。
現在の視聴者 4
「……見たか、神様。俺の初討伐」
小さく呟いて、画面を閉じる。
武器は声と、その辺の枝。職業、吟遊詩人。
我ながら先の読めない配信になってきたが――だからこそ、面白くなりそうだった。




