第62話 あなたの調査の続き
長卓の上には、ローテンザント鉱山跡の、坑道の構造図が、広げられていた。これは、五十年前の鉱山稼働時の、王宮の坑道台帳の、写しだった。
三つの坑道入口、各坑道の長さ、内部の枝坑、廃坑後の崩落箇所。すべてが、整理されていた。
帝国警備隊長は、地図の前で、進行を、説明した。
「第一隊、二十名、北側入口の包囲。第二隊、十名、南側入口の包囲。第三隊、五名、東側入口の押さえ」
「内部からの脱出経路は、私の手元の台帳によれば、三つすべての入口で、押さえられます。北側の坑道に、別の旧坑道が、接続しているとの記録があり、念のため、追加の警備員を、配置いたします」
「進入は、明日の早朝、夜明け前。蒼帯の連中が、まだ、内部で、休んでいる時間帯です」
テオドールが、頷いた。
「警備隊の進入と並行して、——リーゼロッテ・フォン・エヴァースハイム調香師、および、学府の補佐官アンナ、私自身が、東側入口の手前の、安全な指揮所に、位置取りいたします。摘発が、内部で完了次第、押収物の鑑定のために、坑道内部に、入ります」
「——奥様」
警備隊長は、低く、私の方を、向いた。
「貴女のご役割は、専門証言者、および、押収品の、鑑定でございます。坑道内部への進入は、内部の安全が、確認されたあと、と、ご了承くださいませ」
「——承りました」
私は、頷いた。
テオドールが、机のうえで、ペンを、整え、私の方に、目を、向けた。
「奥様。本日、もう一度、ご確認いたしますが——」
「——テオドール卿」
私は、彼の問いを、待たずに、答えた。
「**私の、研究の、社会的意義を、自分の目で、確かめます**」
テオドールは、わずかに、目を、伏せた。
そして、ゆっくりと、頷いた。
「——左様、で、ございますね」
「私は、書類のうえで、ヴィレナを、特定いたしました。書類のうえで、解毒法を、確立いたしました。書類のうえで、蒼帯の構造を、整理いたしました。書類のうえで、本拠地の地理を、特定いたしました。**書類のうえの一連を、最後に、現場で、見届けることが、私の、専門家としての職務の、しめくくり**でございます」
「分かりました」
「ご一緒、お願いいたします」
「もちろんでございます」
アンナが、机の脇から、低く、声を、加えた。
「奥様、私も、ご一緒、いたします」
私は、頷いた。
「アンナ殿、お願いいたします」
「警備、二名は、私が、本日のうちに、選びます」
その後、装備の確認が、行われた。
学者服。長旅用の、軽装外套。書類入れに、参考資料の、写し。学府の身分証。
それから、現場での記録のための、新しい白い帳面と、丈夫な木筆と、——蒼森の谷の、湿気に耐えるための、油紙の、覆い。
午後の遅くに、私は、宿舎に、戻った。
机のうえに、私は、母の蒸留器の、布の包みを、置いた。
ふだんは、寝台の脇の、引き出しの中に、納めていた。今夜は、出して、机のうえに、置いた。
私は、布を、ゆっくりと、ほどいた。
銅の蛇管と、ガラスの球。底の小さな傷の上を、指の腹で、いつものとおりに、ひとつ、なぞった。
——母さま。
私は、低く、心のなかで、呼びかけた。
——明日の早朝、私は、出立いたします。
——ローテンザント鉱山跡へ。
——五十年前、あなたが、マイヤー師と、地元民から、お聞きになった、蒼帯の、本拠地でございます。
——あなたたちが、追えなかった、その先を、私と、テオドール卿と、アンナで、追います。
——母さま。
——**私は、明日、あなたの、調査の、続きを、完成させて、まいります**。
蒸留器は、答えなかった。
答えてもらえないことが、いまの私には、もう、寂しくなかった。
五十年前、十七歳の母の手のなかで、この蒸留器は、温まっていた。
五年前、十二歳の私の手のなかで、この蒸留器は、お湯で、丁寧に、洗われた。
二十四歳の私の手のなかで、今夜、この蒸留器は、また、わずかに、温度を、預けてくれていた。
私は、布を、丁寧に、包み直した。
そして、寝台の脇の、引き出しに、納めた。
明日、私はこれを、持参しなかった。
鉱山の現場へ、母の蒸留器を、連れて行く必要は、なかった。
今夜の、ひと言の独白で、すでに、母の意志は、私の手の中で、明日への、用意を、整えていた。
机の上の、別の引き出しから、私は、エヴァースハイム家の、印章を、取り出した。
明日の現場で、押収物の、鑑定書に、必要に応じて、印を、押す。
印章を、別の麻袋に、納め、書類入れの、いちばん上に、置いた。
その隣に、テオドールから、いただいた、白い手紙——「明日、調香塔を、ご案内したい」と書かれた、あの手紙が、まだ、たたまれて、置かれたままだった。
私はそれを、もう一度、両手で、軽く、握り、書類入れの中に、納め直した。
明日からの数日、私の机の上は、空に、なる。
帰ってきたとき、空の机の上に、私はまた、何かを、置く。
それは、たぶん、——次の、私の、書きものになる。




