第1枠 神様は推しを手放さない
気づいたら、ただ真っ白だった。
上も下もなく、左右という概念すら怪しい。音もないし、匂いもない。ただひたすらに白い空間の中に、俺はぽつんと存在していた。
……どこだ、ここ。
最後の記憶をたぐり寄せる。
確か、配信中だったはずだ。30時間を超える耐久配信で、ラスボス戦の真っ最中で、第二形態を削りきって、あと少しで最終形態が落ちるところで―
…そうだ、倒れたんだ。
コントローラーが手から滑り落ちて、マイクスタンドを巻き込んで倒れて、コメント欄が悲鳴みたいにざわめいて。そこから先の記憶が、ぷつりと途切れている。
……あのマイク、高かったんだけどな。いや、考えてる場合じゃないなそれは。
意識を自分自身に向けてみると、体の感覚がまるでないことに気がついた。手を動かそうとしても、そもそも自分に手があるのかどうかすら分からない。視線は動く、思考もできる。それなのに肉体だけがどこにもない。妙に意識だけがはっきりしていて、ぼんやりとした靄の中を漂っているようだった。
死んだ……のかな、俺。
なんとなく、そんな気がした。
不思議と恐怖はなかった。泣きたいとか怖いとかよりも先に、あのボス倒せなかったな、という後悔が真っ先に浮かんでくるあたり、我ながら重症な配信ジャンキーである。30時間付き合ってくれたみんなに、最高のエンディングを見せられなかった。あの瞬間を共有できなかった。それが一番、悔しい。
……みんな、心配してるだろうな。
最後に見えたコメント欄は、俺の名前を呼ぶ言葉で埋め尽くされていた。
「気がついたね」
突然、何もなかったはずの白い空間に、知らない声が響いた。
芯のある、少し高めの女声。神々しいというか、厳かというか。「跪け」と言われたら魂だけの状態でも膝をついてしまいそうな、そういう謎の力がある声だった。
声のした方へ意識を向けると、いつの間にか、一人の女性が立っていた。
真珠のように、白くて光の加減で虹色に輝いて見える長い髪。瞳はアメジストのように透き通った紫色。身に纏っているのは現代の服でも、歴史で見たどの時代の衣装でもない、とにかく神々しいとしか表現できない何かだ。
絵に描いたような美人なのに、なぜか印象に残らない、不思議な感覚だった。浮世離れしているというより、そもそも俺と同じ世界に存在していない感じがした。
「えっと…」
「やっぱり、死んじゃったね」
彼女は何事もないかのように、あっさりと言い放った。
まるで残基のあるゲームのキャラがやられた時のような、軽い確認作業。人ひとりの死を告げる重さが、その声にはまるでなかった。
「……やっぱり?」
「30時間以上ぶっ通しで配信して、その前の一週間も収録とコラボで過密スケジュールだったでしょ。睡眠は平均3時間。喉のケアもサボってたし、普通は倒れるよ」
まるで見てきたみたいに言うけど、あなた一体誰ですか。…というか睡眠時間まで把握されてるの、普通に怖いんだが。
「あの」
「ああ、自己紹介がまだだったね」
彼女は思い出したように両手をパンと合わせ、にっこりと笑った。純粋無垢のようで、それでいてどこか底の読めない笑顔だった。
「私は、神様だよ」
この女性は何者で、自分はなんでここにいて、これからどうなって…と、頭の中で組み立てていた質問リストが、すべて吹っ飛んだ。
……神様?
「……はい?」
「か・み・さ・ま、だよ。君たちがよく想像しているような、世界を作ったとか、世界を管理しているとか、そんなイメージのままの神様」
「いや待ってください、神様って、そんなあっさり」
「あなたの配信、ずっと見てたよ。コトギくん」
俺の名前を呼ぶ、その響き。
なぜか既視感があった。この人の声を聞いたことが……いや、違う。声じゃない。
俺は、読んだことが、ある。
脳裏に浮かんだのは、意識が途切れる直前、最後に見えた赤いコメントだった。
『コトギくんの声は神に愛されています。そう、私から』
『いいでしょう。その願い、確かに聞き届けました』
「……自称神様、さん?」
「実は、自称じゃないけどね」
まさかの自称神様は、本物の神様だった。
デビュー初配信から居る古参リスナー。コメントが独特すぎて、初見さんから本物の電波だと心配されていたあの人が、文字通りの神様。
……いや、本物だったんかい。電波コメントじゃなくて全部事実コメントだったんかい。
俺は返す言葉が見つからず、ただ宙を漂う自分の意識だか魂だかを持て余すしかなかった。
「ずっと見てたんだよ、コトギくんの配信。初配信、同時接続23人だったよね。私、あの中にいたんだ」
「に、23人…俺以外に覚えている人がいるなんて…」
「声が好きで、歌が好きで、いつも楽しそうに話す姿が好きで。初めての歌枠で、コメント読みながらちょっと泣いてたのも知ってるよ。そんな頑張っている姿を見てて…気がついたら、完璧にのめり込んでたの」
「泣いてたのバレてたんですか!?あれ誰にも言ってないんですけど…」
「神様だからね」
神様、便利な言葉すぎるだろ。
しかしまずい。こっちの黒歴史というか、墓まで持っていくつもりだった記憶を全部握られている。神に隠し事はできないとはよく言ったものだ。
「楽しかったよ、配信見てるの。…でもさ」
今までの淡々とした口調が、ふっと変わった。感情を抑えるのに失敗したような、震えを帯びた声。
「コトギくん……死んじゃったじゃん」
やりきれないような、悲しい表情だった。
人間離れした美貌が、悲しみの色に染まっている。その姿はどこか、意図せず卒業することとなった、推しの卒業配信を見届けるファンの顔に似ていた。
「もう配信が見られない。ゲームしてるところも、雑談も、歌も聴けない。このまま輪廻転生の輪に戻ったら、記憶も声も全部リセットされて、二度とあの歌が聴けないかもって…」
俺は胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
俺の無理がたたって、こんなに大切に想ってくれていたリスナーを悲しませてしまっ――
「…それって私、嫌だなって思いました」
……ん?悲しんでるんじゃ、ないのか……?
顔を上げると、彼女はさっきよりも明らかに晴れやかな表情をしていた。
魂だけの今の俺には無いはずの背中を、ツーっと冷たい汗が伝った気がした。
「いや、嫌だなって……どういう」
何か嫌な予感がした。
普通なら嫌だなと思ったら、せいぜい愚痴を言うくらいだ。じゃあ神様が嫌だなと思ったら、何をするんだ?
その疑問への答え合わせは、すぐだった。
「だから、転生させることにしたの」
「……え?」
「輪廻転生のルールで地球には戻せないけど、別の世界に生まれ直してもらう。それで、これからもいろんなことをして、たくさん活躍してもらう。私はそれをここから見る。ウィンウィンでしょ?」
「いや全然ウィンじゃないんですが!?少なくともこちら側のウィンが行方不明なんですが!?俺の意志は!?転生って急に言われても怖いっていうか…!」
「丈夫な体も用意したから大丈夫」
「いや、その答えで俺の疑問の何が解決されたんですかね」
強引に話が進んでいく。
さっきまで普通に会話のキャッチボールが成立していたのが嘘みたいだ。いや、最初から成立していなかったのかもしれない。神と人間では、そもそも時間とか命とかの尺度が違いすぎるのだろう。
「もう二度と、推しを過労で死なせるわけにはいかないからね。不死身にはさすがにできなかったけど、神様特製の、ちょっと特別な体を用意しておいたから」
「ちょ、ちょっと特別って……どんな体なんですか……?」
常に地面から数センチ浮いて移動するとか、両肩からバズーカが出るとか、瞳に変なエンブレムが浮かぶとか、今まで遊んできたゲームの特別なキャラクターたちが次々と頭をよぎっていく。なんかめちゃくちゃ怖くなってきたな。
「まあ、使ってくうちにわかるよ。あとオマケもつけといたから」
「おまけ……おまけって……」
「うん、オマケ。いずれわかるから大丈夫だよ」
何もわからないことだけが分かった。
そうか、神とは身勝手であると、昔の人が言い残したのは本当だったらしい。俺はどうも、とびきり厄介なオタクに愛されてしまっていたようである。
…あきらめるしかないか。
選択肢がそもそも存在しないことには、とっくに気づいていた。死んだ人間に、神様の提案を断る権限なんてないのだ。
それに―正直に言えば。
心のどこかで、安心している自分がいた。
あの瞬間、意識が沈んでいくあの暗闇の中で、俺は確かに願ったのだ。もう一度だけでいい、誰かのために歌わせてくれって。
終わりたくなかった。あの場所を、まだ失いたくなかった。
その願いに、続きをくれるって言うのなら。
「……一つだけ、聞いていいですか」
「いいよ。なんでも聞いて?」
「転生先でも配信、できますか」
我ながら、死んだ直後にする質問じゃないと思う。
でも配信は俺の生きがいというか、人生そのものだった。家族にも友達にも未練らしい未練はないけれど、あの時間だけは、ずっと続けていたいと心の底から願っていた。
神様は少しだけ目を丸くして、それから、笑った。
今度は底の読めない貼り付けた笑顔じゃない。年齢不詳の神々しさが一瞬だけ崩れた、本当に嬉しそうな笑い方だった。
「あはは!…その発想はなかったなぁ。うん、でもやっぱり好きだよ、そういうとこも」
いや、答えになっていないが?
「転生先の世界にネットはないけど…大丈夫。ちゃんと見てるから」
神様がすっと手をかざすと、白い空間が淡く光り始めた。
「これからも私たちを楽しませてね、コトギくん」
……私たち?
聞き返す間もなく、神様の声が遠くなっていく。白い空間が滲んで、溶けて、俺の意識ごと温かい何かに引き込まれていくような感覚があった。
最後に見えたのは、神様が小さく手を振ったあと、両手で指ハートを送ってくる姿だった。
なんか…最後の最後で、気が抜けるな…
無責任で、自分勝手で、底が知れなくて、それでもなぜか、誰よりも俺のことを推してくれている。
俺の神リスナーが、新しい世界へ送り出してくれた。
だったら、やることは決まっている。
配信者として、最高のコンテンツを見せてやろうじゃないか。
―この時の俺は、まだ知らなかった。
神様特製の体とやらが、どれだけとんでもない代物だったのかを。
Side―神様
彼の魂が、白い光とともに消えていく。
これから彼は、私がほかの神にバレないようにこっそりと作った依り代に魂を移し、新たな世界で生きていく。
本当は、私情を挟んだ転生対応も、神が直接依り代を作ることも禁止されている。けれど、最推しの活動をこれからも見続けるためである。仕方がないのだ。これは不正ではなく信仰の延長線上にある正当な布教活動……いや布教はこれからするんだった。とにかく正当なのだ。
それにしても。
「こ、コトギくん、やっぱりカッコイイ~~~~~~~!!!」
私は沸騰しそうなほど熱くなった顔を両手で抑えて、宙をゴロゴロと転がりまくった。
彼にはきっと、私のことが得体のしれない、感情のあまり動かない厳かな神に見えただろう。
ふふん。完璧に演じきった。
本当はね、一瞬だけ時を止めたり、巻き戻したりして、何度もリテイクしていたのだ。
最初の「あ、気がついた」は7テイク目。第一声を嚙んだ世界線は消した。
「私は、神様だよ」の角度と笑顔は23テイク目。もちろんそれ以前の世界線は消した。
彼に「自称神様さん?」と気づかれた瞬間なんて、嬉しさのあまり奇声を上げてしまって、4回巻き戻した。
もう何テイク重ねたか分からないけれど、なんとか神様っぽく振舞えたんじゃないだろうか。最後の指ハートだけは我慢できなかった。あれはオタク魂が出てしまった。反省はしていない。
「はぁあああ~~……本当はもう少し話していたかったけど、これ以上引き留めると、彼の魂に神気がたまりすぎて大変なことになっちゃうし……天才最つよコトギくんがこれ以上神々しくなったら、世界のほうが滅んじゃうかもしれないし、そこは流石に神として自覚を持った対応をしなきゃだし、あぁでも、もう少しあの素敵な声を直接聞いていたかったなぁ~~!」
それに、聞いてしまったのだ。
死の間際、彼の魂が漏らした、あの祈り。
もう一度だけでいい。誰かのために、歌わせてくれ。
「…あんなの聞いちゃったらさぁ。叶えるしか、ないじゃんねぇ」
だから依り代には、とびきりの仕掛けを編み込んでおいた。彼の願いのかたちに、ぴったり合うように。
あの子が自分の力に気づいて、世界中を驚かせていく姿を想像するだけで、今から楽しみで仕方がない。
地球と、彼の転生先の世界。二つの世界を司る神は、そのままゴロゴロと宙を転がりながら、こっそり録画していた先ほどのやり取りを何度もリプレイして悶えた。
「…はぁ……推しとしゃべっちゃったよ、私……」
ひとしきり悶えたあと、私はむくりと起き上がった。
「…あ、そうだ。あの子に自慢しちゃおっかな!」




