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「夫人の手遊びだろう」と離縁された王宮御用達調香師は、翌朝隣国に招かれました  作者: ヲワ・おわり


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12/70

第12話 国の客人として

本作は全70話で完結予定です。

本日から毎日5話ずつ、07:10/12:10/18:10/20:10/22:10に更新します。

続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークと下部の☆☆☆☆☆から評価で応援していただけると励みになります。

藍の絹紐で巻かれた、白い羊皮紙。

紐をほどく所作は、儀礼そのものだった。一切の余分がない。手の角度ひとつ、長さひとつ、おそらくは学府で何度も練習されたものなのだろう。


エルンストはそのあいだ、応接間の隅の椅子に、寝間着の上に羽織った長衣のまま、無言で腰を下ろしていた。

彼は私の隣に座らなかった。座る権利は、今朝の彼にはもう、ない。

だからといって、退室する理由を、彼は自分のなかに見つけられないでいるらしかった。


私は長椅子の中央に、姿勢を正して座っていた。

ハインリヒは私の右斜め後ろに、半歩控えて立っている。クラウスは応接間の扉のそばで、いつもの位置だった。


使者が、羊皮紙の上に手をかざし、わずかに目礼をしてから、口を開いた。


「——朗読いたします」


短い前置きの後、彼は朗読を始めた。


「**王宮御用達調香師、リーゼロッテ・フォン・エヴァースハイム殿**」


応接間の空気が、その十二音を、ゆっくりと吸い込んだ。

私は目を伏せた。

伏せたのは、感情を隠すためというよりも、いま自分の内側で動いているものに、一度だけ、目を合わせるためだった。


「**アルメリア皇帝陛下が、貴殿を、国の客人としてお招きいたします**」


——国の客人。


その四文字を、私の耳は、ほとんど信じきれずに受け止めた。

皇帝の名のもとに、国境を越えて、ひとりの民間人を「客人」として招くということ。それがどれほどの重みを持つ儀礼であるかを、私は学術書のはしばしで読んで知っていた。賓客招聘——いちども見たことがなかった四文字が、いま、私の名前のすぐ後ろに、置かれている。


使者は朗読を続けた。


「貴殿の調香技術は、本帝国の薬学・調香学・植物学の三領域にわたる**国家戦略的重要性**を持つものとして、皇帝陛下直々に認識されておられます」


——国家戦略的重要性。


そこで、エルンストの呼吸が、ぴたりと止まる気配があった。

椅子の上で、彼の足の指が、ほんのわずか、寝間着のうえで動いた。たぶん、彼自身、自分の体の動きに気づいていない。


私は、彼の方を、見なかった。

見る必要が、なかった。


「アルメリア帝国学術四公の一、**レフナール調香学府長テオドール・フォン・レフナール**が、貴殿の研究環境を整えて、お待ち申し上げております」


——テオドール・フォン・レフナール。


その名前は、初めて聞くものだった。

けれど、レフナール公爵家の名は知っていた。アルメリア帝国の四公爵のうち、学術院に最も深く根を下ろしている家。代々、調香学府長を輩出している家門。

そのレフナール家の現当主か、あるいは身内が、今、私を「お待ち申し上げる」と書面で告げていた。


使者は羊皮紙の末尾の朱印に手のひらをかざし、深く頭を下げて、朗読を閉じた。


応接間に、しばらく沈黙があった。


その沈黙を、最初に破ったのは、エルンストだった。


「——……ヴァインフェルト夫人は、我が家門の人間だ」


声は、いつもの彼のものではなかった。

低くはあったけれど、最後の音が、ほんのわずかに、揺れていた。


「**招聘は、家門が判断する**」


私は答えなかった。

答える役は、私のものではなかった。


私の右斜め後ろから、ハインリヒの、いつもの実務的な敬語が、すうっと前に出てきた。


「侯爵様」


ハインリヒは一歩前に進み、応接間の中央に立った。


「王宮御用達調香師の称号は、**個人称号**でございます」


その短い一文を、彼はゆっくりと、エルンストの方へ向けて発した。


「ご離縁の手続きは、本朝、王宮宰相府にて、すでに正式に受理されております。書類は、本日早朝の早馬でお届けいたしました」


——本朝、すでに、受理。


私は、その短い情報の中に、もうひとつの事実を読み取った。

ハインリヒは、私の離縁書類を、自分で運んでいた。あるいは、自分の管轄下の早馬で、夜のうちに王宮へ届けさせていた。彼は、ヴァインフェルト邸を昨日訪れた時点で、それを段取り済みにしていたことになる。


「ご判断は、奥様ご本人に、ございます」


ハインリヒの声は、低く、丸かった。

エルンストの口が、わずかに開いた。

何かを言おうとして、けれど、言葉のかたちにならなかった。

五年間、彼が「俺の家門の所有物」だと思ってきたものが、一行の法律で、彼の手のひらから滑り落ちる音が、応接間に小さく響いた気がした。


使者は、長卓の上の羊皮紙をそっと巻き戻し、絹紐を結びなおしてから、私に向かって深く礼をした。


「——奥様、よろしければ、お返事を、頂戴できますでしょうか」


私は、息を、ひとつだけ、整えた。

整えるまでもなかった。私の中で、その答えは、もう、応接間に入った瞬間に、決まっていた。


「——お招き、ありがたく頂戴いたします」


声は、低くも、高くもなかった。

ふだんの私の声よりも、わずかに、まっすぐだった。


使者の口元が、ほんのわずか、緩んだ。

それは、笑みと呼ぶには弱すぎる動きだったが、彼の長い儀礼のなかで、初めて見せた人間の表情だった。


「お返事を、頂戴いたしました。**皇帝陛下に、ご報告申し上げます**」


そう言って、彼は深く頭を下げ、巻物を革袋に戻した。

所作は、来たときと同じ、一切の余分なく。


その間、エルンストはまだ、椅子の上にいた。

寝間着の襟が、半分はだけたままだった。彼はそれを、整えようともしなかった。

たぶん、整える気力が、もう、彼の中になかった。


使者と、ハインリヒが、応接間の扉に向かって歩き始めた瞬間、エルンストの口から、しぼり出すように、小さな声が漏れた。


「——……勝手にしろ」


それは、五年間、彼が私に向かって言ってきたなかで、いちばん力のない言葉だった。

怒鳴り声ではなく、命令でもなく、ただの吐き捨て。

そしてその吐き捨ては、もう、私の進路に何の影響も及ぼせなかった。


私はその短い四文字に、目もくれなかった。

代わりに、応接間の扉の脇に立つクラウスに、ほんの一瞬だけ視線を送った。

クラウスは、目を伏せたまま、わずかに、深く、頭を下げた。

それは、彼が五年間、私の名前のために守ってきた敬意の、最後の形だった。


使者は扉の前で振り返り、私に向かって、もう一度、深く頭を下げた。


「——リーゼロッテ・フォン・エヴァースハイム調香師。本日、お会いできましたこと、深く、光栄に存じます」


私は、わずかに、頭を下げ返した。


そして、応接間に残された薬務官ハインリヒが、私の側に半歩近づき、低く言った。


「——奥様。少々、申し上げたいことが、ございます」

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