第21話 毒の地理
本作は全70話で完結予定です。
本日から毎日5話ずつ、07:10/12:10/18:10/20:10/22:10に更新します。
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壁の三面、床から天井まで、地図が掛けられていた。
正面は、アルメリア全土の精細図。右側は、蒼森一帯。左側は、両国国境地帯の薬草分布図。中央には、四人がけの大きな作業机と、低い椅子が四脚。机の上には、すでに、ペン、定規、色いんく、それから、薄い紙の重ね地図が、用意されていた。
私とテオドール、それからアンナの三人で、その机を囲んでいた。
「奥様。ヴィレナの、自生条件を、お伺いしたく」
テオドールは、ペンを構えて、わたしを促した。
「——湿気の多い、土壌。酸性であること。日陰。それから、特定の、腐葉土の組成が必要です」
私は、机の上の白い紙に、自生条件の四項目を、書きつけていった。
「腐葉土の組成、と、申しますと」
「針葉樹の落葉が、五割以上。混じるのは、主に苔と、わずかな下生え。広葉樹の落葉が多い場所では、ヴィレナは育ちません。土壌の酸が、足りなくなるからです」
テオドールは、頷きながら、地図に視線を移した。
「——では、この三領域が、該当する」
彼はペンの先で、地図の上の、三つの場所を、順に示した。
蒼森の、南西斜面。
両国の国境地帯の、小さな渓谷群。
そして、アルメリア領北部を流れるナルダ川の、支流の上流域。
「いずれも、針葉樹の混合林帯。湿気が高く、日陰の多い地形」
私は、地図に身を寄せ、その三つの領域を、指でなぞった。
ふたつの蒼森系統の地点と、ナルダ川支流の三地点目。距離としては、互いに数十里離れている。
そして、地図に貼られた、過去半年間の熱病発症地点の、赤い印。
熱病の印は、——三つの自生地から、すこし外れた場所にも、点々と打たれていた。
私の指は、その印のうえで、ゆっくりと、止まった。
「テオドール様」
私は、机の向こうの彼の方に、目を上げた。
「**自生地と、発症地が、一致しておりません**」
部屋が、しばし、静かになった。
アンナが、ペンを止めて、こちらを見た。
「と、申しますと?」
低く、アンナは、問い直した。
「自生地から、発症地までの距離が、遠いのです。最も離れたものでは、十里以上。ヴィレナの揮発成分は、強くはございません。風で運ばれて、その距離まで人体に作用する濃度を、保つことは、できません」
「——では」
テオドールが、わずかに、目を細めた。
「**何かが、運んでいる**」
私は、頷いた。
「自然発生では、説明がつきません。動物が運ぶには、行動圏が違いすぎる。地下水を介するには、地形が合いません。**人為的に運ばれている、と考えるのが、いちばん、無理がございません**」
テオドールは、しばらく、地図を見つめていた。
それから、ペンを取り、地図の隅の、空白の余白に、低く、書き加えた。
「——人為的拡散の、可能性」
短い、六文字だった。
書きながら、彼の指先は、わずかに、震えてはいなかった。けれど、彼の頬の輪郭が、いつもより、わずかに、硬く見えた。
「奥様」
テオドールは、顔を上げた。
「——本日、貴女が、おっしゃったことは、本学府が、十年、たどり着けなかったところでございます。ヴィレナの自生地は、これまでにも、何人かの学究が、おおむね特定しておりました。ですが、自生地と発症地の、不一致を、ここまではっきりと、口にできる者は、おりませんでした。**我々は、自生という言葉に、寄りかかりすぎておりました**」
私は、深く、頭を下げた。
「——専門家として、これは、無視できない事実でございます」
私は、そう、短く、返した。
それは、私個人の感想でもあった。
ヴェルディアの王宮で、薬務官たちが「薬草はそれぞれの地で、自生する」と当然のように扱っていたあの常識を、私もまた、深く疑ったことはなかった。けれど、地図の上に並んだ赤い印は、その常識を、はっきりと裏切っていた。
——専門家として、これは、無視できない。
その一文を、私はもう一度、心のなかで、確かめた。
それは、誰かに頼まれたから、ではなかった。
それは、義妹のため、でもなかった。
それは、私自身が、調香師として、その不一致を、見つけてしまったから、だった。
見つけてしまった以上、それは、私のなかで、追わずに、放置できる類の問いでは、なかった。
「アンナ、地図に印を」
テオドールが、低く、指示した。
アンナは、ペンを取り上げ、地図の三つの自生地と、熱病発症地の不一致を、青いんくの細い線で、結び始めた。
線は、十数本になった。
それは、見るからに、自然の地形には沿わない、誰かの意志で結ばれたような、不規則な経路だった。
私は、その線を、しばらく、見つめていた。
「次の調査の、計画を、立てましょう」
テオドールが、ペンを置いて、低く、言った。
「奥様の解毒法の研究と、並行して、運搬経路の解明も、進めねばなりません。場合によっては、現地調査も、必要となるかもしれません」
「——蒼森の、現地調査でございますか」
私は、聞き返した。
「いずれは。ですが、まずは、市場の流通から、始めるのが、妥当でございます。ナルダ川の支流から、帝都に運ばれてきている薬草の経路は、追えるはずでございます」
私は、頷いた。
——市場。
そういえば、と、私は思い出した。
明日、アンナと共に、帝都の市場へ行く予定が、すでに、組まれていた。香気サンプルの追加採取のための、薬草の現物を、確認するためだった。
その市場で、私はもう少しだけ、目を、開いておく必要があるかもしれない、と、思った。




