第24話 ガストン卿
本作は全70話で完結予定です。
本日から毎日5話ずつ、07:10/12:10/18:10/20:10/22:10に更新します。
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机の両側に、調香学府の主要な学究たちが、整然と着席していた。
私は、テオドールの右隣の席に、案内された。
アンナは、議事録の机の前で、ペンを構えていた。
会議は、定刻に始まった。
テオドールは、長卓の中央で、立ち上がり、ゆっくりと、議題を読み上げた。
「本日、第一の議題」
「**王宮御用達調香師リーゼロッテ・フォン・エヴァースハイム殿の、論文十二編を、当レフナール調香学府の、正式記録に、登録する手続きを、開始いたします**」
部屋の空気が、わずかに、しずかに、波打った。
テオドールは、続けた。
「これら十二編は、当学府の薬学資料室にて、五年前より、教材として、参照されてまいりました。学府としての公式登録は、まだ、行われておりませんでした。本日、リーゼロッテ殿のご来府を機に、これらを、正式に、登録の運びと、いたします。学府長として、私が、推薦の発議を、いたします」
長卓の両側から、低い拍手が、起こった。
それは、社交的な拍手ではなかった。
学者たちが、業績の確認のための、儀礼的な、けれども、内側に、納得を含んだ、静かな拍手だった。
私は、立ち上がらず、座ったまま、深く、頭を下げた。
その拍手の音が、いまだ、半ば残っていた、そのときだった。
会議室の扉が、勢いよく、開いた。
——ばたん。
ノックの音は、なかった。
扉を、両手で押し開けたまま、その人物は、長卓の正面まで、足音を響かせて、入ってきた。
長身。五十代の半ば。
深い灰色の学者服。襟元には、銀の襟章。襟章の中央の四枚葉の印は、——薬学府の四枚葉だった。
顎は固く、目つきは鋭い。
怒っているような、いないような、判別の難しい、しっかりと張った、整った顔だった。
テオドールが、低く、口を開いた。
「——ガストン卿」
ガストン、と、テオドールは、その人物を、卿付きで、呼んだ。
学術四公のうちの、薬学府の学府長。テオドールと並ぶ、ひとつの公爵家の当主。
「お待ちください、レフナール卿」
ガストン卿は、長卓の正面に立ち、両手を腰の後ろで組み、テオドールを、まっすぐに見た。
「**ヴィレナ研究は、薬学府の、管轄でございます**」
長卓の両側で、学者たちが、互いに目を見合わせた。
低い、ざわめきが、走った。
私の隣のテオドールは、表情を、わずかにも崩さなかった。
「ガストン卿」
テオドールは、穏やかに返した。
「リーゼロッテ殿の論文は、調香学の領域で、書かれたものでございます」
「だが」
ガストン卿の声は、低く、よく通った。
「**毒物の研究は、薬学府の、領域でございます**。ヴィレナが毒物である以上、その研究の管轄は、当然、私どもにございます」
「お言葉ですが、ヴィレナの特定は、調香技術によって、なされたものでございます」
「特定は、ですな。だが、解毒法の研究は、薬学です」
「解毒法の研究もまた、香気成分の構造解析を、基盤と、いたします」
長卓の両側の、ざわめきが、ふたたび、低く、起こった。
四公同士の、領域の争いを、目の当たりにする機会は、学者たちにとっても、頻繁ではない様子だった。
テオドールは、わずかに、顔をこちらに向けた。
「——リーゼロッテ殿。あなたの、ご判断は」
私は、テオドールの目を、見た。
彼の目は、私に、答えを促していた。
押し付けではなかった。共闘でもなかった。
ただ——「あなた自身の口で、述べてください」と、彼の目は、私に告げていた。
私は、姿勢を、まっすぐに整え、長卓の正面の、ガストン卿の方に、目を移した。
「——ガストン卿」
私は、低く、けれど、はっきりと、声に出した。
「**私は、調香師でございます**」
部屋の空気が、ぴたりと、静まった。
「**ヴィレナの特定は、調香技術によって、行いました。解毒法の研究もまた、調香学の手法を、中心軸として、進める所存でございます。よって、研究の所属は、調香学府にて、お願い申し上げたく存じます**」
ガストン卿の眉が、わずかに、上がった。
それは、不満の上がり方ではなかった。
むしろ、相手が、思ったよりも、明確に、答えた、ということへの、評価の上がり方に、近かった。
「……左様で、ございますか」
ガストン卿は、ひとつ、わずかに、息を吐いた。
「**ご無礼を、お詫び申し上げます**」
そう、短く、彼は、口にした。
頭は下げなかった。
けれど、その「ご無礼」の四文字には、彼自身の中の、長い学者人生で身につけた、敵対者への最低限の礼儀が、滲んでいた。
「——本日は、これにて」
ガストン卿は、低く、そう告げ、長卓の正面から、踵を返した。
退室するとき、彼の目は、もう一度、私の方を、見た。
その目に、敵意はあった。
けれど、軽蔑は、なかった。
それが、たぶん、いちばん、危険な種類の、敵意だった。
扉が、閉まった。
会議室には、しばらく、誰も声を出さなかった。
テオドールが、低く、息を吐いた。
「——失礼を、いたしました」
「いいえ」
私は、目を伏せて、短く、返した。
「**こうした場で、こそ、私の立場を、明確にしておくべきで、ございました**」
テオドールは、わずかに、頷いた。
そして、長卓の正面に向き直り、議事を、再開した。
「では、議題に、戻ります。論文十二編の、登録手続きを、開始いたします」
私は、椅子の上で、もう一度、姿勢を、整えた。
膝の上の手の中で、指先の薄い緑色が、いつもよりも、わずかに、深く、見えた気がした。




