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「夫人の手遊びだろう」と離縁された王宮御用達調香師は、翌朝隣国に招かれました  作者: ヲワ・おわり


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第43話 蒼帯

——一七七六年、夏。

——ヴィレナの、自生確認。

——蒼森南西斜面、ナルダ川の支流の、最も湿気の強い谷間。

——年間で、数十株のみ、確認される、極めて稀な植物。

——**ヴィレナの、群生は、過去の記録においても、確認された例が、ない**。

——本植物の毒性は、強いが、自然界での拡散範囲は、極めて、限定的、と判断する。


私は、ペンを、止めた。


——五十年前は、自然発生、だけ、だった。


私は、その一行を、心のなかで、ゆっくりと、置いた。


それは、いま、私たちが、薬務塔の地図室で、突き当たっていた壁の、向こう側を、はっきりと、照らす一行だった。

熱病の発症地と、ヴィレナの自生地の、不一致。

私は、第二章の地図室で、すでに、「自然発生では、説明がつかない」と、結論を出していた。

今夜、五十年前の母と師の手記が、それを、別の方角から、補強していた。


母とマイヤー師は、五十年前、その森を、ふたりで、二週間、歩いた。

その間、ヴィレナの「群生」は、見ていなかった。

数十株の、点在する自生だけが、彼らの記録に、残っていた。


群生ではなく、点在。

それが、五十年前の、ヴィレナの、自然な姿だった。

そして、いま、——蒼森には、誰かが、群生を、作っている、ということに、なる。


私は、便箋に、もう一行、書き足した。


「群生は、人為。**過去五十年のあいだに、誰かが、ヴィレナを、培養した**」。


そう、書きながら、私はもう、自分の中で、その仮説を、半ば、確信し始めていた。


手記の、続きを、めくった。


夏の調査の終わりの方の、ページに、別の段落があった。

そこには、植物の話とは、わずかに、毛色の違う、地元民の証言が、まとめられていた。


——蒼森周辺の村々で、地元民から、聞いた話。

——曰く、過去数十年のあいだに、蒼森から、薬草を、持ち出す、組織がある。

——曰く、彼らは、ふだん、薬草の取引で、村に現れる。

——曰く、目印として、腰に、**蒼い帯**を、巻いている。

——曰く、彼らは、自分たちを「**蒼帯**」と呼ぶ。

——曰く、彼らの背後には、ヴェルディアの、古い宮廷の、薬草管理組織が、ある、と、噂される。


——蒼帯。


私の手は、紙の上で、完全に、止まった。


椅子から、わずかに、立ち上がりかけ、すぐに、自分で、座り直した。

立ち上がっても、誰かに、伝えるべき相手は、いま、隣にはいなかった。

立ち上がる代わりに、私はペンを、握り直し、便箋の上に、その二文字を、書き写した。


「**蒼帯**」。


書きながら、私の中で、二十二話の、帝都の市場の、老商人の声が、即座に、立ち上がった。


——「**腰に、蒼い帯**を、巻いた者たちが、急に活発になりまして」

——「組合の名前は、出さないんです」

——「揃いの帯を、お巻きで」


老商人は、その帯を見て、「最近の流行りでしょうか」と、笑いながら、説明していた。

五十年前、母と師が、地元民から聞いた組織の名前は、「蒼帯」だった。

そして、いま、五十年経って、その帯は、まだ、巻かれている。

巻かれているだけでなく、——買い付けが、急に、活発化している。

薬草の流通の値段が、下がっている。

そして、蒼森には、ヴィレナの、群生地が、できている。


——五十年前から、ずっと、続いていた。


私はランプの灯りの下で、その短い一行を、自分の中で、何度か、繰り返した。


ヴィレナの拡散の問題は、ここ数年の事件では、ない。

五十年前から、地下水のように、ずっと、流れていた。

ただ、いま、その流れが、地表に、噴き出し始めている、ということ、なのだろう。


私は、手記の、最後の方の、ページを、めくった。


そこに、マイヤー師の、——現在の文字が、現れた。

若い頃の角ばった文字ではない、私が見慣れた、薄く震えた老年の筆跡。


——ロッテ。


——この手記を、お前に、送る前に、私は、別紙にて、追記を、しておく。


——五十年前、私と、お前の母は、蒼帯の話を、地元民から聞いた。だが、当時の我々には、それを、追う力は、なかった。我々は、若く、ただの、調香の徒だった。


——お前は、いま、それを、追う場所に、立っている。


——だが、**ロッテ、蒼帯に、注意せよ**。


——彼らは、組織として、まだ、続いている。背後には、ヴェルディアの、古い宮廷の、根が、深く、残っている可能性が、ある。


——私は、お前を、止めない。お前の手は、止まらない手だ。

——だが、お前一人で、動くな。


——マイヤー


私は、その追記を、二度、読んだ。


師の声が、紙のうえから、低く、ひとつ、ふたつと、私の机の上に、置かれていった。

止めない、と、彼は、書いていた。

だが、ひとりで、動くな、とも、書いていた。


——ひとりでは、動かない。


私は、心のなかで、確かめた。


私の隣には、いま、テオドールがいる。

アンナがいる。

ハインリヒが、ヴェルディアの王宮にいる。

クラウスが、ヴァインフェルト邸の家令として、まだ、私の名前を、覚えている。


——五年前と、五十年前と、いまは、違う。


私は、便箋の上に、最後の一行を、書いた。


「明日、書庫で、母の論文を、取り寄せる」。


母の名前は、五十年前の手記に、リーリエ・フォン・エヴァースハイムとして、署名されていた。

その同じ署名で、書かれた論文が、レフナール調香塔の、いちばん上の書架に、納められている。

私は、まだ、それを、手に取って、いなかった。

明日、それを、取り出して、母の文字を、もう一度、自分の手で、開く。


ランプの灯を、私は、半分まで、絞った。

今夜の手記を、私はとりあえず、ここで、閉じた。

革表紙の、わずかな樹脂のしみの上を、私はもう一度、指の腹で、なぞった。

五十年前の精油の跡は、五十年たっても、まだ、消えていなかった。

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