薬師とエルフ
お疲れ様でした。最後まで本当にありがとうございました。
強力な魔力によって生み出された未開の地下迷宮ダンジョン。
その中に栄えた都市オーディン。
ここには腕に自信がある冒険者達がこぞっ集まり、ダンジョン踏破を夢みる地である。
第10階層、ここはローレンリソッコ宮殿と呼ばれている階層であり、ダンジョンの魔力によって形成された城郭庭園。中央に聳え立つ宮殿の創りが今は亡き国タラチャイス王国のローレンリソッコ宮殿に酷似していることに由来する。
「ムライっ!今すぐに僕から奪った力をすべて戻すんだ!」
「マーベリックさん。感情が先行して何の話だかわかりません。もっと順序を立ててゆっくりと話してください」
久々のマーベリックと邂逅はとんでもない言い掛かりから始まった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。キノは降って湧いた問題に頭を抑える。
予定通り、ボーガンの試し撃ちをしにキノとムライはダンジョンの深層階に潜ることになった。
「今回はボーガンの試し撃ちと性能を見ること目的なので第10階層まで最短ルートで向かう予定です」
「オッスっ!自分、必ずやムライさんの期待に添える戦果を上げて見せます!」
「…………元気があって大変によろしいですが。その元気がカラ回ってる見えるますね。怪我には十分気をつけて無理はしないようにしてください」
「オッスっ!」
そうしてダンジョンに潜るための準備を済ましてから三日後、キノとムライは確実に階層を降りて行き遂に第10階層に辿り着いたのである。
冷静に対処し、ボーガンにセットした毒の矢でもって魔物を倒して行く。
以前は非戦闘員としてパーティーのお荷物となっていた。そんなキノはもう何処にもいない。
ムライの元でのスパルタ教育、高性能の武器、強力な毒を兼ね備えた今のキノの姿はまさに冒険者と呼ぶに相応しい。
こんな、こんな力が自分の中に眠っていたなんて……と、打ち震えて感動していた。
そんな折に鉢合わせたのがマーベリックのパーティーだった。
イザベラとリリー、新メンバーのジュリアで構成されたマーベリックのパーティーメンバーにまるで両手に花である。
先に突っかかって来たのはマーベリックの方だった。
「ムライ、君はエルフだ。エルフというのは基本的に魔法が使える。違うかい?」
確かにマーベリックが述べるように、エルフといえば弓や魔法を極めた達人が多い。
前衛の大剣を振り回すムライのようなエルフをキノは初めて見た。
魔法使いであるイザベラがムライと話が合うと言っていた。つまり、ムライは魔法が使える可能性が高く。もっと言ってしまえば元は魔法使いだった職種を前衛に変えた可能性だってある。
しかし、何故そんなことをしたのだろう。
「基本的にという言い方は失礼ですが。他の種族と比べたら魔法は使えると思いますよ。とあるパーティーで魔法使いを担っていた時期もありました」
ただ——と、ムライはわざとらしく間を開けると目をすこぶる険しくさせる。
「私、どうも魔法って性に合わないですよね。間接的より直接的に潰しに行きたい」
このエルフやっぱりあっぶねぇ。キノは数歩ムライから距離を空けた。
マーベリックもキノと同様の感想を抱いたのだろう。顔色が途端に悪くなって、後ろに数歩退がる。
マーベリックよ。喧嘩を売る相手が悪過ぎる。君子危うきに近寄らず。このまま退却するべきだとキノは心の中でマーベリックに呼びかける。
しかし、キノの心の声はマーベリックには届かなかった。
「と、とにかくムライ僕の能力を奪ったんだ」
「はい?もしかしてスティールの魔法の事を言ってます?別に出来ない事もありませんが、何故マーベリックさんにその魔法を使うんですか?」
その時、マーベリックはムライが墓穴を掘ったと思ったのだろう。顔つきが急に勝ち誇ったようなものに変わった。
「それは僕がキノをパーティーから外した嫌がらせのためだよ」
「えっ、自分がなんですって?」
突然、自分の名前が出て来て、キノは素っ頓狂な声を上げるば、隣のムライが忌々しげに舌を打ち鳴らす。
「僕は前から知っているんだよ。君がキノのことを好きだったってことを……」
「こんのっ、すっとこどっこい!」
そう言って、ムライはマーベリックの頬にバッチコーンと重い平手打ちを打つ。
マーベリックは「ぶっふべっ」という声にならぬ言葉を最後に、軽く宙に飛び上がり地面へ落下した。
ひぇぇっとキノを含めたその場の全員が短い悲鳴と恐怖に縛られる。
ムライは普段よりさらに低い声音で喋り出す。
「まったく自分の能力不足を痛感するどころか、私に逆恨みするとは大した度胸です。えぇ、確かに私はキノさんのことは好きです。というか、愛しています」
それを今この雰囲気の中で言うか普通?キノは恐怖で動けぬまま思う。
今まさに胸襟を開いて語るムライに対して、失礼を承知でキノはこれは自分の聞き間違い、もしくは夢でも見ているのかと疑ってしまう。
ムライが好きな相手が自分?
何かの間違いではないだろうか?
「正直、パーティーを組めたことも一緒に住めたことも『ヨッシャっ!』と思っています」
しかし、やはり自分の聞き間違いでなければ現実であり事実であるらしい。
「まぁ、それはそれとして私曲がった根性を持つ相手を逆向きに折るのも好きなんですよね」
その言葉はまるで呪詛のよう。ムライはマーベリックの頭をガッシリと鷲掴みにするとあたりをキョロキョロと辺りを見渡し始めた。
「む、ムライ…その、僕が悪かった……す、すまなかった。頼む許してくれ」
啜り泣き喚くマーベリックを他所にミミックという魔物が擬態しているであろう宝箱を見つけて「あっ」という気軽い声をムライはあげる。
そこで待ったを掛けたのはイザベラだった。
「ムライ……ごめん……なさい…ね。許さ…なくて、いい…から、今……だけは…勘弁して、あげ、て」
「おや、イザベラさん。お久しぶりです。それにしても、こんなヤツがリーダーなんて災難ですね」
「でも……孫…みたい…で、可愛い……わ」
「だからといって、甘やかしたら増長しますよ。年長者なんですから、私のように締めるときは締めないと」
「ムライ……あなたの、は、やりすぎ……よ」
「何故、私が節度を持ち丁寧な口調で礼儀正しいのか。それはこういった無礼を働くヤツを叩き潰す絶好の理由になるからです」
「悪趣味……ね」
ムライさんとイザベラさんって、普段からこんな会話をしてたんだなぁ。と、キノは遠い目で見る。
以前は話している内容が聞こえず独特な大人の雰囲気と関係を持っているのだろうと密かに憧れを抱いていたキノだが、全くの見当違いだったことを知る。
そんなムライとイザベラの間に入ったのはリリーだった。
「ムライ、本当に……キノが好きなの?」
はらはらとつぶらな瞳が大粒の涙を流し、ムライを見つめる。
まるで、リリーの場所だけ別世界のように切り取られているようで、彼女の儚さと悲痛さや可憐さが見ている者達の網膜を焼き付ける。
「はい。そうです」
「そう、なの……」
揺るぎない言葉ではっきりとムライは告げれば、リリーは力なくその場で項垂れた。
しかし次の瞬間、リリーはポケットから何やら香水のようなものを取り出し、ムライに向けて吹きかけたのだ。
あの時の、キノの心を拐かした花の香りがした。
ムライさん——————キノは声を上げた。
が、リリーが吹きかけた香水は驚異的なムライの反射神経によって、頭を鷲掴みされていたマーベリックに全て掛かる。
「イザベラさん!」
ムライの鋭い声が飛ぶ。イザベラが即座に反応して水魔法でもってムライ、リリー、マーベリックを水浸しにした。
「ムライ……どう?」
頭から水を被り濡れ鼠に状態のムライは髪をかき揚げ、ブルリと首を振って水滴を飛ばして耳をそばだてる。
「ダメです。魔物の嗅覚は鋭い。既に四方から異常な唸り声で鳴いています」
イザベラとムライの異様な空気と会話のやり取りにキノの神経がぞわりと逆立ってボーガンを構える。
同時に「全員、武器を構えて厳戒態勢!」と、ムライの声が飛んで来た。
「今、リリーさんが香らせたサキュバスの妙薬の匂いに酔った魔物が興奮状態に陥り凶暴化してこちらに向かっています。今より早急なダンジョンの脱出。前衛の者は前にその他のものは周囲に注意してください!」
ムライが予言するや否や、そこから第10階層はもの凄い戦闘状態になった。
燃えるような瞳に長生き牙に蝙蝠の翼を持つジャバウォック、二つの頭部を持ち尻尾は蛇のオルトロス、水魔法を使う石像のガーゴイルの中級の魔物が次々とキノたちに襲いかかる。
さらに不運は第10階層だけでは止まらず。
サキュバスの妙薬を瓶の中に入れて保管していたとはいえ、人にはわからない微かな香りであってもダンジョン内の魔物たちは嗅ぎ取っていたらしく。リリーが通って来た全ての階層の魔物達が凶暴化していた。
ムライは逃げ遅れた冒険者パーティーを見つけては拾い上げ、的確な判断と統率力でもってダンジョンの脱出と魔物の沈静化に全力を尽くした。
その一部始終は実に筆舌を尽くし難く。壮絶な脱出劇だったとしかキノは語る事が出来なかった。
「あははっ、やっぱりムライはすごいよ。経験豊富だし、指示が的確で不足の事態が起こってもすぐにリカバリーができる。さすがは300年前、魔王を倒した勇者パーティーの魔法使い。賢者と謳われたエルフだよ。ギルドマスターは俺よりアイツにこそ相応しい」
「今、そんな事を言ってる場合ですか!早く貴方も早く仕事をしてください!」
皆に聞こえる声で高らかにダンジョンの異常事態を対処して行くムライをスイテンは褒め讃えるが、それをムライは一蹴する。
ようやくダンジョンから脱出し、心身共にズタボロになり、地面へ倒れたままキノはスイテンの話の話を聞く。
ムライさん。やっぱりとんでもないエルフだったんだなぁっと、勇者の話をした時のムライのあの穏やかな表情を思い出しながら、力なくキノは笑って気を失った。
そこから5日後。あれから、キノはムライに会っていない。
ダンジョン内の魔物達は徐々に落ち着きを取り戻し、噂ではあと一週間ほどでダンジョンに入れるようになるらしい。
しかし、今回の騒動の処理をしなければならないスイテンがムライを手放さないらしい。
意識を取り戻し、傷の手当てを受けた後に軽く事情を聞かれたが、キノは早々に家に帰された。
正直、ムライ会わない時間がある事はキノにとって僥倖である。
あれほど熱心だったエリクサー開発は当然身が入らず。
もう何度目かになる家の床拭きをキノは始める。その次は傷薬や風邪用のど飴の調合。
しかし、ここ最近寝る間も惜しんで朝から晩まで薬を作り続けていたので、そろそろ置く場所が無くなってきている。
ならば薬を売りに行けばいいと思うが、ムライと鉢合わせする可能性を考えると躊躇いが生じて動けない。
ここ最近、何を食べて生きて来たのかも覚えておらず。
キノの頭の中を大半を占めているのはもちろんムライである。
どうやら、彼はキノのことが好きらしい。
現実は小説よりも奇なりとはよく言ったものである。
現実逃避をしたくとも、あれほど本人がはっきりと「好き」や「愛してる」果ては「ヨッシャァ」まで言っているとなると否定する気にはなれなかった。
いやいや、灯台下暗しとはいうが、気づけるわけがないだろう。
自分はイザベラのように美しくも、リリーのように可愛くもない。
身長も平均より低く色気もないちんちくりん。目も悪いから分厚いメガネを掛けている。髪だって短く癖っ毛で、世にいう女としての素養が著しく欠如しており、どちらかというと男の子と呼ばれる方が相応しい見た目である。
異性の気を引くような点が一つもない。
もしや、ムライはキノが好きとかじゃなくて、キノのような男の子が好きなのでは?と考えて…何故か急に胸が痛んで体が丸くなる。
先ほどから彼のことを考えれば考えるほど、徐々に胸が痛んでキノは仕方がない。
ならば別のことに頭を働かせようと思考を巡らせても、すぐにムライに思いを馳せている。
「…………なんか、色々考えすぎて頭が疲れて来た。甘いものが食べたい…ジャムでもがぶ飲みしようかな」
「えっ、すみません。疲れた時は肉かと思って、肉の串焼きを買って来てしまいました」
随分と久しぶりなような気がするその声にキノは床からびょんっと飛び上がり振り向けば、肉の串焼きを一本と紙袋を持ったムライが立っていた。
「ム、ムライさん……おかえりなさい」
「はい、ただいま戻りました。お掃除お疲れ様です。そして、こちらはお土産です」
そう言って、香ばしいスパイスが効いた肉の串焼きが入っている紙袋をムライはキノに渡す。
「ムライさんこそ長い間お疲れ様でした。……えっと、お食事はいかがしますか?お休みになられるのなら、その前に足湯を用意しますが」
すぐに動き出そうとするキノをムライ手を上げて引き止める。
「お気になさらず。用が済みましたら、またすぐに冒険者ギルドに戻りますので」
ムライはキノに手渡した串焼きの一本を手に取り口に運ぶ。
「本来はあの様な形で告白をするつもりはありませんでした。しかし、言ってしまったからには撤回するつもりはありません」
バクリっと串焼きの肉に齧り付くムライの姿に忘れていた食欲が刺激されたキノの腹はグゥッと鳴る。
「あの……すみません。大切なお話の最中に申し訳ないのですが、自分も一本食べてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、そのために買って来たので」
いただきますとキノは言って、袋の中の串焼きの一本を取って食む。
噛んだ肉から溢れる出る肉汁の美味しさに目を瞑る。
「正直、年齢差が異常過ぎて受け入れづらいでしょうが。まぁ、エルフは見てくれだけは若くて良いので、恋人するのには問題ないと思いますよ」
「ムライさんが自虐するの初めて見ました」
「いえ、自虐ではなく事実を言ったのですが」
はて、と首を傾げるムライからは少しも気負ったような雰囲気はなく、キノは張り詰めていた緊張がフッと抜けた。
「あの、ムライさん。一つお聞きしたいんですが。こんな自分のどこがいいですか?」
キノの質問にムライに即答せず。ムライは少し間を置いて、そうですねぇと口を開く。
「キッカケは『良薬口に甘し』と、言ったのが時でしょうか」
まだムライがソロの冒険視野として活動していた時である。運悪く風邪を引いてしまったムライは風邪薬の苦さが嫌で飲むのを拒み自己の回復力で風邪を完治させようと努めていた時だった。
風邪を治すのなら大量の汗をかくのが1番良いと思ったムライは高ランクの魔物討伐をするために冒険者ギルドに訪れていた。
喉の痛みと関節の痛みとわずかに気怠い体を引きずりながら掲示板を眺めていると、不意に声を掛けてムライは声がする方を振り向いた。
そこにはキノが立っていた。
以前は薬と物々交換をしてくれた事の感謝の言葉と、ムライの助言のおかげで商業ギルドに登録した事を話すキノをムライは静かに聞いていた。
その途中で、けほりっとムライは咳をひとつ。
「風邪ですか?」
「えぇ、大した事はありません。そのうち治る軽いものです」
「よろしければ、最近完成したばかりの風邪薬を試してみませんか?」
名付けて、良薬口に甘し——————そう言って、キノはムライの手のひらにコロンっと風邪用の喉飴を渡したのだ。
「その言葉に私は感動したのです。そして、その感動は恋へと変貌しました」
ムライはスッと目を細めて、キノを見詰める。
「だから、私はキノさんがエリクサーの開発研究をしていると聞いて嬉しかった。エルフと人の寿命では明確な差があります。もしも、貴女が飲んでくれたなら私はとても嬉しい」
無論、強要するつもりは一切なく。ただ、私と共に生きてくれる選択肢の一つとしてエリクサーがあれば嬉しいとムライはキノに言う。
「じゃあ、ポイズン料理の探求のためと言ったのは……」
「いえ、それも本心もです」
「あ、そうですか」
キノの心はスンッとなって、しばし両者の間に沈黙が訪れる。
先に口を開いたのはキノである。
「ムライさん。貴方の様な方に自分のようなヘナチョコが見染められた事はとても光栄です。でも、エリクサーの完成の見込みが全然なくて、もちろん完成させたいと思ってますが。完成した時におばあちゃんになってたとしたら……」
そこでキノは言葉に詰まり、以前のイザベラの話を思い出す。
恋をしたエルフはその相手を一途に思い続ける。
知識として知っていたとしても、やはりどうしても想像してしまう。
老いることなく若く美しいムライの隣に、皮膚が垂れ下がったシワシワの老いた自分の姿。
例え、年単位でようやくエリクサーが完成して、それを飲んだして————キノは思わずムライから視線を逸らす。
「そんな自分をムライさんは好きだと言えますか?」
「えぇ、今よりもっとキノさんを愛しているでしょう」
ムライの返しにキノの胸はカッと熱くなる。
貴方は希望————キノは顔を上げてムライを見る。ムライもまたキノを見つめる。
キノはムライにさらに問う。
「もし、ムライさんは自分が先に死んだら、後を追って死んでしまうのですか?」
恋をしたエルフの行く末は自殺。それがキノに恐怖を抱かせる。
身勝手な事だとわかっていながら、死なないで欲しい。生きて欲しい。例えそれが自分がいない世界であっても————祈るような気持ちでキノはムライの返事を待つ。
突然ムライがフッと穏やかに微笑む。
「キノさん。私を誰だと思っているんですか?目の前の男がそう簡単に死を選ぶような奴に見えるならば心外です」
少しの迷いもなくハッキリと断言するムライの真っ直ぐな言葉が、キノの心胆を寒からしめていた心を一瞬で払拭させたのだ。
あぁ、と、キノは呻き声をあげて、両手で顔を伏せる。
なんて、なんて、愛しい方なのだろう。
体の奥から湧き上がる衝動のまま、キノは顔をゆっくりと上げる。
「ムライさん。約束ですよ」
キノが笑えば、ムライは今まで見たこともない表情で甘く微笑む。
「どうぞ、あの世で気長に待っていてください」
こうして、2人の未来は確定した。
◯
300年後。
ムライさん——————キノは手を振る。




