第49話 縁戚
外は、夕方の、薄い藍。
車輪が、霜の溶けた泥道を、軋ませて、ゆっくりと、北西へ、向かっていた。
私は、膝の上に、革表紙の手記を、開いていた。
ランプは、馬車の天井に、小さく、揺れていた。
向かいの座席には、テオドールが、書類を、片付けながら、控えていた。アンナは、その隣の小さな机に、地図と、調査日報を、整理していた。
護衛のひとりは、御者と同乗。もうひとりは、後ろの軽馬車に、距離を置いて、ついていた。
手記は、もう、ほとんどの本文を、私は、読み終わっていた。
残りは、現代の——マイヤー師の、追記の、最後の数ページだった。
私は、その続きを、ゆっくりと、ランプの光のもとで、めくった。
——ロッテ。
——蒼帯について、私の知るかぎりの背景を、ここに残しておく。
——蒼帯は、もともと、五十数年前まで、ヴェルディア王宮の、宰相府傘下の、薬草管理組織であった。表向きの業務は、王宮御用達の薬草の、品質管理と、流通の管理。だが、実態としては、それより一段、暗い側面が、あった。古い宮廷時代、薬草は、毒として、宮廷内の政争にも、用いられた。蒼帯は、その「管理」のなかに、毒の流通の、把握も、含んでいた、と、される。
私は、馬車の揺れに合わせて、文字を、追った。
——五十数年前。ヴェルディア宮廷の、内部抗争のあとで、蒼帯は、表向きには、解散された。理由は、ある宰相府高官の、毒殺事件の責任を取って、と、される。だが、解散の決定が、王令で、明示的に出されたわけではなかった。組織は、王宮の、薬務局の、いくつかの部署に、分散された、と、される。
——その後、私が、お前の母と共に、蒼森を歩いた、夏の頃。地元民から、まだ、蒼帯が、地下で、続いているのではないか、という、噂を、何度か、聞いた。表向きは、消滅したはずの組織が、装束を、変えずに、北の森に、まだ、入ってくる、と。
——私は、当時、その噂を、本気では、追わなかった。我々は、若く、調香学の徒であり、宮廷の政争にまで、首を、突っ込む余裕は、なかった。
——だが、ロッテ。
——いま、お前が、蒼森のヴィレナを、追っている事実を、私は、深く、受け止めている。
——蒼帯が、五十年のあいだに、地下で、続いていた、と仮定すれば、辻褄は、合う。
——そして、もうひとつ、付け加えておく。
——**ヴェルディアの、いくつかの、古参の貴族家門が、解散後も、蒼帯と、関わり続けている、との噂を、私は、当時から、耳にしていた**。
私は、わずかに、目を、上げた。
膝の上の手記の頁の、最後の段落の、最初の一行を、目線で、たしかめた。
——「いくつかの、古参の貴族家門」。
その八文字を、私は、ゆっくりと、咀嚼した。
そして、その下の、もうひとつの段落に、目を、移した。
——具体的な家名は、当時、噂に上っていた家門は、四つ、ほど、あった。シュトルマー伯爵家、フェルデック侯爵家、グランヴァール公爵家、——そして、**ヴァインフェルト侯爵家**。
——四家門のうち、シュトルマー家とフェルデック家は、現在は、絶家、もしくは、爵位を失っている。グランヴァール家は、現在、ヴェルディア王宮との関わりを、表面上、絶っている。
——残るのが、ヴァインフェルト家、である。
——ヴァインフェルト家は、四代前、ヴェルディアの宮廷薬草管理家門のひとつ、——アルバライト家、と、縁戚関係を、結んだ。アルバライト家は、蒼帯の本流の家門のひとつ、と、される。
私の指が、頁の縁の上で、ふっと、止まった。
呼吸が、止まりかけた。
止めまいとして、私は、ふだんよりも、わずかに、深く、息を、吸った。
——**ヴァインフェルト家門が、蒼帯の、縁戚**。
私は、それを、自分のなかで、声にせず、置いた。
置いたあと、自分の中で、もう一度、繰り返した。
五年間、私が、住んでいた家門。
五年間、私を「お遊び」と呼んだ家門。
その家門が、——五十年前から、蒼帯と、地下で、繋がっていた、可能性が、ある。
「——リーゼロッテ殿」
向かいの座席から、テオドールが、低く、声を、かけた。
「何か、ございましたか」
私は、ゆっくりと、目を、上げた。
「——テオドール卿」
私は、低く、声を、整えた。
「**ヴァインフェルト家門は、蒼帯の、縁戚で、あった、可能性が、ございます**」
馬車の中の空気が、ぴたりと、止まった。
テオドールは、しばらく、答えなかった。
それから、彼は、膝の上の書類を、両手で、軽く、整え直してから、低く、口を、開いた。
「**——それは、貴女の、旧夫の家門が、蒼帯と、何らかの取引を、続けてきた可能性を、示唆いたします**」
「ええ」
私は、頷いた。
「そして、その縁戚を通じて、ヴィレナの薬草が、ヴァインフェルト領の北東の森に、流れ込み、——義妹の手のなかに、『珍しい蒼森の薬草茶』として、届いた」
「義妹様が、ヴィレナを、それと知らずに、お茶として、社交界に、配った」
「ええ。そして、それが、社交界の貴婦人を、寝込ませた。同じ薬草は、領地の村にも、流通し、——熱病が、広がった」
アンナが、地図と、書類のあいだから、顔を、上げた。
「**全ての、辻褄が、合います**」
低く、彼女は、そう、言った。
「五十年前のマイヤー師の蒼森調査記録。市場の老商人の蒼い帯の証言。蒼森南西斜面のヴィレナ群生地と、収穫の痕跡。革の留め金の蒼い染料。宿主の、北方への定期運送の証言。そして、ヴァインフェルト家門と、蒼帯の縁戚の、噂——」
「**ひとつの絵に、収まります**」
私は、ゆっくりと、頷いた。
馬車の窓越しに、遠くに、帝都の城壁の、灯りが、見え始めていた。
低く、規則的な明かりの列が、街道の先で、私たちを、待っていた。
私は、手記を、閉じた。
革表紙の表面の、五十年前の精油の染みを、私はもう一度、指の腹で、なぞった。
五十年前、その精油を、こぼしたのは、——たぶん、母だった。
そして今夜、その染みの上で、五十年後の私の指は、母とは別の、けれど、同じ系譜の上の、ひとつの構造的真相を、なぞっていた。
帝都が、近かった。
今夜、私たちは、それぞれの宿舎に、帰る。
明日からは、たぶん、別の段階の、戦いが、始まる。
ただし、その戦いは、剣の戦いでは、ない。
書類と、推論と、人脈の、戦いだった。
そして、私の手元には、いま、ようやく、戦うべき敵の輪郭が、見え始めていた。




