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「夫人の手遊びだろう」と離縁された王宮御用達調香師は、翌朝隣国に招かれました  作者: ヲワ・おわり


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第27話 北の出のアンナ

本作は全70話で完結予定です。

本日から毎日5話ずつ、07:10/12:10/18:10/20:10/22:10に更新します。

続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークと下部の☆☆☆☆☆から評価で応援していただけると励みになります。

長卓の上には、ヴェルディア王国の称号制度法、アルメリア帝国の賓客制度法、それぞれの判例集、両国の国境地帯における法的相互運用に関する慣例集。

四人の助手が、それぞれの机で、必要な箇所に、付箋を、貼っていた。

アンナは、長卓の中央で、私の下書きを、清書しながら、参考になる条文を、即座に引いていた。


「奥様」


アンナは、私の隣に座り、ペンを置いて、こう言った。


「**第三条、第二項の方では、家門による代理使用を、明確に、否定しております**。これを、第一に置き、第一項の個人付与の規定を、第二に置く構成の方が、論理が、わかりやすうございます」


私は、彼女の手元の、整文された文章を、目で追った。

構成の組み替えは、的確だった。

ヴェルディアの法律家が、王宮で書く順序を、知っていなければ、できない構成だった。


「アンナ殿」


私は、ペンを止めて、彼女を、見た。


「——ヴェルディアの法に、お詳しいのですね」


アンナは、ほんのわずか、目を伏せた。

それから、書類の端を、軽く整えながら、低く、答えた。


「私は、ヴェルディアの、生まれでございます」


「——左様で、ございますか」


「北部の、出でございます。アルマ村、と申しまして、地図の隅に、わずかにある、薬草農家の、集落です」


——北部。

ヴェルディアの王都から、ヴァインフェルト侯爵領を、さらに北東へ抜けた、その先の、痩せた山の、麓の村。

私は、頭の中で、地図上の、彼女が口にした場所を、ぼんやりと、なぞった。


「アルメリアには、お若い頃に?」


「十八の春に、参りました。学府の補佐官試験を、受けまして」


アンナは、それ以上は、語らなかった。

語らない、ということは、たぶん、彼女のなかで、その先には、まだ、口に出したくない何かが、ある、ということだった。

私は、それ以上、踏み込まなかった。

踏み込むには、私自身の方が、五年間の屋敷暮らしで、人に踏み込まれた時の不快感を、よく覚えていた。


「——お話、ありがとう存じます」


私は、短く、礼を、述べた。


アンナは、わずかに、目元を、ゆるめた。

それから、彼女は、ペンを取り直し、清書の続きに、戻った。


私は、その横顔を、しばらく、見ていた。


——彼女は、私と、同じ国の、出身だった。


そして、彼女は、ヴェルディアの法を、王宮の書記官と、同じ精度で、引ける女性だった。

アルメリアで、補佐官の試験を受け、合格し、いま、学府長のもとで、調香学府の実務を、回している。


——いつか、彼女のことを、もう少し、知ることが、許される日が、来るかもしれない。


私はそう、心のなかで、ひっそりと、置いた。

それは、約束ではなかった。

ただ、彼女と私のあいだの、これからの可能性のかたちを、私はいま、わずかに、目に留めただけだった。


午前から、午後にかけて、書類は、整えられていった。


王宮御用達調香師リーゼロッテ・フォン・エヴァースハイム、個人称号維持に関する、法的説明書。

全十二条、別添資料、二十三項目。

ヴェルディア法、アルメリア法、双方の根拠が、対比表として、整えられていた。


夕刻、テオドールが、事務室に、立ち寄った。


「奥様、アンナ。書類を、拝見いたします」


彼は、長卓の前に、立ったまま、書類を、めくった。

読み終わるのに、思ったよりも、時間が、かからなかった。

彼の目は、必要な箇所だけを、的確に、拾っていた。


「——よく、できております」


低く、彼は、そう、言った。


「明日の朝、ご署名のうえ、王宮宰相府宛で、出立させていただきます」


「——よろしく、お願いいたします」


テオドールは、書類を、机の上に置き、わずかに、私の方を、見た。


「ご無理を、お掛けいたしました」


「——いいえ」


私は、目を、伏せた。

五年間、誰にも、無理を掛けたと、認識されないまま、無理を続けてきた身からすれば、テオドールの「ご無理を掛けた」という一言は、それだけで、ひとつの、贈り物のような響きだった。


テオドールは、退室する前に、もう一度、書類の表紙の題名を、目で、なぞった。


「『王宮御用達調香師リーゼロッテ・フォン・エヴァースハイム』」


低く、彼は、その題名を、声に出した。

正式な書類の題名として、彼が、私の名前を、口にしたのは、初めてだった。


「——お名前を、こうして、書類の題名に、置けることは、本学府の、誇りでございます」


そう、短く、彼は、付け加えた。


それから、彼は、深く、頭を下げて、事務室を、出ていった。


扉が閉まった後、アンナは、低く、笑った。


それは、彼女が、ふだん、私の前で、見せたことのなかった、軽い笑いだった。


「——奥様。

テオドール様は、本日、いつもより、おしゃべりでいらっしゃいました」


私は、わずかに、目を上げた。


「左様で、ございますか」


「はい。ふだん、書類の題名を、声に出して、お読みになる方では、ございません」


私は、何も、答えなかった。

答えるべき言葉が、どれも、軽すぎる、気が、した。


代わりに、私は、書類を、もう一度、表紙から、整え直した。


——王宮御用達調香師、リーゼロッテ・フォン・エヴァースハイム。


題名のなかに置かれた、私の旧姓と、私の称号は、夕暮れの蝋燭の灯りに、淡く、照らされていた。

それは、五年間、私のなかで、声に出されなかった、十二音だった。


その日の夜、市場局の使いが、事務室の扉を叩いた。


「アンナ殿、本日の市場流通情報のうち、特に、奥様にお伝えしたい一件、ございます」


アンナが、書類を受け取り、私に、目を上げた。


「——ヴァインフェルト家の、ご令嬢が、ヴェルディア王都の社交界で、**珍しいお茶**を、披露しておられる、と」


私の指の中で、ペンの先が、わずかに、止まった。

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