第17枠 ストレイシープ
「そうでしたか。俺たちは、ここに逃げ込んだ魔物を探してたんですが……ここに、来ませんでしたか?」
「魔物ぉ? 俺は少し前に着いたばっかりだけど、特に見てないなぁ」
嘘を言っているようには見えなかった。どこかで見失ったのか、と考えていると、エウリがマロスにずいと一歩近づいた。
「あなた……何か、いい匂いがする。これは……」
くんくんと鼻を鳴らすエウリに、マロスがやや引きつつ、懐から小袋を取り出した。
「ああ、これかな?アスフォデルの実を乾かしたものさ。少し苦いけど、甘くて、花みたいな香りがするだろ。よかったら、一つどうぞ」
マロスは俺とエウリにドライフルーツのような食べ物を一つずつ分け、自分も口に放り込んで、幸せそうに目を細めた。
「……これは……おいしい……」
エウリが、本当にうまいものを食べた時のリアクションをしている。同じように俺も一口かじった。
途端、花のような甘く濃厚な香りが鼻を抜け、ほんのり苦い甘みが舌に広がる。変わった味の桃?みたいな味で美味しい。
「うまいな、これ。マロスさんが作ったんですか?」
「ああ、そうさ。えーと、名前なんだっけ、君たち。あ、そうだ、同い年くらいで、同じ冒険者だろ。敬語はなくていいぜ」
「名乗り忘れてた、ごめん。俺はコトギ、B級冒険者」
「私はエウリ。同じくB級」
「えっ、二人とも若いのに優秀なんだなぁ!俺なんて、まだC級になったばっかだよ」
マロスは表情がころころ変わる男だった。目をぎゅっと見開く顔は、どこかコミカルで親しみやすい。
「そんな強い二人に、お願いがあるんだけどさ。よかったら、俺と一緒にダンジョンボスに挑んでくれないか?見ての通り、俺は盾役でさ。雑魚は盾で弾けるんだけど、ボスクラスになると火力が足りなくて」
ここまで来たらボスにも挑戦したいというゲーマー魂があるし、他の冒険者と連携する経験も悪くないな。
「エウリはどう思う?俺はいいと思ってるけど」
「黄金肉が手に入らなかった悲しみを、ボスにぶつける」
エウリも思いのほかやる気だった。それを見たマロスは「じゃあ、挑戦しようか」と、ボス部屋の扉の前に立った。
「俺は盾役だから、前で攻撃を防ぐよ。攻撃は頼んだ、先輩方」
その後、俺はバッファーであること、エウリは近接アタッカーである事など、得意なことを共有しつつ、簡単な作戦会議を行った。
「…まぁ〜こんな感じでいいんじゃない?道中の魔物から、ここのボスはそこまで強くなさそうだし。
それじゃ、ダンジョン攻略と行きましょう〜」
ニコニコ笑いながら、マロスは大きな石扉を左右に押し開いた。
扉の先は、円形の広間だった。
そして、その中央に――巨大な魔物が、いた。
5メートルはあるだろうか。人間の腕と脚に、獣の手足を継ぎ接ぎしたような、歪な四肢。全身は黒く、頭部からは細い角のようなものが伸びている。顔も体ものっぺりとして、得体の知れない不気味さがあった。
「なんだ、この魔物……巨人、か……?」
「これは……実体のある悪夢……?」
エウリが、緊迫した面持ちでハンマーを構え直した。
「ナイトメア……?」
冒険者ギルドの講習でも、魔物図鑑でも、見た覚えのない名だ。
「遥か昔に作られた、人造の魔物。生贄になった人柱の魔力を吸って、成長して、動く……異質な魔物。かつては、国を一つ滅ぼしかけたほどの、怪物って聞いた」
「人柱……誰かの命で動いてる、ってことか。じゃあ、このナイトメアと繋がってる、生贄にされた誰かが……」
嫌な予感が、背筋を這い上がった。
それと同時に、前を進んでいたマロスが、ゆっくりと、こちらを振り返った。
「……ごめんねぇ。騙しちゃって」
マロスは、こちらを向いたまま、後ろ向きにナイトメアの方へと歩いていく。一歩、また一歩。俺たちから遠ざかり、あの怪物へと近づいていく。
「金色の羊を追いかけて、哀れにも誘い込まれた、可哀想な冒険者たち。
君たちは夢を追いかけたまま、二度と覚めない、深い眠りにつくんだよ」
演説するように、尊大に、彼は語った。
そして、首にかけたネックレスを、自らの手で引きちぎる。
その瞬間、彼の頭にあった犬の耳が、すうっと掻き消えた。代わりに、ぐるりと巻いた、羊のような角が現れる。
――黄金の羊。
まさか、あの羊の正体は、こいつだったのか。
「僕の名前は、マロス・ナイトメア。君たちを喰らう、悪夢だよ」
マロスがそう名乗った瞬間、丸まっていたナイトメアが上体を起こした。そして――その黒い巨体が、ぐにゃりと崩れ、無数の触手のような瘴気となって、マロスへと殺到する。
「な……!」
瘴気はマロスの全身に絡みつき、彼を包み込んでいく。マロスの体が、黒い繭の中で膨れ上がり、肥大する。羊の角はそのままに、背丈はナイトメアと同じ、5メートルに届かんばかりとなった。
腕は丸太のように太く、肩からは継ぎ接ぎの獣の四肢が幾本も生え、背には大盾と一体化した、岩のような甲殻がせり出した。
マロスとナイトメアが、融合した。
「マロスはナイトメアの本体?…でも、どうやって?ナイトメアなんて、ここ数百年出ていないはず…」
エウリが、ごくりと喉を鳴らした。
まるで、動く瘴気の塊みたいだ。恐ろしいほどのプレッシャーが、マロス自身を炉にして吹き出している。
『ボ、ボク、マロス…ナイトメア…キミタチヲ……クラウ!!』
融合したマロスの口から、壊れた声が漏れる。
その瞳は、もう焦点を結んでいなかった。
◇
「……っ、エウリ、下がれ!」
俺が叫ぶのと、巨大な腕が振り下ろされるのは、同時だった。
ゴウッ、と。
風を巻いて、丸太のような腕が広間の床を叩く。石畳が砕け、破片が礫となって飛び散った。俺とエウリは左右に跳んでなんとか回避する。直撃していたら、無事では済まなかっただろう。
「神威!!」
一気に100%、全力のバフをかける。出し惜しみしている場合じゃない、明らかに、アラクネよりも強いプレッシャーを感じるのだ。
「まずは、足を止める!」
エウリが地を蹴り、融合体の脚へと肉薄した。月地の一撃が、継ぎ接ぎの膝に叩き込まれる。
ドゴォン!
巨体がぐらりと傾いだ。思ったより柔らかい、これなら倒せる!そう思った瞬間だった。
崩れかけた傷口から黒い瘴気が噴き上がり、見る間に再生した。砕けたはずの関節が、何事もなかったかのように組み直される。
「……嘘」
エウリが目を見開く。
融合体は、傾いた勢いをそのまま利用し、もう片方の腕を、エウリめがけて薙ぎ払った。
「エウリ!」
俺は床を蹴り、月炎を振るって、その腕の軌道に割り込んだ。漆黒の刃が、黒い表皮を裂く。
手応えは硬いが、斬れないわけじゃない。腕の進路がわずかに逸れ、エウリが横っ跳びに躱す。
だが――斬った傷は、一秒もしないうちに、塞がった。
「また傷が消えて…!」
「厄介だな…再生持ちかよ」
そこからは、まさに悪夢としか言いようのない攻防だった。
エウリが正面から打撃を重ね、注意を引きつける。俺はその巨体の攻撃を縫うように躱し、月炎で関節の継ぎ目を斬りつける。
ナイトメアが吐き出される瘴気や、撒き散らされる黒い霧を、神威で強化した脚で躱す。
攻撃が通用しない。
いや、ダメージは入っている。エウリの一撃は継ぎ接ぎの体を砕き、俺の剣は表皮を裂く。
だが、その全てが、数秒で元通りになる。まるで醒めない悪夢のように、終わらない攻防が続いていく。
更に、時間とともに厄介な事実が追加で判明した。ナイトメアは傷つけるほどに、纏う瘴気が濃くなり、追い詰められるほど凶暴になった。
腕の一振りが速くなり、瘴気の射程が伸びる。融合した直後の、のっそりとした動きが嘘のようだ。
まるで、俺たちの攻撃から魔力吸い取り、強化されているように見える。
「コトギ、これ、終わらない!」
息を切らしたエウリが叫ぶ。
その通りだった。こちらの攻撃は全部なかったことになり、向こうの攻撃だけが、確実に俺たちの体力を削っていく。
一方通行の消耗戦だ。時間が経つほど、不利になるのは、俺たちの方だ。
どうすればいい、このままでは、という焦りが、判断を鈍らせた。
さっきまでと同じように、ナイトメアが振るった腕を躱せるはずだった。だが、その攻撃は想定よりも一段速かった。
「――っ!?」
避けきれない!
咄嗟に月炎を盾にして、攻撃を受ける。
ゴッ、という衝撃が、全身を貫いた。
体が宙を舞い、広間の壁に、背中から叩きつけられる。
「ガハッ……!」
肺の空気が、全部押し出された。神威で強化していなければ、剣で受け止めていなければ、即死していてもおかしくないダメージだった。
口の中に鉄の味が広がり、左腕がだらりと下がる。肩で嫌な熱が脈打っている。たぶん、外れたか、折れたかしているな。
「コトギ!!」
エウリの悲鳴が、遠く聞こえた。
……まずい。
立ち上がろうとしても膝が笑って上手くいかない。月炎を杖にして、なんとか体を起こした。ナイトメアが、ゆっくりとこちらへ向き直った。
頭を必死に回転させる。
攻撃すれば再生され、傷つけるほど強くなる。このまま続ければ、削り殺されるのは俺たちだ。もう、俺たちが勝つ道はないんじゃないか。
「コトギ!動かないで、そこにいて!」
エウリが、ナイトメアと俺の間に、割って入った。
月地を構え、たった一人で、あの巨体の前に立ちはだかる。
「……エウリ、無理だ、これ以上は――」
「コトギ。あの、特別なバフ」
エウリが、振り返らずに言った。その背中は、いつになく据わっている。
「軍神の戦歌、あれを私にかけて」
「!?でも、あれは――」
”軍神の戦歌”は、神威を遥かに上回る攻撃強化のバフだ。前に一度だけ、俺自身が全力で使い、A級下位アラクネを倒したスキルである。だが、
「あれは、俺が自分で使った時でさえ、後で動けなくなるほどの反動があったんだ!それに、他人にかけたこと、ないんだぞ。エウリの体が、もつかどうか…」
「安心して。私、頑丈だから」
エウリが、ちらりと振り返った。
その白い十字架が浮かぶ緋色の瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
「再生する前に、再生できないくらいの広範囲を、一発で潰す。ナイトメアを倒すには、多分それしかない。コトギの全力を、私にちょうだい」
とんでもない賭けだ。エウリの体が反動で壊れるかもしれない。それでも――今、勝てる目があるとすれば、これしかないと考えてしまった。
「……っ、わかった!死ぬなよ、絶対に!」
「うん。コトギも」
俺は、痛む体に鞭打って、ありったけの意識をスキルに集中させた。
心臓が跳ね、体の奥で熱が渦を巻く。神威を重ね、重ね、極限まで濃縮する。赤いオーラが、エウリの全身から、炎のように噴き上がった。
ドン、ドン、ドン――と。
どこからか、太鼓の打音が響き始める。
「軍神の戦歌!!」
ドン!とひときわ大きな打音が鳴った瞬間、エウリのまとう赤いオーラが、目を灼くほどの輝きに変わった。彼女の足元の石畳が、エウリから発されるエネルギーに耐えきれず、放射状に砕け散る。
「……すごい。これが…コトギの全力」
エウリが、月地を両手で握りしめ、低く腰を落とした。
『ココココ、コロス……』
ナイトメアが、咆哮と共に突進してくる。瘴気をまとった巨腕が、エウリめがけて振り下ろされた。
恐ろしいほどの勢いがある腕が近づいてきても、エウリは避けなかった。
地を蹴り、真正面から、その懐へ飛び込む。
爆発的な加速により、もはやエウリの姿が消え、彼女が通った後にできた琥珀色の軌跡が、広間を一閃した。
「――はぁぁあああああ!!」
月地が、唸りを上げて振り抜かれる。
融合体の胴の中心、瘴気のど真ん中に向けて、ハンマーがクリーンヒットした。
ドゴオオオオオオオン!!!!
爆発した、としか言いようのない衝撃が、広間を揺るがした。
月地に組み込まれた機構、後追いで発動した土の槍が地面から噴き上がる。ハンマーによる打撃と、土の槍による貫通と、それらを一体とさせたエウリの膂力による爆圧。
その全てが、”軍神の戦歌”で底上げされ、融合体の体を内側から食い破った。
黒い巨体が、くの字に折れ、後方の壁まで吹き飛ぶ。瘴気が四散し、再生する間も与えず、継ぎ接ぎの体が、ぼろぼろと崩れていく。
……やった。
今度こそ、再生が追いついていない。
俺が、安堵に息を吐きかけた、その時だった。
崩れていく黒い体の中から――声が、聞こえた。
『あ……ぐ……っ、いた、い……たすけ……て……』
それは、先ほどまでの壊れた機械のような声じゃなかった。
ナイトメアがはがれた普通の獣人、マロスの声だ。弱弱しくも、苦しみと、助けを求める声を発していた。
「……っ!」
俺の心臓が、ぎゅっと縮んだ。
崩れていく瘴気の奥に、人型のシルエットが見えた。融合が解けかけているのか、巨体が崩落するごとに、彼の本体が露わになっていく。全身を黒い瘴気に喰われ、苦悶の表情を浮かべて、もがいている。
”実体のない悪夢”…人体実験により生み出された伝説上の魔物、人柱から魔力を抜き出して成長する魔物。人体実験…人柱…もしかして、マロスは何者かの悪意によって、ナイトメアにつながれた犠牲者なのだろうか。
「コトギ……あの人って……」
”軍神の戦歌”の反動が来たのだろう、赤いオーラが消えたエウリが片膝をつきながら、それでもマロスの方を見ていた。彼女も気づいたのだろう。
もしかしたら、倒した相手が、本当は助けを求めて泣いている、哀れな被害者だということに。
「……どうにか、助けないと」
俺は、痛む左腕を押さえながら、よろよろと立ち上がった。
マロスは明確な敵だった。俺たちを騙し、殺そうとした。
でも、彼を縛っているものの正体を、俺は薄々、感じ取っていた。何者かの悪意によって作られ、操られ、自分の意志とは関係なく、悪夢を演じさせられている――そういう存在なんじゃないか、と。
崩れゆく瘴気の中で、マロスが、ぴくりと指を動かした。まだ、息がある。だが、このまま放っておけば、ナイトメアの崩壊に巻き込まれて、本体ごと消えてしまう。
「コトギなら、助けられる?」
エウリが、静かに問うた。
「……ああ」
おそらく、ナイトメアに戦える力はないだろう。だけど、本当に必要なのは、彼を縛りつけている呪いを、操りの糸を、どうにかして引き剥がすことだ。しかし、どうすればいい。剣で斬れるものじゃないし、力で殴れるものでもない。
剣じゃ、届かないならば…
俺にできることは、なんだ。
俺が、この世界で誰よりも得意なことは。前世から、ただ一つだけ、ずっと続けてきたことは――。
「……エウリ。少しだけ、ナイトメアが暴れだしたときに、時間を稼いでもらえないか」
「うん。コトギは、コトギのやり方で」
エウリが、満身創痍の体で、それでも頷いた。
俺は、月炎を鞘に納める。崩れゆく悪夢の前に立ち、苦しむマロスを見据えて、ゆっくりと、息を吸い込んだ。
戦いの只中で。瘴気の渦巻く、悪夢の広間で。
俺にしかできない方法で、彼を救って見せる。




