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「夫人の手遊びだろう」と離縁された王宮御用達調香師は、翌朝隣国に招かれました  作者: ヲワ・おわり


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40/41

第40話 振り返らない

本作は全70話で完結予定です。

本日から毎日5話ずつ、07:10/12:10/18:10/20:10/22:10に更新します。

続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークと下部の☆☆☆☆☆から評価で応援していただけると励みになります。

一通目は、アンナがまとめた、ヴェルディア社交界の、公式情報の集約。

二通目は、クラウスからの——二度目の手紙だった。

封蝋は、ふたたび、無紋。けれど、その筆跡を、私は、もう一度、見間違えなかった。


私はまず、一通目から、開いた。


——ヴァインフェルト家、本日付にて、王宮社交監督官に、ご令嬢、イザベラ様の、正式な社交界引退を、届出。

——同家、ご当主、エルンスト侯爵、社交界の全公的場より、当面のご欠席を、表明。領地経営と、熱病対処への、ご集中、の旨。

——王都の主要な社交界、本件を受け、ヴァインフェルト家との、当面の、公的接触を、控える方針。

——熱病については、王宮薬務局より、解毒法の確立を、公的に発表。出典は「アルメリア帝国学術院との、専門的協力による」とのみ、明示。**個別の調香師の名は、伏せて、公表**。


私は、最後の一行のところで、わずかに、目を、止めた。


——個別の調香師の名は、伏せて、公表。


ハインリヒらしい、判断だった。

私の名前を、社交界の前に、出さない。

出せば、ヴァインフェルト家との関係を、おそらくは、社交界の側から、不必要に、再点火される。

彼は、それを、避けた。

私の手紙の出所を、表向きには、伏せたまま、薬は、村に届けた。

それは、私の最初の指示——「出所の表記は、ご無用に願います」——の、忠実な、執行だった。


私は、その書面を、たたんで、机の脇に、置いた。


それから、二通目の、無紋の封を、ペンナイフで、丁寧に、割った。


——奥様。

——ご無事を、お祈り申し上げております。


——義妹様は、床に、伏せて、おられます。回復は、ゆっくりとした足取りで、ございますが、お医者様より、**命に別状は、ございません**、とのご診断、頂戴して、おります。

——お屋敷は、静かで、ございます。

——**奥様の、調香室は、相変わらず、誰も、触れて、おりません**。

——ご旦那様は、執務室に、おこもりに、なられたまま、お部屋から、ほとんど、お出ましに、なりません。


——お元気で、いらしてくださいませ。

——クラウス


私は、しばらく、その便箋の上で、目を、伏せていた。


——命に、別状は、ない。


義妹は、生きる。

私の解毒法が、彼女のもとにも、届いた。

ハインリヒが、私の指示を、まっすぐに、執行した。


——そう、ですか。


私は、短く、声に、出して、つぶやいた。


声の輪郭は、平らだった。

怒りも、安堵も、満足も、特段、強くは、響かなかった。

ただ、起こるべきことが、起こるべきかたちで、起こった、ということを、確認した声だった。


——……そう、ですか。


私は、もう一度、同じ言葉を、唇のかたちだけで、なぞった。


彼女は、生きる。

床に、伏せている。

社交界からは、外れた。

たぶん、もう、二度と、私と同じ広間に、現れることは、ない。

それで、十分だった。

私はそれ以上を、彼女に、求めない。彼女に、こうあってほしい、という願いを、もう、持たない。


エルンストは、部屋に、こもっている。

彼が、これからどう、自分の家門の、急速な失墜と、向き合うのか——それは、私には、もう、関係がなかった。

彼が、自分のことを、自分で、決める時間に、入った。

それで、十分だった。


私はクラウスの便箋を、四つに、たたんだ。


たたんだ手紙を、引き出しの、いちばん奥に、——前回の彼の手紙の、すぐ隣に、納めた。


クラウスの手紙だけが、私のこれからの、机の引き出しの、奥に、二通、揃って、ある。

それで、よかった。

クラウスの手紙は、私のなかで、過去に、属するものでは、なかった。

それは、五年間、屋敷の中で、私の名前を、忘れずに、いてくれた人の、誠実の、目に見えるかたちだった。

過去でも、未来でもない、——私の名前の、もう一本の、根の場所、だった。


私は、引き出しを、閉めた。

閉めるときの音は、いつもよりも、ほんの少しだけ、深く、響いた気がした。


机の上には、まだ、一通だけ、別の手紙が、残っていた。


——テオドールから、いただいた、白い手紙。


「明日、ご都合がよろしければ、学府の調香塔を、ご案内いたしたく存じます」。


私はその手紙を、ふっと、手に取った。


机の上に、置きっぱなしに、するのは、それは、いま、私のなかでは、ふさわしくなかった。

書類入れに、しまうのも、それも、違った。

引き出しに、しまうのも、それも、まだ、早かった。


私は、自分の左の手のひらの上に、その手紙を、軽く、置いた。

それから、右手で、便箋の上を、そっと、ひと撫でした。

そして、両手で、その手紙を、——胸の前に、当てた。


胸の前で、その手紙の白い封筒は、私の体の温度に、ゆっくりと、馴染んでいった。

心臓の鼓動が、自分の肋骨を通って、紙の上に、わずかに、伝わるのを、私は、感じていた。


——明日、調香塔へ。


私は、心のなかで、ひっそりと、その一行を、確かめた。


そして、もうひとつ、別の一行を、置いた。


——私は、もう、振り返らない。


ヴァインフェルト邸の方角を、私は、もう、見ない。

義妹の伏せる寝室の方角も、見ない。

エルンストの執務室の方角も、見ない。

クラウスの白い手袋は、引き出しの奥の、二通の手紙のなかに、すでに、私の心の中に、ちゃんと、置かれている。

それ以外の方角を、私は、今日からは、まっすぐに、見る。


胸の前の、白い封筒は、いつまでも、温かかった。

私はそれを、しばらく、胸の前に、当てたままで、いた。

時計の針が、静かに、午前の中程を、過ぎていく音が、宿舎の机の脇で、規則正しく、響いていた。


——明日、調香塔へ。


私はもう一度、心のなかで、そう、つぶやき、ようやく、手紙を、机の上に、戻した。

戻した手紙の位置は、書類入れではなく、引き出しでもなく、——朝食の盆の脇、私が、明日の朝、必ず、目で確かめる場所だった。


私は、深く、息を、吐いた。

胸の前の温度は、まだ、しばらく、私のなかに、残っていた。

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