第48話 夜の運送
宿は、行きと同じ、二階建ての石造りだった。
私たちは、夕食を、宿の食堂の隅で、ささやかに取った。火を入れた肉と、温かいパンと、わずかな冬野菜の煮込み。
護衛のひとりは、入り口の脇で、ほかの旅人の動きを、静かに、見ていた。
夕食のあと、私は、宿の主人を、隅の長椅子のところへ、呼んでもらった。
四十代半ばの、しっかりとした体つきの男性で、宿屋を兼ねて、近隣の薬草商から仕入れた染料や、雑貨も、扱っているらしかった。
学府の襟章を見ても、彼は、特に、緊張は、しなかった。
たぶん、これまでにも、学府の関係者を、何人か、迎えたことが、ある、ということだろう。
「ご主人、夜分に、申し訳ございません」
私は、低く、礼を、述べた。
「いえいえ、何ぞお尋ねでしたら、お聞きしますよ」
「——本日、私どもは、蒼森に、入って、参りました」
主人の目元が、わずかに、上がった。
それから、彼は、低く、ふっと、息を、吐いた。
「左様で、ございますか」
「お聞きしたいのは、蒼森に、入っていく、若い男たちの、ことでございます」
「ああ」
主人は、頷いた。
「**蒼森に、入る、怪しい男たちが、いる**、というのは、この近隣では、誰でも、知っていますよ」
私は、静かに、彼の言葉を、待った。
「腰に、蒼い帯を、巻きましてね。古い装束ですよ、あれは。私の爺さんから、聞いた話ですが、五十年ほど前、ヴェルディアの宮廷に、薬草を、管理する組織が、ありましてな。その組織の、装束だった、と」
——五十年前の、ヴェルディア宮廷の、薬草管理組織。
私の指は、夕食の卓の上で、わずかに、固くなった。
私はそれを、握り直さなかった。
ふだんの聞き取りの姿勢のまま、続きを、待った。
テオドールが、わずかに、目を、上げて、私の方を、見た。
私は、テオドールに、ほんの一瞬、目を、合わせた。
合わせて、すぐに、宿主の方に、視線を、戻した。
「その組織は、いまも、続いているのですか」
「表向きには、宮廷の制度として、もう、ないと、聞いておりますな。五十年前に、解散したと。けれど、装束だけが、残って、こうして、ここを、通り過ぎていく若い男たちが、まだ、おる」
「最近は、頻繁に?」
「ここ二、三年ですな、頻繁に、なって、参りました。それまでは、年に一度、見るか、見ないか、でしたが、いまは、三、四ヶ月に、一度ほど、夜中に、馬車で、通り過ぎていく」
——三、四ヶ月に、一度。
私は、頭の中で、その間隔を、すぐに、計算した。
ヴィレナの収穫と、流通には、これは、整合的な間隔だった。
群生地の規模を考えると、年に、三回ほど、収穫できる。それを、まとめて、流す。それぞれの流通の量は、おそらく、数十キログラム以上。
帝都市場と、ヴェルディア社交界、両方を、十分に、賄う規模だった。
「夜中に。——どちらの方角へ?」
私は、できるだけ、いつもの世間話の調子で、問うた。
宿主は、わずかに、首を、傾けた。
「**北の、方へ**」
低く、彼は、答えた。
「——北の、方?」
「ええ。ヴェルディア側へ。蒼森を、回り込む街道で、北東へ、抜けて、行きます」
——北の、方。
——ヴェルディア側へ。
——蒼森を、回り込む、北東。
私の頭のなかで、地図の上の、矢印が、ひとつ、自然に、描かれた。
蒼森の南西斜面から、夜の街道を、北東に。
その先には、ヴェルディア領の、北部から、北東部にかけての、いくつかの古い貴族領が、ある。
そのうちの一つに、——ヴァインフェルト侯爵領の、北東の森が、接している。
「ご主人、ありがとう存じます」
テオドールが、低く、礼を、述べた。
「いえいえ、お役に立てれば」
主人は、わずかに、頭を下げ、別の客の対応のために、卓を、離れた。
宿の二階の、自分の部屋に戻ってから、私は、机の上に、手帳を、広げた。
——蒼帯は、蒼森南西斜面から、夜の街道を、北東に運ぶ。
——目的地は、ヴェルディア領の、北東部、と推測される。
——三、四ヶ月に、一度、定期的に、運送している。
そう、整然と、書き出した。
それから、別の便箋に、もう一行、書き加えた。
——**運送先の、ひとつは、ヴァインフェルト侯爵領の方角、と、整合する**。
私はその一行を、二度、見直した。
書きながら、わずかに、ためらった。
けれど、消さなかった。
専門家としての、推論を、自分のなかで、整理する場面で、政治的配慮で、推論を曇らせては、ならなかった。
蒼帯が、ヴェルディア宮廷の、五十年前の、薬草管理組織の流れを、汲んでいる。
そして、その流通先のひとつが、ヴァインフェルト領の、北東の森。
そこから、近隣の村に、薬草が、流通する。
そして、ヴェルディア王都の、若い商人を経由して、義妹のイザベラの手のなかに、「珍しい蒼森のお茶」として、届く。
——一本の、線が、つながりつつ、ある。
私は、便箋の上に、その線の輪郭を、ペンで、わずかに、描いた。
蒼森南西斜面、群生地。
北東への、運送街道。
ヴァインフェルト領、北東の森。
近隣の薬草市場と、若い商人の手。
そして、ヴェルディア王都の社交界の、お茶会。
最後に、——熱病で、寝込んだ村人と、貴婦人。
線は、まだ、完全には、つながっていなかった。
途中で、何箇所か、空白が、あった。
特に、蒼帯の、本拠地が、まだ、特定されていなかった。
ヴェルディア宮廷の旧組織が、いまも、地下で、続いているとして、——その中核人物は、誰なのか。
それを、突き止めなくては、推論は、確証には、ならなかった。
私はペンを、置いた。
ランプの灯を、半分まで、絞った。
明日、帝都への、長い帰路の、馬車のなかで、マイヤー師の手記の、最後の方を、もう一度、読み直すつもりだった。
彼は、たぶん、その先に、まだ、私が読んでいない、もう何行かを、書き残してくれている。




