表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神に愛されし声と言われたVTuber、異世界では歌って戦う最強吟遊詩人になります   作者: 綺凛
第1章 新たな活動のはじまり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/13

第2枠 異世界で最初のリスナーは…


 土と、草のにおいがした。


 じっとりとした腐葉土の湿り気と、青臭い草の香りが鼻の奥に滑り込んでくる。重たいまぶたを持ち上げると、視界いっぱいに緑が広がっていた。


 体を起こすと、手のひらに葉っぱや小枝が張り付いていた。


 ここは……森、か。


 頭上では木の枝が複雑に絡み合い、その隙間から朝の光が幾筋も差し込んでいる。木々が枝先を揺らすさらさらという音に、鳥のさえずりが重なって聞こえた。配信部屋の機材のファンの音と、エアコンの稼働音に囲まれて生きてきた耳には、なんだか贅沢すぎる音だった。


 俺は自分の手をじっと見つめた。


 ちゃんと腕があり、手があり、指が五本ある。握って、開いて、もう一度握る。思い通りに動く。


 当たり前のことをひとつひとつ確認しながら、ゆっくりと立ち上がった。地面で寝ていたのだから、膝や腰が痛むかと思ったが、まったくそんなことはなかった。


 むしろ、逆だ。

 体が妙に軽い。関節のどこにも引っかかりがなく、視界は隅々までクリアで、呼吸をするたびに胸の奥まで空気が染み渡っていく。30時間以上ぶっ続けで配信して、そのまま倒れて死んだことが嘘みたいな快調さだった。いや、死ぬ前の俺と比べるのもおかしいか。万全だった頃の俺と比べても、こんなに体が軽かった記憶がない。


 これが、神様特製の体ってやつなのか。


 あのちょっと怖い神様のことを思い出す。自称ではなく本物の神様で、俺の配信の最古参リスナーで、推しを過労死させたのが嫌だからという理由で転生させてきた、あのとんでもない存在。


 ちょっと特別な体、と言っていた。オマケもつけた、とも。

 今のところ、肩からバズーカが出てくる気配はない…よかった。


 まあ、体が普通に動くなら文句は言えない。死んでいるよりはずっとマシだ。


 とりあえず現在地を把握しようと、木が少なく明るい方へ向かって歩いてみる。しばらく進むと木々がまばらになり、森の端に出た。途端に視界が一気に開け、見渡す限りの草原が広がった。


 風が吹くたびに草の穂が波を打ち、緑のうねりが地平の方まで続いていく。そのはるか先には、石造りの壁のようなものがうっすらと見えた。空は見慣れた青空で、小さい雲がまばらに浮かんでいる。


 ……なんか、久しぶりに外出した気がするな。


 最近は案件とか収録とかで部屋に籠りきりで、日中の散歩なんて何ヶ月もしていなかった。日の光を全身に浴びるのはいつ以来だろう。軽い体といい、澄んだ空気といい、天気のいい日に自然の中を歩くというだけのことが、こんなに気持ちいいなんて知らなかった。


 異世界と聞いて少し警戒していたけれど、案外、普通の世界なのかもしれない。……という、その考えは、すぐに崩れた。


 はるか上空に、何かがいる。


 巨大な影が、悠々と空を泳いでいた。あれだけ高いところを飛んでいるはずなのに、輪郭がはっきり見えるということは、大きさが尋常ではない。雲と雲の間を縫うように飛ぶその影は、長い首と尾を持っていて、どこからどう見ても鳥の類いではなかった。


 ……ドラゴン、ってやつでは?

 俺が最後に戦って、倒せなかったやつの親戚では。


 視線を慌てて地上に戻すと、今度は草原の向こうに奇妙な動物の群れが見えた。立派な巻き角に、白く美しい体毛、のそのそとした動きで草を食んでいて、危険はなさそうだが、足が六本あった。


 ……六本?


 俺は目を細めて、もう一度数えた。

 一、二、三、四、五、六。

 うん、六本だった。見間違いであってほしかった。


 じわじわと、実感が追いついてくる。


 ここは日本じゃない。地球でもない。神様が言っていた別の世界というのは、比喩でも冗談でもなかったのだ。白い空間で話を聞いた時から分かっていたはずなのに、頭で理解するのと、体で感じるのとでは、まるで重さが違った。


 胸の奥がざわつき始めて、息が少しずつ浅くなる。


 どうすればいい、どこへ行けばいい。言葉は通じるのか。金はあるのか。寝る場所は。食べ物は。そもそも俺は、この世界で何者として生きていけばいいんだ。


 考えれば考えるほど、不安が芋づる式に引っ張り出されてくる。


 こういう時、配信中なら、視聴者のコメントが流れてくるんだ。


『どうしたコトギ、固まってるぞ』

『深呼吸しろ深呼吸』

『大丈夫、お前ならいける』


 ざわついた俺の空気をコメントが拾ってくれて、それに軽口で返しているうちに、自然と気持ちが落ち着いていく。いつもそうだった。俺は一人で配信しているようで、本当は一度だって一人じゃなかったのだ。


 でも今は、画面も、マイクも、コメントも、何もない。


 この世界で俺の名前を知っている人間は、一人もいない。


 ―気づいたら、鼻歌を口ずさんでいた。


 配信でよく歌っていた、お気に入りの曲のメロディー。歌詞は乗せず、ただ音だけが唇から零れていく。意識してやったわけじゃない。昔から、緊張した時や不安な時に自然と出てくる癖だった。教室で息が詰まりそうだった頃も、初めての配信で手が震えた時も、俺はいつも、心の中で歌っていた。


 大きくなる鼓動を宥めるように、歌いながら草原の縁に沿って歩く。


 不思議なものだ。

 難しいことを考えず、体に染み込んだ癖のままに歌っていると、少しずつ胸のざわつきが収まっていく。波打っていた呼吸が深くなり、足取りが軽くなる。


 やっぱり、歌うと心が落ち着くな。

 我ながら単純な作りだと思いながらも、完全に落ち着くまで、鼻歌をやめる気にはなれなかった。


 ……それにしても、声の通りがいいな。


 鼻歌程度なのに、音がよく伸びる。喉のどこにも引っかかりがなく、出したい音の高さに、出したい強さで、すっと届く。死ぬ直前は声を出すことすらできなかったのに。これも神様特製の体のおかげだろうか。だとしたら、あの神様、推しの何を一番大事にすべきか実によく分かっていらっしゃる。


 そうして歌いながら歩いていると、ふと、足元に気配を感じた。


 立ち止まって見下ろすと、小さな生き物が、俺の靴のすぐ横にちょこんと座っていた。丸い体に短い足、ふさふさの尻尾。リスとモグラを足して割ったような見た目の、おそらくこの世界の小動物だ。つぶらな黒い瞳で、じっとこちらを見上げている。


 ……いつの間に足元にいたんだ?


 まったく気配に気づかなかった。慌てて顔を上げると、周囲にも小さな生き物たちがちらほらと集まっていた。木の陰から顔だけ出しているもの、草むらの中で耳だけぴんと立てているもの、遠巻きに様子を伺いながらも、じり、じり、と確実にこちらへ近づいてきているもの。


 その数、ざっと二十匹は超えている。


 ……なんで?


 試しに鼻歌をやめてみると、生き物たちが一斉に、こてん、と首を傾けた。

 まるで、続きはまだですか、と言わんばかりに。


 もしかして、俺の歌を聴きに来たのか?


 半信半疑で、また歌い始める。

 すると動物たちは、ぴょこぴょこと体を揺らし始めた。耳でリズムを取るもの、尻尾を振るもの、その場でくるくる回り出すもの。そうこうしている間にも、草むらの奥からさらに数が増えていく。


 ……懐かれた、のか?それにしては数が多すぎる気がしないでもないが。


 でも、敵意はまったく感じない。それどころか、つぶらな瞳がきらきらと俺を見上げてくる様は、ライブ会場の最前列のファンのそれである。


 ふ、と笑いがこぼれた。


 異世界で最初のリスナーになってくれたのは、言葉も通じない、かわいい小動物たちだった。


 だったら、応えないわけにはいかないよな。

 俺は配信者、天城琴祇(あまぎことぎ)。リスナーが集まったなら、それはもう立派な配信なのだ。


 俺は気持ち、声を張って鼻歌を続けた。動物たちがそれに合わせて揺れる。妙な一体感に包まれながら、もふもふの群れを引き連れて、俺は草原の縁をのんびりと歩いた。


 ―その空気が変わったのは、唐突だった。


 ぴたり、と。

 あれだけ楽しそうに揺れていた動物たちが、一斉に動きを止めた。


「……ん?どうしたんだ?」


 返事の代わりに、足元のリスモグラが俺のズボンの裾を、くい、と引っ張った。視線は俺ではなく、草原の一点に固定されている。他の動物たちも同じ方向を睨んで、低く身を伏せていた。さっきまでの観客の顔じゃない。これは、警戒の姿勢だ。


 つられてそちらを見ると、背の高い草をかき分けて、何かが姿を現した。


 体長は中型犬くらいだが、明らかに犬ではなかった。緑がかった灰色の肌はじっとりと湿っていて、毛が一本もない。前傾姿勢の二足歩行で、長い爪のついた腕をだらりと垂らしている。つり上がった黄色い目が、ぎょろりとこちらを向いた。


 口が裂けるように開いて、ぎちぎちと不快な音を立てる。


 ……あれは、あれだ。間違いない。

 ゲームで何百匹と狩ってきたから分かる。雑魚モンスター、それも序盤の草原に出てくるタイプのやつだ。


 一瞬、配信者としての血が騒いだ。おお、初エンカウントだ、と。

 だがすぐに、現実が追いついてくる。


 いやいや待て待て。俺、武器持ってないんだが。


 ゲームなら初期装備の剣くらいある。ステータス画面くらい開ける。でも今の俺は、神様がくれた服一式の丸腰だ。攻撃手段なんて何もない。逃げるか?でも背中を見せた瞬間に飛びかかられたら?


 じり、と魔物が距離を詰めてくる。その視線は俺と、それから足元の小動物たちの間を行き来していた。明らかに獲物として狙われている。


 心臓が嫌な速さで脈を打つ。

 まずい、まずい、まずい。せっかく転生したのに、初日に雑魚モンスターに食われて終わりとか、配信だったら伝説のクソ回として語り継がれるやつだ。


 魔物が、地面を蹴った。


「――っ!」


 咄嗟に体が動かない。だめだ、間に合わない―


 そう思った瞬間だった。


 茶色い影が、横から魔物に体当たりした。


 リスモグラだ。

 丸い体を弾丸みたいに飛ばして、魔物の横っ面に突っ込んだのだ。不意を突かれた魔物がよろめき、軌道が逸れて俺の横の地面に転がる。


「えっ、お前――」


 驚く俺の前で、信じられないことが起こった。


 それが合図だったかのように、草むらに伏せていた動物たちが、一斉に飛び出したのだ。


 長い耳の兎みたいなやつが、跳ねて魔物の顔面を後ろ足で蹴り抜く。鳥に似た小さい群れが頭上から急降下して、くちばしで連続して突く。ハリネズミっぽい丸いのが体を丸めて転がり、魔物の足元に突っ込んで体勢を崩す。


 一匹一匹は、本当に小さい。攻撃力なんてたかが知れている。

 でも、二十匹を超える波状攻撃は止まらなかった。一匹が弾かれても、すぐ次が飛び込む。右をかばえば左から、頭を振り回せば足元から。まるで統率の取れた軍隊


 …いや、これはレイドだ。

 大勢で寄ってたかって一体のボスを叩く、レイドバトルだ。


 魔物はたまらず爪を振り回すが、小さな体はひらりひらりとかわしていく。むしろ動物たちの動きは、どんどん良くなっているように見えた。連携が噛み合い、無駄がなくなり、誰も傷つかない。


 なんだこれ。なんなんだこれは。


 呆然と立ち尽くしていた俺は、ふと、あることに気づいた。


 ……俺、こんな状況でも、まだ歌ってた。


 無意識だった。緊張のあまり、癖で鼻歌を続けていたのだ。

 そして動物たちの動きは、心なしか、その歌のリズムに乗っているように見えた。歌が走れば動きが鋭くなり、歌が伸びればふわりと躱す。


 まさか、な。

 そんなまさか、と思いながらも、俺は試しに、しっかりと声を出して歌ってみた。鼻歌じゃない。配信の歌枠で何百回と歌ってきた、勝負曲のサビだ。


 瞬間、動物たちの毛並みが、ぶわ、と逆立った気がした。


 リスモグラの突進が、目に見えて速くなる。兎の蹴りが深く突き刺さる。鳥たちの急降下が鋭さを増す。


 魔物は完全に防戦一方になり、よろめき、後ずさり、そして最後は兎の渾身のかかと落としが脳天に直撃して、白目を剥いてひっくり返った。ぴくぴくと痙攣したあと、そのまま動かなくなった。


 ……勝った。


 勝ってしまった。

 草原に、静寂が戻る。


 動物たちはしばらく油断なく辺りを警戒していたが、やがて危険が去ったと判断したのか、ぴょこぴょこと俺のもとに戻ってきた。そして全員で俺を見上げ、つぶらな瞳をきらきらさせて、どうだ!と言わんばかりに胸を張る。


「…………ふ、はは」


 こらえきれずに、笑いが漏れた。


「あっはははは!なんなんだお前ら、めちゃくちゃ強いな!最高かよ!」


 しゃがみ込んで、先陣を切ってくれたリスモグラの頭を撫でる。ふわふわだった。リスモグラは気持ちよさそうに目を細めた。他の動物たちも我も我もと集まってきて、俺は両手をフル稼働させる羽目になった。


 守って、もらったんだな。俺は。


 言葉も通じない、出会って小一時間の、こんなにも小さな生き物たちに。


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

 配信でリスナーに助けられたことは何度もあった。心が折れそうな時、コメントの言葉に救われたことも。でも、物理的に命を守られたのは初めてだ。


「…ありがとな。お前らのおかげで助かった」


 通じているのかいないのか、動物たちは嬉しそうに体を揺らした。


 それにしても、と俺は考える。


 最後のあれは、なんだったんだろう。俺が本気で歌った瞬間、動物たちの動きが明らかに変わった。気のせいと言うには、あまりにもはっきりとした変化だった。


 まるで俺の歌が、あいつらを強くしたみたいな。


 …神様の言葉が、頭をよぎる。


 ちょっと特別な体。

 オマケもつけといたから。


「……まさか、これのことか?」


 答えてくれる相手はいない。いや、あの神様のことだ、今もどこかから見ているのかもしれないけど。


 確かめる方法も分からないし、ひとまず保留だ。ただ一つ確かなのは、俺の歌はこの世界で、ただの歌じゃないかもしれない、ということで。


 そして正直に白状すると―それが分かった瞬間、不安よりも先に、わくわくが来てしまった。


 だって、そうだろう。

 歌うことしか取り柄のなかった俺が、歌で誰かの力になれるかもしれないのだ。こんなに胸が躍る話があるか。


 そうやってもふもふの軍団と勝利の余韻に浸っていると、遠くの方から、車輪が石畳を転がる音と、人の話し声が風に乗って届いてきた。


 顔を上げる。草原の先、石壁が見えた方角だ。

 街道が近いらしい。


 とりあえず、この世界の人たちに会ってみよう。言葉が通じるかどうかは、その時考えればいい。


 いつの間にか、あれだけ膨らんでいた不安は、とっくに消え去っていた。むしろ今は、この異世界という舞台に、どうしようもなくわくわくしている。


 足元の小動物たちに目線を落とす。


「悪いな、お前らとはここでお別れだ。……今日は来てくれてありがとう。また聴きに来てくれよな」


 配信の締めの挨拶みたいになってしまった。まあいい、事実、あいつらは俺の記念すべき初リスナーなのだから。


 名残惜しそうに見上げてくる、もふもふたちに小さく手を振ってから、俺は人の声のする方へと歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ