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「夫人の手遊びだろう」と離縁された王宮御用達調香師は、翌朝隣国に招かれました  作者: ヲワ・おわり


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第19話 まだ動く手

本作は全70話で完結予定です。

本日から毎日5話ずつ、07:10/12:10/18:10/20:10/22:10に更新します。

続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークと下部の☆☆☆☆☆から評価で応援していただけると励みになります。

外から見ると、石造りで、地味だった。

けれど、入った瞬間、空気がまったく違った。

壁面に沿って、ガラスの密閉棚が並び、それぞれの段に、ラベル付きの小瓶が、整然と並んでいた。たぶん、千本を超える。

ヴェルディア王宮の薬務塔の、十倍以上の規模だった。


塔の中央の一階に、長い大理石の机が一本、据えられていた。机の上には、すでに、十本の小瓶が並べられていた。


「奥様」


テオドールは、塔に入った私の隣で、立ち止まり、低く説明を始めた。


「過去半年間、アルメリア領内で、原因不明の熱病が、断続的に広がっております。発熱、発疹、最終的に意識混濁。死亡率は、感染者の三分の一に達しております」


——三分の一。


私は、その数字を、心のなかで、繰り返した。

それは、流行り病としては、非常に高い数字だった。


「学府は、患者の衣服、寝具、所持品から、香気を採取してまいりました。香気は、揮発性が高く、毒源を残しにくいものの、特定の薬草由来のものであれば、痕跡を香気として残します」


「——左様でございます」


私は、頷いた。

それは、私自身が、書いた、論文の一節だった。

たぶん、テオドールが読んでいた十二編のうちの一編に。


「ご覧いただきたいのは、この十本でございます」


机の上の小瓶を、テオドールは、手のひらで示した。

ラベルには、それぞれ、採取地と、患者の番号が、簡潔に記されていた。


「これまで、当学府の若い学究たち、薬学府の助教たちが、それぞれの方法で、解析を試みました。共通する成分の特定までは、何度かたどり着きました。ですが、**その成分の植物的起源**まで、たどり着けた者は、いまだ、おりません」


テオドールは、私を見た。


「奥様の、お手元を、お借りしたく存じます」


私は、深く、頷いた。


「——拝見、いたします」


そう、短く答えてから、私は机の前に進み、革手袋を、両手から、外した。


手袋を外すのは、儀式だった。

香気を扱う者は、手袋越しに、瓶を扱わない。手袋の素材が、わずかにでも、香りに影響を与えるからだった。私自身の指の薄い緑色は、よく洗えば、すべての瓶の上で、害にはならない。

私は両手のひらを、机の上のガラスの上に、軽く置いて、温度を整えた。

それから、一本目の小瓶を、左手で取った。


蓋は、銀の小さなものだった。

ねじって、半分だけ、外す。完全には外さない。香気は、ひと呼吸で、十分だった。


——一本目。


私はゆっくりと、口で吸い、鼻で短く確かめた。


植物由来の、揮発性の香気。

甘くはない。むしろ、青臭く、わずかに、苦みが舌の奥に残る。

一般的な薬草ではない。私の知るヴェルディアの薬草園には、この香りを持つ植物は、ない。


「——植物由来の、揮発性成分です。一般的な薬草では、ございません」


私は短く、声に出した。

アンナが、その隣で、即座に、紙にペンを走らせた。

彼女の筆跡は、速く、けれど、整っていた。


二本目。

似た香りの、別の輪郭。

中心の成分は、たぶん、一本目と同じ。

ただし、こちらには、わずかに、別の樹脂の輪郭が、添えられていた。香気の余韻が、わずかに、長い。


三本目。

四本目。

五本目。

六本目。


私はひとつずつ、丁寧に、しかし手早く、香りを確かめていった。

五本目を確かめたあたりで、私の指先は、自然に、もう一度一本目の瓶を、引き寄せた。


——共通する、微量香気がある。


私は心のなかで、そう、ぽつりと、つぶやいた。


十本のうち、すべての瓶に、ごくわずかではあるが、同じ輪郭の、青臭く、苦みのある、植物由来の香気が、含まれていた。

量は、瓶によって、まちまちだった。けれど、輪郭は、同じだった。一本の植物から、複数の処理で、複数の患者の場所に、流れ込んだ、と読むのが、自然だった。


私は、目を上げた。

テオドールは、机の少し離れたところに立ち、私の指先を、じっと、見ていた。

口は、挟まなかった。

若い助手たちも、息をひそめて、私の手の動きを、見ていた。


「テオドール様」


私は、彼の方を向いて、短く呼んだ。


「——数日、いただけますか。すべてのサンプルを、比較する必要が、ございます。香気の核を、私の手元で、もう一度、分解させていただきたく」


テオドールは、わずかに、頷いた。


「もちろんでございます。必要な機材は、すべて、ご準備いたします。**塔のすべての設備は、奥様にお預けいたします**」


「ありがとう存じます」


アンナが、ペンを構え直した。


「奥様、必要なものを、ご記録いたします」


「——蒸留器を二台。出力の異なるものを。それから、白磁の香炉を一台。植物図譜が、もし、調香学府にあれば、すべて。地理学府からは、アルメリア領全土の薬草分布図を、お借りしたく存じます。それから、**蒼森の地図**を」


私はそこで、すこしだけ、自分の口にした言葉に、止まった。


「——蒼森、と、申しましたか?」


テオドールが、わずかに、目を細めた。


「いま、わたくしの鼻の中で、青い苔と、湿気の重い樹脂と、針葉樹の根の腐りかけた匂いが、一緒に立ち上っております。ヴェルディアの薬草園には、ない香りでございます。アルメリア領で、これだけ複合された香気を持つ可能性のある地は、私の知るかぎり、**蒼森**より、ほかに、ございません」


私はそう、説明した。


説明したあと、自分でも、わずかに、息を、止めていた。

テオドールの表情が、初めて、はっきりと動いた。


「——奥様」


彼は、私の方へ、一歩、近づいた。


「明日。明朝、もう一度、この塔へ、いらしていただけますか。私は、地理学府に、貴女の必要な地図を、今夜のうちに、頼んでまいります」


「——承りました」


私は、深く頭を下げた。


——明日、もう一度、すべての瓶を、私の手で。


そう、自分の中で、確かめた。

私の指先は、まだ動いていた。

動かしたくて、たまらなかった。

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