第11枠 軍神の戦歌
爆心地のような惨状を、ぐるりと見回す。
…さすがにスライムの核は残ってないよな。クレーターができるほどの威力だし。
気を取り直して次のスライムを探そうと立ち上がった、その瞬間だった。
遠くで、鳥が一斉に飛び立った。小動物が逃げ惑い、草木がざわざわと波打つ音がする。
「「っ……!」」
俺とエウリは、同時に森の奥を見た。
まるで頭上から見えない手で押さえつけられるような、肌がピリピリと粟立つような、強烈なプレッシャーを感じる。
「…これは、まずいかもな」
「ごめん。私が、大きな音を出したからかも」
「いや、たまたまだよ、多分」
プレッシャーを発している何かがいる方向から目を離さずに、俺たちは言葉を交わす。会話で互いの存在を確かめていないと、この異様な圧力に意識ごと飲み込まれそうだった。
間違いなく、一昨日の事件でギルドマスターのガイさんが倒したBランクの魔物より、強い。
――次の瞬間、時間が止まったような静寂が落ちた。
頭上で騒いでいた鳥の声が、ぷつりと消える。
風がやみ、葉擦れの音すらしない。虫の音も、小動物の気配も、何もかもが消え失せたようだった。
森全体が、何かを恐れて息を潜めている。生き物の気配が完全に消えた森というのは、こんなにも不気味なものなのか。
エウリが、引きずっていたハンマーを握り直し、ゆっくりと構えを取った。さっきまでの得意げな顔が消え、緊張をにじませている。
俺も剣を抜き、邪魔にならないよう鞘を後方へ放り捨てて、構えた。
ぼすん、と鞘が草むらに落ちた音と同時に――草木の影の隙間から、赤い眼光が覗いた。
最初は、木の葉が一枚揺れる程度だった。次第に、幹が揺れ、地面が微かに振動していく。
その音と雰囲気から、近づいてくる速度と重さに、俺は無意識に半歩、後ずさっていた。
現れたのは、巨大な蜘蛛型の魔物だった。
一昨日、エウリを囲んでいたレグスパイダーと同じ種類だろうか。脚の形、体の構造、複数の目の配置がレグスパイダーによく似ていた。
だが、1メートルほどだったレグスパイダーに比べ、こいつの体長は優に3メートルを超え、幅もそれに見合うゴツさがあった。
八本の脚が地を踏むたび、振動が足の裏を這い上がってくる。魔物の全身を覆う外殻は黒光りし、節の一つ一つが分厚い鎧のように重なっていた。
赤黒く光る複数の目が、一斉にこちらを捉える。
…これは、間違いなく一昨日のやつとは格が違うだろう。
戦闘経験の浅い俺でも分かる。漂う圧迫感から、おそらくBランク以上の魔物だ。
「逃げよう、エウリ」
どうにかなる相手とは思えなかった。一昨日のレグスパイダーは神威全開で倒せたが、あれはDランクだ。目の前のこいつは、その遥か上にいる。
だが、“逃避”というその判断は遅かった。
虫特有の、カチカチとした硬く速い動きで、魔物が地を蹴った。俺たちが来た方向へ、八本の脚を器用に操って素早く回り込み、木々の間を縫って、退路を塞ぐ壁のように展開する。
心臓が跳ね上がった。かろうじて目で追える速度。走って逃げ切れる相手じゃないと、否応なく自覚させられる。
しかも、こいつには知能がある。即座に襲わず、こちらの様子を窺い、逃げ道を潰してから仕掛けようとしているようだ。
「やるしかないよ、コトギ」
「…そうだな」
まだ手に馴染まない剣を握りしめる。それでも、武器があるという事実が、ほんの少しだけ恐怖を和らげた。もうやるしかないのだと、自分に言い聞かせる。
足を肩幅に開き、重心を低く落とす。漫画と格闘ゲームで覚えた体の使い方だけが頼りだ。やらないよりは、マシだろう。
深く息を吸い、腹の底から熱を引き出す感覚で、自分とエウリにバフをかけた。
「神威!!」
体の芯から、熱が爆ぜた。燃えるような熱が全身に広がり、皮膚の表面に赤いオーラが滲み、揺らめく。
視界が一段鮮明になり、聞き取れる音の輪郭がハッキリとし、魔物の脚が地を踏む振動までが、一つ一つ細かく 伝わってきた。エウリの体からも、赤いオーラが立ち上る。
「見た感じ殻がかなり硬そうだ。正面から叩くより、脚の付け根とか、継ぎ目の柔らかいところを狙おう」
「わかった。…魔物に詳しいね?」
「ゲームの知識、って言っても伝わらないよな…」
そう、俺は前世で山ほどモンスターを倒した。それがRPGでもアクションでも変わらずにゲームをクリアしてきたのは、ちょっとした自慢なのだ。
地球は素晴らしい世界だった、時間があれば、エウリにも聞かせてみたいくらいに。
「…はぁ、生きて帰れたら、腹を割って話さないか?エウリが知らない話、たくさんあるんだ」
「ん。私も、同じこと考えてた」
まるで、想い人を故郷に残して戦場へ出る兵士みたいなフラグの建て方だ。
生きた心地のしない危機ほど、軽口が増えるものなんだな、と初めて知った。
その余計な思考を断ち切るように、魔物が動いた。
八本の脚が一斉に地を蹴り、巨体が信じがたい速度で突っ込んでくる。
俺とエウリは、左右に分かれて跳んだ。
ドオオオン!
強烈な突進が、二人の間を貫いた。空気が爆ぜ、風圧だけで体が揺れた。直撃していたら、と考えるだけで背筋が凍る。
回避して転がった体を起こし、そのまま魔物の背後へ回り込もうとした。だが、それより速く魔物が方向転換する。八本の脚が独立して動き、巨体がその場で急旋回した。
あの複数の目は、全方位を同時に見張っているのだ。常にこちらを捕捉しているようで、気味が悪い。
体勢を立て直したエウリが、距離を詰めてハンマーを振り下ろした。
ガギン!
硬い金属同士がぶつかったような高音が響く。スライムを地面ごと消し飛ばした一撃のはずだ。だが魔物はよろけただけで、外殻にひびすら入っていない。
「硬い…手がしびれた」
俺の隣まで退いたエウリが、痺れを払うように手を振る。
「大きい外殻はやっぱり硬いか……よし、作戦通り関節とか柔らかそうな場所を狙っていこう。武器的に小回りが利く俺が攪乱する」
頷くエウリを横目に、俺は魔物の横腹へ踏み込んだ。注意を引くため、大きく剣を振り回して脚に叩きつける。
カンッ、カンッ!
鉄を打つような音が鳴り衝撃が腕に走る。
当然のように目立った傷はつけられていないが、これで問題ない。とにかくこいつの注意を引けばいいのだ。
「こっちだ!」
叫んで逆方向へ跳び、別角度から剣先を継ぎ目に突き立てようとした――その瞬間。
魔物の脚が、横薙ぎに払われた。
目では追えた。だが、戦闘経験のない俺の体は、とっさに反応しきれない。
衝撃が左の脇腹に走り、体が地面と平行に吹き飛ぶ。木の幹に背中から叩きつけられて、肺の中の空気が強制的に吐き出された。
「ガハッ!!」
……あぁ、体を強く打つと、本当に血を吐くんだな。
「ゴフッ……ベッ!…痛ってぇ」
口に溜まった血を吐き、袖で口元を拭いながら、剣を杖に立ち上がる。
痛い。痛いが、なぜか立ちあがることができた。神威によるアドレナリンのせいか、頭がやけに熱い。
神威の強化がなければ、今の一撃で終わっていただろう。脇腹に鈍痛が残り、息を吸うたびにズキリとした痛みが肺に刺さるようだ。
魔物の注意が俺に向いた、その隙を、エウリは逃さなかった。
低い体勢のまま側面へ滑り込み、脚の付け根へ、ハンマーを振り抜く。
ドグン!!
先程の硬質な音とは違い、鈍く重い音がなった。殻を叩く硬い音ではない。肉の奥をつぶしたような破壊音だ。
「キシャアァァアアアアアア!!!」
魔物が甲高い絶叫を上げた。
エウリから一撃を喰らった脚が、力を失い、ずるりと崩れ落ちる。
そうして、魔物の巨体が大きく傾いだ。
俺は脇腹の痛みを無視して、神威の熱を脚に集中させ、地面を抉る踏み込みで加速する。
傾いた魔物の腹の下へ潜り込み、殻の薄い部分、外殻と関節の隙間に剣先を押し当て、そのままズブリと剣を差し込んでいく。
このまま、根元まで突き刺す――!
「コトギ!!」
突然、襟首を後ろから引っ張られ、そのまま魔物から引きはがされるように、投げ飛ばされた。
ドン、という音が鳴る。急速に遠ざかる視界の中には
――俺が居た場所に代わりに立ち、地面から突き出した土の槍に、体を貫かれるエウリの姿が映った。
「エウリ!!!!!」
なんだ、あれは。土の魔法?魔法を使う魔物がいるのか……!
魔物は残った脚を横に振るい、エウリを吹き飛ばす。俺とは逆方向へ吹き飛ばされた彼女は、木々の間に消えて見えなくなった。
そして魔物は、そのままエウリを飛ばした方向へと、進み始めた。
考えろ、考えろ、考えろ!
どうにかしないと、エウリが死ぬ!!
神威だけじゃ火力が足りない。だが、これ以外のバフは知らない。
考えろ、思い出せ。これまでどれだけのゲームをやり、漫画を読んできた。何か、何かヒントになる場面を――
「……あれなら、もしかしたらいけるか…?いや、でも、出来たとして、耐えられるのか、俺に」
可能性はある。かなり危険度の高い方法が、脳裏をよぎる。
「…いや。俺の体は、神様が作ったんだ。なら、多少の無茶くらい、耐えてもらわないと困るだろ」
神様謹製の器なら、人の常識の外にあるはず。それを、その頑丈さを、神が俺を死なないように作ってくれた体を、信じるしかない。
エウリのもとに魔物が辿り着く前に。今すぐにやるしか、ない!
俺は覚悟を決め、体の奥底から力を絞り出すようにバフを発動した。
「神威、神威、神威、神威――!!」
身体強化、神威の重ね掛け。
某有名漫画では、同じように無理やりバフを増幅させ、能力が何十倍にも跳ね上がっていた。神威の重ね掛けの効果がそこまでいかずとも、重ねる意味はあるはずだ。
神威を重ねるたび、心臓がバクン、バクンと激しく鳴る。体を覆う赤いオーラが、見る間に濃くなっていく。
極限まで濃縮されたオーラは、陽炎のように揺らめき、やがて燃え盛る火炎のごとく立ち上った。
自分の鼓動か、それとも別の何かか。
ドン、ドン、ドン、と。太鼓を打つような音が、どこからか響き始め、脳裏に見知らぬ男性の声が聞こえた。
『力を求めし若人よ。仲間を守るため、その身を燃やす覚悟、しかと受け取った!敵を打ち破るため、己の矜恃のため、戦の歌を奏でよ!』
ぱりん、と。
視界の隅で、ダッシュボードの秘匿スキルが一つ、音を立てて剥がれる感覚があった。
ドン!ドドン!ドンドンドンドンドン!!
太鼓の打音はさらに激しく、さらに力強く鳴り響いていく。
それはまるで、戦に赴くものを鼓舞する演奏ようだった。
「――神威・軍神の戦歌!!」
スキル名を口にした瞬間、ドン!とひときわ大きな太鼓の音が鳴り、あたりに静寂が戻った。
力を感じる。
神威とは比べ物にならないほどの熱と力を、体の奥底から感じる。
大量にいる仲間の軍勢が全身を押しているような、奇妙な高揚と力が満ちていた。一人で立っているのに、千の兵が共に進んでいるような、そんな感覚。
魔物が足を止めた。
エウリを追うのをやめ、こちらをより大きな脅威と判断したのか、残る脚でバタバタと突進してくる。
赤黒い八つの目の下、牙の生えた巨大な口が、俺を喰らおうと大きく開いた。
「うおぉぉらあああああ!!!!」
牙の生えた口と地面の隙間へ体を滑り込ませ、違われるほどの踏み込みの力を乗せて、天へ向かって拳を振り抜く。
赤いオーラを纏った拳は、魔物の顎の外殻を粉々に砕き、一瞬、その巨体を宙に浮かばせるほどの衝撃を与えた。
そのまま魔物の横腹へ回り込み、刺さったままの剣の柄を握って、力任せに横へ薙ぐ。
刺さったままの剣は、外郭の隙間を通るように、魔物の内部を無理やり破壊した。
「ギシャアァァアアアアアア!!」
蜘蛛の魔物はさっきよりも大きな絶叫をあげた。切り裂かれた側へ巨体が傾き、赤黒く光る八つの目が、ちょうど俺の手の届く高さまで下がってくる。
「これで、終わりだぁぁぁああ!!」
一番右の目に、剣を刃の根元まで一気に突き立て、そのまま、すべての目を巻き込むように、横一文字に切り裂いた。
魔物は最後にピクリと痙攣し――それきり、完全に動きを止めた。
絶命を確認するなり、俺はエウリが飛ばされた方向へ走り出した。
じくじくと痛みを取り戻し始めた脇腹を押さえて森を進むと、地面に倒れ込むエウリの姿があった。
抱え起こすと、意識は失っているが、ちゃんと息をしている。
貫かれたように見えた土の槍は、どうやらハンマーで防いでいたらしい。全身の切り傷と打撲だけで、致命傷は負っていなかった。
……背中から槍が出ているように見えたのは、見間違いか。まあ、このハンマー、錆だらけで槌の形もいびつだしな。砕けた土の破片が、背中側に弾けたせいで、土の槍が貫通したように見えたのか…
「はーーーっ……よかったぁ……」
バフの効果が切れたのか、炎のようなオーラが消えていくと同時に、全身から力が抜ける。
「……ん、コト……ギ?」
「エウリ!目が覚めたのか、よかった――って、あれ?」
視界が、ぐるんと回転した。
神威の重ね掛けの反動か、全身が鉛のように重い。さっきまで気にならなかった痛みが、一斉に押し寄せてくる。
心配そうに見上げるエウリの顔を最後に、俺の意識は、ぷつりと途切れた。
◇
「……知らない天井だ」
お決まりの台詞を呟いて、ゆっくりと周囲を見渡す。
少し観察して分かった。ここはエウリを助けたときに連れてきた、ギルドの医務室だ。どうやら、無事に街まで運ばれたらしい。
ふと、足元に重みを感じて目をやると、エウリが俺の膝のあたりを枕にして、すうすうと寝息を立てていた。
包帯こそ巻いているが、大きなケガはなさそうで、顔色も悪くないようだ。
…思ったより、元気そうでよかった。
ダッシュボード呼び出すと、スキル欄の伏せ字が一つ減って、【軍神の戦歌】というスキル表示が増えていた。あの土壇場で、新しいスキルが解放されていたのだ。詳細を読む気力は、まだ湧かないので、あとでゆっくりとスキルの説明を読もう。
視聴者数の表示に、ちらりと目をやる。
現在の視聴者 6
……また、増えてる。
命がけだったんだが、と文句を言いたい気もしたが、まあいい。生きて帰れたし、エウリも無事だった。それで十分だ。
「…腹を割って話そう、か」
眠るエウリの寝顔を見下ろして、小さく呟く。生きて帰ったら、と交わした約束。彼女が覚えているか定かではないが、命が助かった今でも、話すべきなんだろうなと思う。
生きている実感を、じんわりと胸に抱きしめながら。
俺はもう一度、目を閉じることにした。




