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薬師はエルフを幸せにしたい

次で最終話です。


キンっと冷えた風に薄ぼんやりと白い空に浮かぶ陽の光が眩しい。

 早朝の澄んだ空気は夜通し飲み明かした気怠い体をシャッキリさせるも、ムライと共に帰路に着くキノの心は未だ夜明け前の土砂降り状態である。

「やはりこの時間帯は寒いですね。キノさん私の上着を来てください」

「お気遣いありがとうございます。でも、これくらい平気ですよ」

 もう既にイザベラから貰った沢山の食料をまとめた布袋をムライに持ってもらっている負目もあって、キノは遠慮した。

 しかし、ムライはキノの体調の変化を見逃さなかった。

「唇がそんなに青白いのに?風邪でも引いたら大変ですよ」

 半ば強引にムライは自分の上着をキノの肩に掛ければ、清涼感のある爽やかな森林の香りがキノの鼻腔を擽る。

「ありがとうございます」

「どう致しまして」

 お決まりの定型文のような会話を交わて、2人は同時にフッと顔を緩ませる。

 あぁ、この緩い空気感に流されて深層階に行くって話。冗談とかにならないかなぁ。と、思いながらキノの目が遠くなる。

 自分が主役だった祝賀会は当然朝まで続き飲み明かした。

 たった一つの不安材料を除いて、嬉しく温かく楽しい時間を過ごし、大変に素敵な思い出となった。

 それはそれとしてだ。

 これから弛まぬ努力を続け、頑張りますと宣言したキノの返しにダンジョンの深層階に行こうなんて返されると誰が思うだろう。

 本来ならば、あの場で即座に嫌だとムライにキノは言うべきだったのだろうが、実力者であるムライとゴードンに褒められ煽てられキノは調子に乗った。

 自分にはこんな、こんな高い戦闘能力が眠っていたなんて……と、思ってしまったのだ。

 いや、あの時の自分よ落ち着け、お前にそんな高い戦闘能力はない。

 キノは自業自得だと理解はしつつも、恨みがましくムライを睨む。

 もう少し、こちらに対して手心を加えてもバチは当たらないように思う。

 それとも、キノの反応を見ながら「フハハっ、なんて愚かな人間よ」と内心でほくそ笑んでいるのだろうか。

 いや、彼の場合はそう思った瞬間に素直に口に出してキノに伝えてくるだろう。

 そもそもダンジョンの深層階と言っても、どの階層まで降りるつもりなのだろうか。

 俗に第10階からは深層階と定められており、15階層のラスボスのヒュドラからの階層は未知の領域。現段階でダンジョンの最終階層も最奥で待ち構えるラスボスの魔物すら不明とされている。

 ムライとて鬼ではない筈だ。

 第15階層はキノ達が目的にしているペガサスが生息する階層ではあるが、ボーガンの試し撃ちでそこまで降りるとは思えない。と、するとやはり第11階層か第12階層と考えるのが妥当だろう。

 そこまで考えて、不意にムライがヒュドラを一緒に食べようと言っていたのを思い出す。

 もしかしたら、第15階層まで降りるかもしれない……そんな考えが頭を過り肝がヒュッと冷える。

「あの、ムライさん。ヒ、ヒュドラって、そんなに美味しいんですか?」

 キノの声は自然と震えていた。

「ヒュドラですか?えぇ、とても美味しいですよ。私のおすすめは香草焼きです。それがどうかしましたか?」

「い、いえ……ボーガンの試し撃ちの魔物ってヒュドラだったりするのかなぁって?」

 祈るような気持ちで尋ねるキノに対して、ムライはあっさりと即答した。

「いいえ、流石にそんな気軽にヒュドラは倒せないので、深層階と言ってもヒュドラよりずっと手前の第11階層くらいを想定して……あっ、すみません。私とした事がうっかりしてました!」

「いいえ、大丈夫です!ヒュドラと戦う気も食べるないので、お気遣いなく!本当にやめてくださいね!」

 まさかの自分の失言で当初の予定から階層が四つも降りそうになって、半ば悲鳴混じりでキノはムライに待ったを掛けた。

 そうこう話しているうちにダンジョン都市の居住区からかなり離れた森の中に建てられた山小屋に到着した。

 現在のキノとムライの住処である。

 薬の実験を繰り返す都合上換気はしっかりしたいが、その臭いは公共の迷惑になる。

 同様の理由で、以前は下水道付近にキノの住居を構えていた。

「仕方がないとわかっているとはいえ、やっぱり街からここまで遠いですね」

 歩き過ぎてパンパンに張った脹脛をキノは軽く揉みほぐす。

「だから私はもう少し近場に家を構えようと提案したんですよ」

 最もなムライの指摘にキノは決まりが悪くなって笑って頭を掻く。

 確かにムライの意見を蹴って、この家が良いと強情を張ったのはキノである。

 自分だけが住み良いのは公平ではないと思ったのだ。

 キノはムライの長い耳を見る。エルフは森の精霊と呼ばれるほどに森と共に生きてきた亜人である。実際にムライが住んでいた前の住居も森の中だった。

 直接当人に問おていないので、真偽の程は不明であるが、森はエルフにとっては心の拠り所であり、安全基地であり、母のような存在なのでないだろうか。そんな事を考えて、ムライを森から引き離す事にキノは気が引けてしまったのだ。

「桶に疲労回復の薬を入れた足湯を用意しますので、ベッドに入る前に足を付けてから寝てください。疲労も少しは軽減されるでしょう」

「えっ、いや、大丈夫です。そこまでしてもらうのは申し訳ないですよ!」

「私も浸かるので一人分増えたくらい面倒ではありません」

 そう言って、ムライは恐縮するキノの淡々と流し、我が家のドアを開ける。

 家主がいない家の中はまるで部屋全体が眠っているようで、雨の日の草と土と薬の匂い。

 玄関から入って直ぐにある2人の共同スペースの台所とテーブルが置かれた居間。

 窓から差し込む太陽の光を浴びたテーブルクロスの上には2人分の空のスープ皿、乾いて硬くなったバケット、ゼリーサラダがキラキラと瞬いて、外と変わらぬ寒さと静寂さが非日常的な空間を切り取っている。

 もう随分と見慣れた我が家の内装だっていうのにキノは呆然とその場に立ち竦む。

 あ、っと隣でムライの軽い声が聞こえた。

「すみません。これがあった事をすっかり忘れてました。すぐに片付けますね」

 ムライは無感情のまま淡々とテーブルに置かれたパンを持って台所へと向かう。

 いやっ、ちょっと待って!と、気づけばキノは怒鳴るように叫んでいた。

「自分、食べます!いえ、食べさせてください」

「それはかまいませんが。生憎、新しいパンの用意がありません」

「自分そのパンがいいです!」

「え、この古いパンですか?」

 キノの返しにムライは怪訝な表情を浮かべる。

「昨日の物なので水分が大分抜けて硬くてパサパサですよ」

「それでもいいです。自分はそれがいいです!」

 キノの急な勢いに押されたのか。ムライはやや目を見張り、やがて短い息を吐く。

「なら、スープの中に入れて煮てしまいましょう。直ぐに用意しますから、手を洗って来てください」

「ムライさん。ありがとうございます」

 そう言って、満面の笑みを浮かべるキノにムライは面を食らったらしい。キノが手を洗いに行って戻る間のわずかな時間であるがムライはしばらく動きを止めていた。

 いただきます。と、両手を合わせたキノはムライの料理を口には運ぶ。

 口の中で温かな野菜のスープと煮込まれた柔らかいパンの食感がなんとも嬉しい。

 キノは満たされて行く本能のままに目を瞑り、んー、と、幸福に喉を震わせ唸る。

「とても、美味しいです。ありがとうございます」

「それは良かったですが、そんなにお腹が空いていたんですか?」

 夜通しで騒いだのだから、今は食欲より眠気の方が優っているのでは?貴女、無理に食べていませんか?という言葉を全て詰め込んだムライの問いかけにキノは自身の腹を摩る。

 スープひとくち分で既に腹八分目である。

 ムライの指摘て通りキノは美味しいものは好きだが、食欲は旺盛ではない。

 それでもキノは頷く。

「はい、お腹すごく空いてました」

 そう言ってからキノはスプーンを置いて、向かい側に座るムライに頭を下げる。

「本当にありがとうございます。自分のためにご飯を用意してくれたこと、ムライさんが食べずに待ってくれていたこと……帰るのが遅くなってすみませんでした」

 随分と重々しい口調で申すキノにムライはキョトンっと目を丸くしてから、あぁと平坦な声を出す。

「どうぞ、お気になさらず。食事をせずに待っていたのは私の勝手ですし、すぐ戻ると思って片付けもせずに街に向かってしまったのは私の落ち度です。キノさんに非はありません」

 それは違う。と、キノは顔を上げて強く首を横に振って否定する。

 おそらくムライにはわからないだろう。

 否、キノ意外の誰にもわからないだろ。

 今この瞬間、キノがこの気持ちをどう表現すれば良いのかわからないほどに感動し、胸が詰まっていることを。

 親を早くに亡くし、育ての親であり薬の知識を授けくれた恩師である伯父夫婦の間には愛する我が子がもちろん居る。

 確約されていた愛はもうどこにもないことを悟っていたからこそ、空いた穴を埋めるが如く謎多きエリクサー開発に没頭した。

 決して口にはしない。この身に巣食う疎外感と諦観を抱えながら、キノはメガネ越しの世界をずっと生きて来た。

 マーベリックのパーティーをクビになった時も、今後の生活の苦しさを考えて頭痛がしたが、特に特筆するような感情は持たなかった。

 あぁ、けれども……彼、ムライと離れるのだけは少し嫌だと思った。

 その理由を深く追求するつもりも自問自答する無かった。

 ムライは、金銭の稼ぎ方を教えてくれた。

 文字の読み書きを教えてくれた。

 戦う以外にパーティーに貢献できる術を教えてくれた。

 絶対に勝てないと思っていた魔物との戦い方を教えてくれた。

 こんな自分のために料理を作り、それを口にせずに待ってくれる相手がいる事を教えてくれた。

 彼は、ムライという名前はキノにとっては希望の名であった。

 唐突に鼻の奥がツンっと痛くなって、顔をグシャリと歪めたキノが目を伏せる。

 方や、キノの中で何らかの変化が起こっている事をムライは察したのだろう。戸惑ったのは一瞬で、すぐに平素の状態に戻る。

「それほど……美味しいのなら、私もご一緒しましょうかね」

 その言葉にパッとキノが顔を上げれば、ムライはゆったりと穏やかに微笑んでいた。

 初めて見るムライの表情に驚いて、キノは目をパチパチを瞬かせる。

 なんて、甘い顔をするのだろう。

 唐突にキノの心臓がドキンっと跳ね上がり胸がギュウウっと締め付けられる。

「自分、ムライさんだけには嫌われたくないな」

 無論、死んで欲しくもない————と、出かかった言葉を引っ込める。

 恋を知ったエルフは必ず自殺する。イザベラの言葉がキノの頭の中で強く反響する。

 キノは震えそうになる声を押し殺し、ムライの名を呼ぶ。

「貴方は今誰かに恋をしていますか?」

「えぇ、かなり手強い相手ですがね」

 ムライは即答だった。

 完全に詰みである事を知って、先ほどまで満たされて温かったキノの心が秒速で凍りつく。

 貴方は希望——————キノの奥歯を噛み締め、ひとり強く頷いた。。

 その最後を絶望で終わらせたりはさせない。

 エリクサーが完全すればムライを絶望から救う一縷の光になる筈である。

 今まで以上にキノはエリクサーの開発に情熱が入る。

「上手くいきます。えぇ、絶対にその相手とは上手く行きますとも」

「それは大変に心強いお言葉ですね。ならば、その追い風に乗ってみましょうか。キノさん、私は貴女が—————」

「あと、絶対に長生きしてくださいね。約束です」

 そして、誰よりも幸せな生を全うしてください。と、ムライの言葉を遮って、キノは食い気味に発する。

 鬼気迫るその様子に呆気に取られてたムライはギョッと目を見開いて、しかし、だんだん目つきが険しいものに変わる。

 腹の底から出した長いため息をムライは吐く。

「キノさん。貴女、誰に向かって仰っているんですか?」

 はなっから、そのつもりでこちらはずっと生きています。と、胸を張ってムライは啖呵を切った。



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