第19枠 激闘の末に手に入れたもの
歌声と、衝撃が、交差した。
漆黒の槍に、エウリが月地を真っ向からぶつけた。
ガアアアンッ!!
火花の代わりに、黒い飛沫が四散した。
”軍神の戦歌”の反動で、立っているのもやっとだったはずだ。それでもエウリは、一歩も退かなかった。歯を食いしばり、両腕を震わせ、振り下ろされる悪夢の一撃を、真正面から受け止める。
「コトギの歌は……止めさせない……!」
俺は、歌を止めなかった。
彼女が、命を懸けて時間をくれている。彼女の期待に応えるよう、すべての意識を、彼を救うための歌につぎ込んだ。
ありったけの想いを、最後のフレーズに込めて――歌い、切った。
その瞬間、マロスを縛りつけていた、最も太い黒い枷に走った亀裂が、歌の振動と共鳴して、ぱりん、と、澄んだ音を立てて、砕け散った。
◇
変化は、劇的だった。
マロスの全身から噴き出していた黒い瘴気が、まるで陽光を浴びた霜のように、見る間に溶けて消えていく。彼を支配していた、煤のような穢れが、歌に洗い流されて、霧散していった。
そして、エウリを押し潰そうとしていた漆黒の槍が――びたり、と、動きを止めた。
「……?」
エウリが、目を見開く。
槍を形作っていた黒が、すうっと色を変えた。
穢れた漆黒から、透き通った、深い紫へ。
悪夢の穢れを浄化された後に残った、力の核なのだろうか。深い紫色の影とでも呼ぶべきものが、エウリへの攻撃をやめ、宙でとぐろを巻き――それから、ゆっくりとマロスの体へと吸い込まれていった。
するすると、紫黒の影が彼の中へ還っていく。
まるで、長い間、無理やり外へ引きずり出されていたものが、ようやく本来の場所へ帰っていくみたいに。
マロスを覆う巨大な瘴気の塊は、どんどんと小さくなっていった。
継ぎ接ぎの四肢が崩れ、5メートルあった巨躯が、人ひとり分の大きさへと戻っていく。後に残ったのは、気を失って、ぐったりと横たわる、羊の角を持つ一人の青年だった。
「マロス!」
俺はマロスが倒れないように、咄嗟に体を支えた。
「は……はぁ……」
マロスの胸が、ゆっくりと上下しているのを確認する。どうやら、彼からナイトメアを引きはがすことに成功したようだ。
俺は、詰めていた息を、ようやく吐き出した。
「コトギ……やった、ね」
”軍神の戦歌”の反動でふらつくエウリが、月地を支えに、よろよろと隣に来る。俺は慌てて彼女を支えた。
「ああ、エウリのおかげだよ。あの槍の攻撃をエウリが止めてくれなきゃ、俺、完全に終わってた」
「ん。…でも、本当に疲れた…後で、いっぱい食べないと、動けない」
こんな時でも食の話が真っ先に出てくるのがいつも通り過ぎて、少しだけ力が抜けて笑えた。
◇
しばらくして、マロスがゆっくりと目を開けた。
さっきまでは濁っていた緑の瞳だが、今ははっきりとした光が宿っている。彼は、ぼんやりと天井を見上げ、それから、自分の手を見て、傍らの俺とエウリを見て――。
「…………あれ?」
間の抜けた声を出した。
「僕……生きてる?」
「ああ、生きてるよ」
「……うっそだろ」
マロスは、上体を起こそうとして、全身の痛みに顔をしかめ、それでも、へら、と笑った。
「とんだ不良品だなあ、僕。研究所が誇る最高傑作の悪夢のくせに、子守歌一発で浄化されちゃってさ。研究所のおじさんたちが見たら、失望して失敗作のレッテルを張りなおすんじゃないのかな……いや、もう、実験体でいることもないのか…」
自分を茶化す、軽い口調。
だが、その声の端々に隠しきれない震えがあった。
「……なぁ、なんで、無理やり助けたのさ」
マロスが、笑みを消して俺を見た。
「僕、君たちを騙したよ、操られていたとはいえ、全力で殺そうとした。人間領に、魔物を呼ぶ印を、ばら撒いてた張本人でもある。わざわざ、ナイトメアから僕を解放しなくても、力技で倒せただろ?」
俺は、少し考えてから、答えた。
「マロスの…夢を見たんだ」
「……夢?」
「歌ってる時、瘴気に触れたら、マロスの記憶が流れ込んできた。冷たい石の部屋や、マロスの母さんの優しい歌。……アスフォデルの実を、初めて食べた時のこと」
マロスの顔が、固まった。
「マロスが好きになった、青い空、風の匂い、花の味。この美しいと思った世界を壊したくない、母が愛した世界を生きたいっていう夢を、どうしても叶えさせてやりたいと思った」
「……っ」
マロスは、何かを言いかけて、口をつぐんだ。
くしゃりと顔を歪め、慌てて天井を仰いで、それを隠す。
「……あー、もう。なんなんだよ、君。会ったばっかりの相手の心の中を、勝手に覗いてさあ。デリカシーってもんが……」
「それは…悪かった!でも、わざとじゃないんだが…」
「……いや、いいよ。まったく…おせっかいな奴がいたもんだね」
マロスは、ぐしっと顔を拭って、もう一度笑った。無理に取り繕ったものじゃない、素の笑顔なんだなと思った。
そこへ、ずいっと、エウリが顔を突き出した。
「ねぇ」
「うわっ、な、なにさ!?」
「あなた、これ、まだ持ってる? アスフォデルの実」
「……は?」
「さっきの、おいしかった。お腹空いたから、もっとほしい」
マロスが、ぽかんと口を開けた。
「……君さあ、僕、今、結構シリアスな空気だったと思うんだけど」
「シリアスの空気より、おいしいものの方が大事」
「……ぶはっ」
マロスが、堪えきれずに吹き出した。
「あはは!なんだそれ!君ら、変な二人組だなあ!」
ひとしきり笑って、それから、マロスは、ぽつりと言った。
「……ねえ。僕、行く場所がないんだ。研究所には戻れない。どうせ戻っても処分されるだけだろうし、戻る気もないんだ。かといって、こんな出自の半分魔物の僕を、どこの街も受け入れちゃくれないだろうし、どこか身を隠して生きていける場所を知らないかな?」
「…じゃあ、一緒に来ればいい」
エウリが、なんでもないように言い放った。
「コトギは優しいし、強いよ。あなたのアスフォデルの実、おいしいし。一緒に行こう」
「最後の理由、僕の食いもんじゃん…」
「大事な要素」
マロスがまた笑って、それから俺を見た。問いかけるような目だった。本当に、いいのかと。
俺は、肩をすくめた。
「うちのパーティ、前衛がエウリ一人で火力に全振りなんだ。盾役が、ずっと欲しかったんだよな。
……どうだ、マロス。うちのタンクとして、パーティに参加してくれないか?」
マロスは、しばらく俺たちを見比べて。
それから、自分の胸に手を当てた。さっき、紫の影が吸い込まれていった、その場所に。
「僕は…君たちを騙してしまったし、これから償わないといけない。お詫びに、盾でも壁でも、好きに使ってくれよ、先輩方」
ぐっ、と、マロスが、手を握りしめる。
その拳に、ほんのわずか、深い紫の影が、薄く滲んだ。穢れのない、澄んだ紫黒の力だ。
マロスが、深々と、頭を下げた。
「僕の名前はマロス、この美しい世界を旅したいと思ってたんだ。これから、よろしく頼むよ」
「コトギだ。よろしくな、マロス」
「エウリ。アスフォデル、よろしく」
「エウリ先輩は…僕の名前をアスフォデルで覚えないよね…?」
…ほら、エウリは元姫だし、人の名前を覚えるのはきっと得意…なはずだから…うん。
◇
ダンジョンは、ボスとして機能していたナイトメアを失い、崩壊を始めていた。
地面や壁から地鳴りが響き、天井から石が落ちてくる。
「うわっ、まずい! 崩れる!」
「コトギ、エウリ、こっちだ! 出口はこっちだ、僕についてきてくれ!」
立ち上がったマロスが、ふらつく足で、それでも先導する。さすが、このダンジョンを根城にしていただけあって道に詳しいようだ。
俺はバフの反動で動けなくなったエウリを背負い、マロスの後を追って、崩れゆく通路を駆け抜けた。
「重っ……エウリ、ハンマーが重いんだけど!?」
「これは私の大事な相棒、つまり、コトギの相棒でもある。文句言わないの」
「いや大事なのはわかるけど、文句も言いたくなるって!」
崩落する天井をかいくぐり、俺たち三人は、光の差す出口へと飛び込んだ。
背後で、ダンジョンの入口が轟音と共に崩れ落ちる。
あの誘引の紋章ごと、悪夢の巣は土砂に飲まれて消えた。
実際は、数時間程度ぶりの外なのだが、かなり久しぶりに外に出た気がする。草の匂い、風の音、茜色に染まる、どこまでも広い空。
地面に転がったマロスが、その空を見上げて目を細めた。
あの、地下で焦がれ続けた、広い空。今は橙色に染まっている、自由の空を、ようやく自由になった体で存分に満喫している。
「……外だ」
ぽつりと、呟いた。
「ちゃんと、外にいる。…自由になったんだ」
俺は、西日にあたってオレンジ色に染まる、マロスの横顔を何も言わずに見ていた。
エウリは、俺の背中で、もう寝息を立てていた。ハンマーが本当に重くて、手がプルプルしてきた。
「よ、よし。とりあえず、街を目指そう。腕が限界になってきた…」
「あはは、了解。……あ、そうだ、コトギ」
「どうした?」
マロスが、懐をごそごそ探って、小袋を取り出した。
例の、アスフォデルの実だ。
「お詫びと、お礼だ!大事な実だけど、ひとつ分けてあげるよ」
差し出された、白い乾物。彼の母親が愛し、マロスが初めて手にした、自由の味。
俺は、一つ受け取って、口に放り込んだ。
苦くて、甘い。
不思議と、胸に染みる味だった。
「……うん。うまいな、これ」
「だろ~?僕の大好物だぜ」
初めて会った時のような、軽い口調とおどけた態度。彼が自分を守るために作った感情は、簡単には消えないのかもしれない。
けれど、今となっては、それが彼らしさにもなっているのだろう。
「コトギ、エウリ…はもう寝てるよな。これからは僕が、君たちに襲い来る悪夢を追い払ってやるから、たくさん頼ってくれよな!」
こうして、俺たちのパーティに、頼もしいタンクが加わった。
◇
Side 神様
「うわあああん! コトギくぅん! やっぱり、やってくれたあああ!」
天界の観覧席は、嵐のような騒ぎだった。
ペルが雲のソファの上で、感極まって転げ回っている。
「見た!? 見たよねアレス!? コトギくんの歌だよ!? 剣でも力でもなくて、歌で、あの哀れな魂を救っちゃったの! 私の最推し、優しすぎて、世界が眩しい!!」
「……ああ、実に見事だったな。戦いとは、単に腕っぷしだけを極めればいいというものではない。…ふっ、神になっても学びがあるとは、実にありがたいことだ」
筋骨隆々の男神アレスが、腕を組んで深く頷いた。普段は戦いの巧拙にしか興味を示さない硬派な武神が、今日ばかりは、しみじみとした顔をしている。
「正直に言おう。私は、力で押し切ると思っていた。あの”軍神の戦歌”があれば、戦闘経験の浅いナイトメアなど簡単に倒せるからな。事実、あの嬢ちゃんは見事に使いこなした。……だが、コトギは、最後の最後で、力での解決をやめ、本当の意味で相手を救うことができる手段として、歌を選んだ。我にはできない、彼らしい戦いだった」
「でしょ、でしょ!」
「武で勝つことと、人を救うことは違う。コトギは、それを本能で分かっている。戦の神として、その姿勢には、敬意を払うほかない」
アレスが、軍神の太鼓を、ぽん、と一つ、静かに叩いた。
「ふふん。私の最推しだもの」
「お前が威張ることではないだろう」
ペルは、水鏡の中の三人を、慈しむように眺めた。
夕日の中、肩を貸し合い、笑い合いながら街を目指す、コトギとエウリと新しい仲間、マロス。
「ねえ、アレス。これで、ちゃんとしたパーティに近づいたね」
「ああ。……良いパーティだ」
「この子たちが、これから、どこまで行くのか……楽しみで、仕方ないわ」
二柱の神は、頬杖をついて、世界で一番幸せそうに、その背中を見送った。




