第13枠 この世界に来てよかった
翌日、いつものように寝坊するエウリを朝食の誘惑で叩き起こし、二人で腹を満たしてから、街の外へ出た。
向かった先は、エウリと出会った、あの森だ。なんとなく、お互い落ち着いて話すためには、街の外で話すのがいいだろうという話になった。
初心者向けのスライムや小型の魔物を片付けながら奥へ進むと、そこそこの大きさの湖に出る。
受付の人に落ち着いて時間を潰せる場所はあるか、と聞いたら、ニヤニヤされながらこの湖がおすすめだと教えてもらった。
何やら勘違いされた気もするが、気にせずオススメの場所を話し合いの場に選んだ。
湖の透き通った水面に空が映り込んでいる。俺たちは、その湖畔に並んで腰を下ろした。
風に揺れる草木の音、遠くから聞こえる鳥の声。水面を滑っていく風のさざめき。
しばらく、どちらも何を話すでもなく、ただぼんやりと湖を眺めていた。
一際大きな風の音が通り過ぎたあと、俺は口を開いた。
「……俺は、異世界人なんだ」
なんとなく、自分から話すことにした。
エウリは湖面を見つめたまま、小さく頷いた。その反応からして、異世界人という言葉自体は、この世界にもあるらしい。少しだけ、肩の力が抜けた。
「地球っていう星の、日本って国で生まれて、そこで色々と無理をして死んでしまったんだ。
それで、この世界に転生してきた。前世では、VTuberっていう……うーん、吟遊詩人みたいなものかな。配信っていう手段で、大勢の人の前で歌ったり、楽器を弾いたり、特技を見せたりする仕事をしてたんだ」
VTuberも配信も、この世界にはない言葉だ。正確に伝わるかは分からない。でも今は、言葉の正確さより、気持ちを伝えることの方が大事な気がした。
「働きすぎて、過労で死んで。それで、とある神様に転生させてもらった。……まあ、転生の時も色々あって、半分は神様の都合だったんだけどね」
それから、順番に話した。神様謹製の体のこと。ほとんどが隠蔽された、自分のステータスのこと。神威という特殊なバフが使えること。
そして、自分でもまだ正体を掴みきれていない、自分自身のこと。
話しながら、ふと気づいた。
こんなに長く、誰かに自分のことを語ったのは、ずいぶん久しぶりだ。前世でも、画面の向こうに向かって喋り続けてはいたが、今世では、出会う人すべてに、素性を偽って生きてきた。ガイさんにも、街の人たちにもだ。
「前世の俺は、リアルで人と話すのが苦手で、ずっと部屋にこもって配信ばっかりしてた。
それが急に死んで、転生して、この世界に来て、最初はどうすればいいか分からなくて。仕事をもらって酒場で歌ったり、魔物と戦ったり、その場その場で、なんとか乗り越えてきたんだけど……」
言葉が、少しずつ重くなる。
「……ふとした時に、思い知るんだ。ここは俺のいた世界じゃなくて、全く別の世界で。ゲームもない配信機材もない…だから、元の世界には、もう……戻れないんだって」
話している途中で、ふわり、と。
エウリの小さな手が、俺の頭を撫でた。
「……エウリ?」
「孤独で、不安だったんだね」
「それは……あれ?」
視界が突然、水を垂らしたかのように滲んだ。
エウリの顔が、ハッキリと見られなくなる。
「ねぇ、コトギ。私を助けてくれて、ありがとう。私のこと、見捨てないでくれて、ありがとう」
エウリは優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと俺の頭を撫で続けた。
小さくて手のひら、細くて白い指が、俺の灰色がかった白髪を撫でる。
彼女の瞳に写る俺の姿は、転生前に活動していたVTuberのアバターそのものだった。
……あぁ、そうか。
俺は、不安だったんだ。
いきなり死んだと告げられて、いきなり転生させられて、転生先でも、信じられないほど強い魔物と命のやり取りをして。いつも不安だったんだ、命の軽いこの世界で生きていくしかないことも。
夜になれば、嫌でも前世の配信を思い出した。酒場で歌えば、前世のライブが脳裏をよぎった。剣を振れば、好きだったゲームを思い出した。
そして、そのどれもが、もう二度と手に入らないものなのだと、何かをする度に、思い知らされた。
死んだのは自分の無茶のせいだと分かっている。転生させてくれた神様には、心から感謝している。それでも――途方もない孤独と不安が、ずっと胸の底に澱んでいた。
弱くて、部屋に引きこもっていた前世の俺には、本当は、抱えきれないほどの不安が、頭から離れない。
ずっと、気づかないふりをしていた感情に、エウリの指先が、そっと触れた。
「……聞き取れないかもしれないけれど。私の言葉で、話すね」
次にエウリが紡いだ言葉は、いつもの単語をぽつぽつ並べるような話し方ではなく、淀みのない、流れるような文章だった。
なぜか分からないが、これが魔族の言葉なのだと、直感で分かった。
「貴方は、私の命を救ってくれた。救ってくれた後も、私を見捨てず、食事も、住む場所も、冒険者になることも、全部支えてくれた。……貴方にとっては成り行きで、仕方がなかったことかもしれない。
でもね、私の孤独と不安を救ってくれたは、他でもない貴方なんだよ。」
優しい歌を歌うように、小さい赤子を寝かせるように。
彼女の柔らかな言葉は、じんわりと俺の淀んだ胸の奥を癒した。
湖面に反射した光が、エウリの琥珀色の髪を美しく照らしている。
「貴方は…私の勇者だよ、コトギ」
言葉で、面と向かって、誰かに感謝される。
それが、こんなにも嬉しくて、こんなにも、心を癒してくれるものなのか。
不規則にしゃくり上げる喉が恥ずかしくて、エウリの顔をまともに見られなかった。それでも彼女は、何も言わず、ただ静かに、俺の頭を撫で続けてくれた。
小さな手の温もりが、何よりも心地よかった。
◇
「……コトギ、魔族語が、分かるの?」
ひとしきり落ち着いてから、エウリが不思議そうに尋ねた。
「うーん、音としては聞き取れてないんだけど、意味だけが自然に頭に入ってくる感じかな。たぶん、これも神様のサービスだと思う」
俺はべちゃべちゃになった顔を、湖の水で洗った。その時、水面に映った自分の顔が、前世でVTuberとして使っていたアバターと、驚くほどそっくりだったことを改めて自覚した。まぁ正直、この顔で助かったところもある、泣いて晴れた目でも整って見えるし。
「……エウリって、こんなに普通に喋れたんだな」
「失礼な。人族の言葉は、話しづらいの。魔族語なら、スラスラと話せるよ」
エウリが、むっと頬を膨らませる。
それにしても、流暢に喋るエウリには、全然慣れない。
いつもは、ごはん、とか、うん、とか、単語でしか喋らないのに。少しお姉さんみたいな落ち着いた口調が、別人みたいに感じる。
「……次は、私の話。あ、今は魔族語で話すけど、普段は人族の共通語で話すからね」
わざわざ話しづらい共通語で生活していることには、きっと理由があるのだろう。そして、その理由こそが、これから話すことの核心なのだと感じた。
「私の本当の名前は、エウリ・ディーチェ。魔族を束ねる王、ゼルドア・ディーチェの娘。……私は、魔王の娘なの」
「うん、ごめん。知ってる」
「……そうだよね、驚くのも無理ないよね……って、え!? 知ってるの!?」
「いや、冒険者登録の時、ステータス見えたし……」
「あれは、魔王の系譜にしか読めない特殊な暗号文字なんだけど……コトギ、まさか私と同じ、魔王の一族なの……?」
「いや、普通の人間……あ、神様が特別な仕掛けをしたって言ってたから、これもそのサービスかも」
エウリは少し考え込んでから、まあいいか、と呟いた。
よく喋るようになっても、結局エウリはエウリだな、と思う。
「そして、もう一つ。私がたくさん食べて、魔族なのに魔法を使わないのはね、魔力炉と呼ばれる、魔族特有の器官が欠損しているからなの」
「えっ!?大食いなのって理由があったの!?今日一番の驚きなんだけど…」
「……コトギ。ハンマーで殴るよ?」
エウリの瞳から、すっとハイライトが消えた。脊髄反射で頭を下げる。
「すいません冗談です」
エウリは、大食いだと思われていたのが恥ずかしいのか、ほんのり頬を赤らめている。
「……コホン。食べるのが好きなのは、いいの。それは本当だから。
でも、魔力炉はね、魔族にとって第二の心臓みたいなもの。生命力を底上げして、魔力を生み出して、魔法を制御する器官なの。私はそれが欠損しているから、勝手に漏れ出てしまうエネルギーを、食べ物で補ってる。
だから、最初に助けてもらった時、栄養失調で力が出なくて、あんな弱い魔物相手に、何もできなかった」
「……そういえば、助けた後、お医者さんに、一週間以上、何も食べてない衰弱状態だって聞いた。なんで、そんなことになったんだ?」
湖面を見つめるエウリの横顔が、ふっと翳った。
遥か遠くの空で、ドラゴンが長い咆哮をあげている。
◇
Side エウリ
コトギと出会う、少し前。
私は、魔王城から最も遠い領地へ、視察に来ていた。
「……それで?パルデ辺境伯が謀反を企てている、という証拠は見つかったの?」
「いえ、姫様。奴は周到に証拠を隠滅しておりまして……各所への連絡も人族の奴隷を使い、伝言が無事に届いたら、その奴隷の命を奪って、外部に情報が漏れないようにするような徹底ぶりでして…」
「なんて非道な事を…魔族と人族の関係は、細い綱渡りだというのに。それも、お父様の目指す人魔共生への、抵抗のつもりなのかしらね」
お父様――魔王ゼルドアは、魔族と人族が理解し合い、共に生きていく社会、人魔共生を目指している。
そのため、長く続いた魔族と人族との戦争を、一時的にとはいえ、停止させたというのに。
私がこの魔族領の端、パルデ辺境伯の領地まで来たのは、辺境伯が魔王への謀反を考えている、という情報が暗部から上がってきたからだ。
お父様の進める人魔共生を、快く思わない魔族は少なくない。表立って反対するのは四大貴族のうち一家だけだと思っていたのに。まさか、四大貴族の中に、もう一つ反対派閥が潜んでいたとは。
「パルデ辺境伯は、四大貴族として前魔王様の御代から重用されたお方。見た目こそ温厚な方ですが、四大貴族の中で最も巧みに魔法を操る賢者、叡魔の二つ名を持っております」
「ええ、知っているわ。類まれな知略と、無数の魔法を操る、魔族の叡智。……彼が敵に回るなんて、信じたくない」
辺境伯へは、事前に訪問の通達を出していた。他の政務で動けないお父様に代わり、私が領地を訪れることになったのだ。
こんなに大きな政務を任されるのは初めてで、出立の時なんて、心配性のお父様がドレスの裾をなかなか離してくれなくて、本当に大変だった。
けれど、今回はお父様の私兵の一部と、王族直下の精鋭も連れている。万一、辺境伯が武力で抵抗してきても、対処出来るだろう。
……そう、思っていた。
硝煙と血の臭いが充満していく。
逃げ込んだ森には火を放たれ、逃げ場ももうないと確信していた。
「姫様、どうかご無事で!!」
「レイナ!!ダメ!!」
パルデ辺境伯は、私の想像を遥かに超えて、狡猾だった。
私たちが領地に着いた時には、領民のすべてが兵にすり替えられ、逃げ場のない包囲が、すでに完成していた。
館に足を踏み入れた瞬間、内外から戦術級の攻撃を受けた。私たちは命からがら領地を脱出したけれど、追っ手は厳しく、私を守ってくれる人が、一人、また一人と倒れていった。
「私を含め、残る全員で追っ手を食い止めます。その間に一縷の望みに賭けて、姫様を、ランダム転移で飛ばします」
レイナは、魔族の中でも特殊な、転移魔法の使い手だった。転移魔法は最高難度に位置する魔法で、先達もほとんどおらず、使いこなすのは至難の業とされている。
「最期まで魔法を完璧に操ることができなかった私を、どうか、恨んでください」
「許さないわ!!だから、私だけ逃がすなんて選択はやめて!私も、みんなと一緒に、最後まで抗うから!」
「いけませんよ、姫様。そんなことをしたら……私が魔王様に、殺されてしまいますから」
私と瓜二つの顔で、レイナはにっこりと笑った。
彼女は、私の影武者だ。ここで、私の代わりに死ぬ覚悟を、もう決めているのだ。
「急げ!もう追いつかれるぞ!」
私を守ってくれる部隊の人達たちが、追っ手を止めようと、次々に魔法を放つ。
「ここまでですかね…それでは、お別れの時です、姫様」
「イヤ……!イヤよ、お別れなんて…」
「影でしかなかった私を、大切に想ってくださり、ありがとうございました。前魔王様とご一緒に、天から、貴女様を見守っておりますね」
転移魔法が発動する。私の周囲に光が溢れ、膨大な魔力が渦を巻いて集まっていく。
「さようなら、姫様」
私より、ほんの少しだけ垂れた目尻。ほんの少しだけ薄い唇。私よりもずっと大人びた笑顔で、彼女は笑いながら、手を振った。
「必ず、生き延びてね…エウリ」
「レイナぁ!!!」
光が、すべてを呑み込んだ。
◇
「……転移魔法は、半分成功して、半分失敗した」
エウリは、右胸に手を当てて、静かに目を閉じた。
魔力炉というのは、人間の心臓とは反対側に、右胸にあるのだろうか。
「成功は、レイナの狙い通り、追っ手の届かない人間領に、私が転移できたこと。失敗は…制御できず、荒れ狂った転移魔法の魔力圧に耐えきれず、私の魔力炉が、欠損してしまったこと」
だから、力が出せなくなった。
漏れ出すエネルギーを食べ物で補わなければ、立つこともできなくなった。一週間飲まず食わずで森を彷徨い、力尽きかけたところを、レグスパイダーに囲まれた。
あの日、エウリが魔物に襲われていたことも、栄養失調でいたことも、冒険者登録するときに出自を言えなかったことも、ようやく全部が繋がった。
「レイナはね、昔から、なんでも半分失敗するの」
エウリが、ぽつり、ぽつりと、独り言のように続ける。
「果物の皮を剥かせれば、半分は綺麗に、半分は不細工に。試験も、実技はとびきり優秀なのに、筆記は全然だめ。お菓子は作れるのに、料理はてんでだめでね。
……ふふっ。自分で作った、まずい料理を、頑張って全部食べきった時の顔、すごく面白かったなぁ」
その声は、岸辺に寄せる小さな波の音に、今にも掻き消されそうだった。
「……私の顔も、こんな風に、たくさん動くんだろうかって。レイナを見てると、いつも思って……なんだか、笑っちゃってた」
俺は、何も言えなかった。
代わりに、さっき彼女がそうしてくれたように、今度は俺が、エウリの頭を、ゆっくりと撫でた。
「……よく、生き延びたね、エウリ。君が生きていてくれて……本当に、よかったよ」
ありきたりな言葉しか出てこなかった。でも、心の底から彼女に感謝していることが、どうにかエウリに伝わることを祈りながら、頭を撫でる。
彼女が生きて、あの森で出会ってくれなければ、俺はきっと、今もまだ一人ぼっちのままだった。
「……そうだね。私、ちゃんと生きてるよ。……これからも、ちゃんと生きていくから」
西に傾き始めた日差しが、エウリの金の髪を、燃えるような橙色に染め上げていく。彼女の瞳は、亡き友人を見ているのだろう。
エウリは俺の胸元に顔をうずめて、静かな波の音よりも、ずっと澄んだ、綺麗な声で、泣いた。
影武者として笑って消えていった、もう一人の自分のために。
守れなかった、たくさんの人のために。
そして、ようやく安心して泣ける場所を、見つけた自分のために。
俺はただ、その小さな背中が震えるのを、日が落ちるまで、撫で続けた。
◇
「よし。それじゃあ、魔族領に行こうか」
「……え?」
俺たちは落ち着きを取り戻し、街に戻って夕飯を食べていた。
涙の余韻なんてどこへやら、相変わらずエウリの前には、料理の塔が築かれている。彼女は、切り分けた肉を口に運ぶ手を、ぴたりと止めた。
「いや、エウリの故郷なんだろ? なんとかして戻らないと、お父さんが危ないんじゃないか」
「そう、だけど…危ないよ?」
やっぱり共通語に戻ると、エウリは途端に言葉が短くなる。
「まあ、なんとかなるって。A級下位の魔物も、二人で倒せたしさ」
人族と魔族が戦争を停止しているなら、魔族領に行ったからといって、即座に殺されることはないだろう。
それに――魔王。数々のゲームで、ラスボスとして君臨してきた、あの魔王。エウリの父親だというのなら、ぜひ一度、会ってみたいものだ。どんな威厳に満ちた存在なんだろうか。
……エウリに胸の内を全部ぶちまけたおかげか。
不思議と、この世界を、まるごと楽しみ尽くしてやろう、という気持ちが、胸の奥で熱を持ち始めている気がした。
孤独も不安も、全部あの湖畔に置いてこれた。
なら、あとは前を向くだけだ。一人じゃない、最高の相棒が、隣にいるんだから。
エウリは少し悩んだあと、ふっと、何か吹っ切っれたような表情になった。
「……ん。じゃあ、一緒に来て、コトギ」
「お任せあれ、お姫様」
うやうやしく頭を下げてみせると、エウリは、ぷっと小さく吹き出した。
花が咲くような美しい笑顔の彼女と、これから見たこともない世界を旅することで、きっと、俺はもっとこの世界を愛せるようになるという確信があった。
今なら心の底から、この世界に来てよかったと思える。




