第15枠 西へ、旅立ちの朝
宿を発つ前に、女将さんから、これまでの宿泊代と食費の請求書を受け取った。
えーっと……アラクネ幼体の討伐報酬が金貨三十枚。余った素材を売り、武器の代金を払い、あれこれ差し引いて手元に残ったのが金貨十枚。日本円にすると、感覚的には百万円くらいだろうか。そして、今回の請求は――金貨八枚。
数字を見た瞬間、目の前が少し暗くなった。
「これ、ほとんどが…?」
「食費だねぇ」
女将さんが、にっこりと言い切った。
そうか…俺の十倍は食ってるんじゃないかと薄々思っていたが、実際に金貨八枚分の食費を、一か月ちょっとで叩き出していたわけだ。改めて数字で突きつけられると、胃にダメージが来る。
エウリが隣から請求書を覗き込んだ。
「思ったより、安いね?」
「そう、だね」
エウリは王族の娘。金銭感覚が、根本から違うのか。
……まずい。これは本格的に依頼をこなして稼がないと、相棒の胃袋に俺の財布が耐え切れず、餓死する未来がはっきりと見える。
そんな悩みを抱えつつ、俺たちは荷物を担いで宿を出た。朝の空気はひんやりと冷たく、旅立ちには清々しい。懐具合だけは、どんよりと曇り空だったが。
街でお世話になった人々への挨拶を済ませ、最後に冒険者ギルドへ立ち寄ると、ガイさんがカウンターに出ていた。
「来たな。旅立ちの支度は済んだか?」
「はい。本当に、色々とお世話になりました」
「いや、それはこっちの台詞だ」
ガイさんがそう言うと、受付の職員に加え、奥の執務室からも、ぞろぞろと職員が出てきて、俺たちの前に横一列に並んだ。何事かと面食らう。
ガイさんは職員から一枚の紙を受け取り、広げて、おもむろに読み上げ始めた。
「コトギ、並びにエウリ。両名は、A級下位アラクネ幼体を発見後、人的被害なく討伐した。A級下位ともなれば、街まで進行を許せば、多くの民が犠牲になっていたであろう。被害を未然に防いだ素晴らしき功績に、深く感謝する。その功を称え、両名をグレーブスの栄誉市民とする。――グレーブス代表代理、ガイ・レジクーサ」
ぽかんとしていると、職員全員が、一斉に拍手を始めた。
……栄誉市民。
あの戦いは、ただ自分たちの命を守るために、必死で動いた結果だった。それでも、知らないところで街の安全に繋がっていたのなら、これほど嬉しいことはない。
というか、ガイさんってギルドマスターであり、街の代表でもあったのか。全然そうは見えない。
「俺が代表に見えん、って顔してるな」
ガイさんが、にやりと笑った。
「俺は書類仕事が大の苦手でな。街の運営は国から派遣された役人に任せて、俺は現場で剣を振るう側ってわけだ。……まあ、堅苦しいのはここまでだ。せっかくの門出だからな!」
言うが早いか、ガイさんは革袋をぽいと投げて寄越した。中を覗くと、金貨がいくつも入っている。
「ちょ、これは」
「討伐報酬とは別だ。街の住人からの、礼の気持ちさ」
「また戻ってきたら酒場で歌ってくれよー!」
「エウリちゃん、また屋台に顔出してね!」
「コトギ、浮気すんなよ!」
「エウリちゃん、いつでも僕の嫁に来ていいからね!」
「はぁ!?エウリちゃんはうちの養子に来るんだよ!」
「んだとコラ!」
気づけば、ギルドの中には冒険者から屋台のおっさんまで、見知った顔がずらりと集まっていて、口々に声をかけてくれていた。
……なんかエウリへの求婚と養子縁組の申し出が、妙に多い気もするが。
「どけどけ野次馬ども!英雄様のご出立だぞ!」
ガイさんが人混みをかき分け、ギルドの外へと俺たちを先導してくれる。
ギルドを出てからも、街の入り口まで、道行く人たちに次々と見送られながら進んだ。たった一か月ちょっとの滞在で、こんなにも顔見知りができていたのかと、胸の奥が温かくなる。
言葉が通じることに安堵した、あの最初の日から、馬車に乗せてもらって、ギルドに登録して、酒場で歌って、魔物を倒して、エウリと出会った。
長かった気もするし、あっという間だった気もする。この街は、紛れもなく、俺がこの世界で生き直す、最初の一歩を踏み出した場所だ。
街の門の前で、ガイさんが足を止めた。
「またいつでも帰ってこい、二人とも。……それと、コトギ」
ガイさんが、少しだけ声を落とした。
「お前の事情は聞かねえ。だが、お前さんが何か大きなもんを抱えてることくらい、長年人を見てきた俺には分かる。西はここより物騒だからな、力の見せ方を間違えるなよ。困ったら、西の街のギルドで俺の名を出せ。多少は融通が利くはずだ」
「……ありがとうございます。ガイさん」
最後まで、面倒見のいい人だった。隠し事を全部察した上で、それでも詮索せず、ただ送り出してくれる。この人に出会えたことも、この街の幸運の一つだった。
「必ず、また来ます!」
「ん。ご飯、食べにくるね」
「あぁ、ふたりとも達者でな!」
見送りの声と温かい笑顔に背中を押されて、俺たちは門をくぐり、西へと歩き出した。
◇
しばらく歩いて、ふと振り返るとグレーブスの街が見えた。
石造りの外壁と、その向こうに連なる屋根。朝の光が、街全体を淡い橙色に染め上げている。
「コトギ」
隣を歩くエウリが、服の裾をちょんとつまんで、軽く引っ張った。
「行こう」
「うん、行こうか。……そういえば、魔族領までどのくらいかかるんだ?」
エウリは、うーんと考え込みながら、指を三本立てた。
「……三日ってわけじゃ、ないよな?」
「歩きだと、三か月くらい……だと思う」
異世界。車も電車もない、異世界。国から国へ移動するとなれば、それくらいはかかるか。
「まあ、急いでも仕方ない。それに反乱を起こしたパルデ辺境伯は、凄腕の魔法使い。今の私たち二人だけじゃ、たぶん勝てない。力をつけながら、ゆっくり行こう」
「四大貴族、”叡魔”のパルデ……か」
人族と魔族は、長く敵対してきた。今でこそ表立った戦こそないものの、その実態は、張り詰めた冷戦状態らしい。エウリは瞳が少し特殊なだけの普通の人族にしか見えないが、本来は――魔力炉が欠損していなければ、もっと魔族らしい外見になるのだという。
どんな感じになるんだ?と聞いても、なぜか恥ずかしがって教えてくれないが。
何か情報がないかグレーブスで少し調べたところ、魔族の四大貴族についての情報が手に入った。人族側でも、四大貴族はかなり有名な存在のようだ。
”叡魔”パルデ
”瘴魔”ゲヘナベル
”凍魔”フリード
”滅魔”カラム
詳しい強さを知る者は街にいなかったが、どれも単独で街一つを殲滅できるほどの力を持ち、S級の魔物よりも強い、という噂だった。エウリが二人だけでは勝てないと言うのも、頷ける話だ。
「ちなみに、エウリのお父さんって、二つ名とかあるのか?街では、魔王は人間族との共生を選んだ優しき王とか言われてて、二つ名を聞いていないんだが…」
「うん、ある。お父様はね――」
エウリが言いかけて、ふと口をつぐみ、耳を澄ませた。
つられて俺も意識を集中させると、少し遠くの方で、何やら大量の足音が地響きのように鳴っているのが分かった。
「コトギ、行こう」
「え、行くって、音の方に!?」
エウリは答えるが早いか、ダッシュで音のする方へ駆け出していった。とりあえず置いていかれないよう、慌てて後を追う。せっかくの二つ名の話が、見事に流れた。
大量の足音の正体は――この世界に来て、最初に見た、六本足の羊のような魔物の群れだった。
「シックスシープ、だったっけ……もしかして、エウリ」
「あれは、おいしい魔物。コトギ、狩って、焼肉にしよう」
エウリの目が、完全に狩人の目になっている。なんなら、瞳に肉が映っているようにすら見える。
こうなったエウリは、もう止まらない。俺も覚悟を決めるしかなかった。
シックスシープは、食用魔物の中でもとびきり人気の高い獲物だ。
臭みのない肉質に加え、六本の足で長距離を駆けるため、適度に締まった肉と脂のバランスが絶妙とされる。高級肉として珍重されるほどの人気だが――その高級たる理由は、もう一つあった。それは…
「くっ……!エウリ!そっち行った!」
「私の肉……速すぎる……!」
そう。シックスシープは、戦闘力こそ皆無だが、逃げ足がとにかく速い。
六本の足を巧みに操って猛烈な速度で走り、さらに最高速のまま直角に曲がる、異常な速度と異常な小回りまでこなす。捕まえること自体が、最大の難関なのだ。
「噂には……聞いてたけど……ぜぇ、ぜぇ……速すぎるだろ……!」
「むぅ……コトギ、バフ頂戴。それと、ハンマー預かってて」
エウリが巨大なハンマー”月地”を地面に置き、腕まくりをした。完全に、ガチモードである。
俺は言われるがまま、バフをかけることにした。
「行くぞー……身体強化、神威」
エウリの全身から、赤いオーラが立ち上り始める。
エウリは足幅を前後に大きく開き、まるで陸上選手のクラウチングスタートのような姿勢を取った。
「……行く!」
次の瞬間、地面が爆ぜる勢いで、エウリがシックスシープへと飛び出した。
速い!俺の目には、もはやエウリの姿が霞んで見えるほどの速度だ。
そのまま捕獲するかと思いきや、シックシープは、その場から直角に急加速して、エウリの突進をひらりと回避した。
だがエウリも負けていない。空中で体勢を整え、進行方向にあった木の幹へ器用に着地すると、木を折る勢いで、さらに突進を重ねる。
シックスシープも、そんな曲芸じみた動きをするとは思っていなかったのか、一瞬回避が遅れたが、それでもなんとか躱しきる。エウリはまた別の木に着地し、突進を繰り返した。
突進、回避、突進、回避。
「……忍者漫画みたいな動きになってるな」
移動速度が速すぎて、エウリの姿は、もはや琥珀色の髪が宙に描く金色の軌跡としか認識できない。回避しきれていないのか、シックシープの白い体毛が、心なしか抜けて少なくなっている気がする。
無限に続くかと思われた追いかけっこだったが――気づけば、シックスシープの周囲の木々は、獲物を囲い込むように軒並み倒れ、逃げ場のない檻が出来上がっていた。エウリの突進は、ただの体当たりではなく、退路を潰す布石だったのだ。
「もう……逃げられない」
エウリが、ゆっくりとシックスシープへ歩み寄っていく。
赤いオーラを纏い、薄くい笑みを浮かべながら、追い詰めた獲物との距離を詰めるその姿は――まさしく、魔王の娘、と呼ぶにふさわしい風格だった。
……肉のためだけど。
◇
「ん~~~っ!!」
口いっぱいに肉を頬張り、頬を染めて歓喜の悲鳴を上げる、魔王(の娘)。そう、エウリである。
「はいはい、ちゃんと噛んで食べろよー」
俺は倒れた木から枝を集めて焚き火をおこし、せっせと肉を焼いていく。解体作業は正直、口に出せないほどグロテスクだったが、エウリは慣れた手つきでガンガンさばき、大きめの肉ブロックに加工してくれた。お姫様のスキルとして、どうなんだそれは。
「俺も食べるか。いただきます」
魔物を食べるのは正直少し怖いが、おそるおそる、焼けた肉を一口かじる。
「うっっっま!!」
口に入れた瞬間に広がる、重厚な肉の香り。噛むほどに溢れ出す、熱い肉汁。とろけるように甘い脂と、ほどけていく繊維の柔らかさ。そのすべてが渾然一体となって、口の中を幸福で満たしていく。
「これ、今まで食った肉の中で、断トツの一番だ……」
「ふふん……私に感謝するといい」
エウリは両手に肉串を持ち、得意げにドヤ顔を決めていた。
「ああ、ありがとうエウリ。お前のおかげで、最高の昼飯にありつけた」
素直に礼を言うと、エウリは一瞬きょとんとして、それから、満更でもなさそうに目を細めた。
「ん……よし。もう二体、狩ろう」
手の肉を高速で平らげると、エウリは立ち上がり、今度はハンマーを構えた。
「動きは見切った。次は、月地で狩る」
その後、日が暮れるまで、エウリの狩りは続いた。
俺もバフをかけ続けたり、シックスシープの退路を塞ぐ係をやらされたりと、さんざん駆けずり回された。最初の旅程は、ほとんど進んでいない。
でも――肉を頬張って、心の底から幸せそうに笑うエウリの顔を見ていたら、文句のひとつも言えなかった。
湖畔で、あんなに泣いていた相棒が、こんなに無防備に笑っている。
なら、この回り道も悪くないな。魔族領までは三か月。焦らず、二人で強くなりながら、ゆっくり行けばいい。
「明日も……シックスシープ狩り……」
「いや、さすがに先へ進もうな」
「……ん。仕方ない」
名残惜しそうに肉の焼ける匂いを嗅ぐエウリの背中を押して、俺たちは焚き火の始末をした。
西の空には、いつの間にか、薄い昼の月が浮かんでいた。
まだ見ぬ広大な異世界へ。
数えきれない物語の待つ、壮大な旅が――今度こそ、本当に始まった。
ーーおまけ
第1章終了時点のステータス
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チャンネル名 コトギ
職業 吟遊詩人
加護 【秘匿】?????の寵愛、アレスの加護
スキル
・歌唱
・【秘匿】神威
・【秘匿】軍神の戦歌
・【秘匿】???
・【秘匿】???
・【秘匿】???
称号 【秘匿】???
――――――――――
これにて、第1章「新たな活動のはじめり」が完結となります。
次回から、第2章「魔族編」が始まります、お楽しみに!
―—綺凛(作者)から皆様へ――
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