第25話 王太子の失墜(王太子視点)
詮議の朝は、よく晴れていた。
雪を頂いた王宮の尖塔が、冬の陽を弾いて、皮肉なほど白く輝いている。
大広間へ通されたランド=アンセルムは、その中央に一人、立たされていた。
左右には、諸侯が居並んでいる。あの敗戦の日、沿道で自分を憐れみ、嘲笑した貴族どもだ。今日は、その視線が憐れみですらない。冷えた、値踏みの目。次代の王の器を、もう一度量り直そうとしている。
そして、正面の上座に。
国王が、座していた。
伯父の姿をこれほど間近に仰ぐのは、久しぶりだった。老いた、痩身の男。玉座に深く身を沈め、何も言わず、ただランドを見下ろしている。その顔からは、怒りも、失望も、何一つ読み取れなかった。
ランドはその沈黙を、都合よく解した。
(……聞いてくださる。そうだ。伯父上は、身内の言葉に、耳を貸そうとしておられるのだ)
列の隅には、長官の姿もあった。他人行儀な礼を残して去った、あの男。そして反対の隅に、聖騎士団長。森で兵の半ばを失い、それでも口を噤み続けている、あの武人。
二人とも、証人としてこの場に呼ばれている。
好都合だ、とランドは思った。
目の前に、被害者の物語の登場人物が揃っている。長官の讒言、辺境の反逆、妖術使いの呪い。それを、伯父の前で一息に語り切ればいい。
勝算は、まだ、数えられる。
「陛下」
ランドは一歩、前へ出た。声に力を込める。
「……いえ。伯父上。畏れながら、申し上げます。私は、嵌められたのでございます」
国王は、答えない。ただ、見ている。
その沈黙に、ランドは勢いを得た。
「長官の讒言。辺境の、あからさまな反逆。そして……あの、追放された祈祷師の、妖しげな呪い。私は、その、すべての被害者に過ぎませぬ。哀れな、駒に過ぎぬのです」
語りながら、確信を深めていく。
(そうだ。伯父上は、聞いてくださっている。身内の、この私の言葉を。……いける。この場は、切り抜けられる)
柱は、三本。順に立てていけばいい。
ランドはまず、一本目の柱に手をかけた。
「あの祈祷師は」
ランドは、声を張った。
「我らの遠征を、呪ったのです。去り際に、敗北の神託などと、縁起でもない言葉を吐き……あの呪いのせいで、聖騎士団は壊滅したのでございます!!」
言い切って、伯父の反応を待った。
だが、口を開いたのは国王ではなかった。
「……恐れながら」
列の中から、進み出た者がいる。祈祷庁の装束をまとった、祈祷師たちだった。あの大聖堂で、列の後ろからあの男を無能と嗤っていた顔ぶれ。
「あれは、呪詛では、ございませぬ」
ランドの背が、ぴくりと強張った。
「な……何を言う」
「聖杯には映らぬ、真の神託。……それが、あの者の力にございました。あの神託は、あの壊滅を、寸分違わず、言い当てておりました。日付も、場所も、崩落の刻限までも」
祈祷師は、淡々と続ける。保身のために口を開いているのは明らかだった。だが、その口から出てくるのは、皮肉にも、動かしようのない事実ばかりだ。
「呪いの痕跡は、どこにも、ございませぬ。……ただ、正確な、警告にございました。そして、それを退けた記録だけが、残っております」
別の祈祷師が、それに続いた。
「あの者の神託を、我らも、初めは信じられなんだ。なれど、今にして思えば……あれは、まことの、予言にございました」
証言が、重なっていく。
一枚、また一枚と、ランドの一本目の柱から板が剥がれ落ちていく。
(違う。違う……!!)
ランドは胸の内で喚いた。
(あれは、呪いだったのだ。そうでなければ……そうでなければ、俺が正しい警告を嗤って退けた愚か者になってしまうではないか……!!)
いつもの蓋を、閉めようとする。この思考の続きへ、進んではならない。
だが、証言の声は、その蓋の隙間からじわじわと染み込んでくる。
一本目の柱が、音を立てて傾いだ。
ランドは二本目の柱へ逃げた。
「……長官だ!」
列の隅のあの男を、指さす。
「そこにいる、祈祷庁長官! 連れ戻せと入れ知恵したのは、この男です。あの祈祷師を無能と査定し、追放を、誰より熱心に囃し立てたのも、この男だ!! 私は、この讒言に、踊らされたに過ぎませぬ!!」
長官が、歩み出た。
そして国王へ、深々と一礼する。ランドのほうは見もしない。
「畏れながら、陛下へ、申し上げます」
その声は、この期に及んで、少しも揺らいでいなかった。
「私は、聖杯の示す査定をそのまま読み上げたに過ぎませぬ。数字が、そう出た。ゆえに、そう申し上げた。……それは、祈祷官の務めにございます」
「貴様……ッ」
「追放をご決断なされたのは、殿下。遠征を、お決めになったのも、召還の使者を、お放ちになったのも……すべて、殿下の御名においてなされたこと。記録がそれを示しておりましょう」
記録。
その一語に、喉が締めつけられた。
残っているのは、ランドの決断ばかりだ。遠征の勅も、追放の命も、使者を放った下知も。すべてランドの名で、紙に刻まれている。だが、あの夜の、二人きりの入れ知恵は。あの、口約束は。
どこにも、残っていない。
「……ぐ」
ランドは、言葉に詰まった。
この男は、それを最初から見越していた。決して紙に残さなかった。口先だけで私をこの失態の淵へ突き落とし、自分は涼しい顔で、記録の外へ逃げおおせたのだ。
そして長官は、畳みかけるように、国王へ新たな餌を差し出した。
「陛下。あの祈祷師の力は……本人が、戻らずとも。祈祷庁が聖杯にてその術式を解き明かし、技として再現いたしまする。辺境の力とて、いずれは王家の管理下へ。庁の威信にかけて、必ずや」
国王はそれを、退けなかった。ただ、頷いたようにも見えた。
ランドはその光景を、剥ぎ取られる側から見ていた。
共に、あの無能を嗤った。共に、あの男を雪の中へ捨てた。その相棒が、今、その捨てたはずの男の力を手柄の種にして、生き延びようとしている。私を、踏み台にして。
(……なぜだ。この男が、俺を、嵌めたのだ。それを、なぜ、誰も、裁かぬ)
二本目の柱も、ランドの手を離れて崩れ落ちた。
残るは、一本。
辺境の、反逆。
ランドは最後の柱に、すべての重みをかけた。
「……ならば、辺境はどうなのですッ!?」
声が、上ずっている。
「あの田舎砦は、王命を正面から蹴ったのです! 王家の召還に、剣を向け、牙を剥いた! これが反逆でなくて、なんだと言うのですか!?」
そして、ランドは藁を掴む思いで、最後の一人へ顔を向けた。
「団長! 貴様ならわかるはずだ。貴様もあの場にいた。……いや、あの砦の増長を、伝え聞いたであろう! 武人なら、王家への反逆を断じて許せぬはずだ。そうであろう!?」
聖騎士団長が、ゆっくりと顔を上げた。
その顔はいつもと変わらず、感情を映していない。
「……私は」
団長は、言った。
「見た事実しか、申せませぬ」
縋るようなランドの視線を、団長は受け止めなかった。ただ、国王のほうへ身体を向けている。
「辺境は、救援を拒まれました。にもかかわらず、自力で、あの大群を退けた。王命を拒んだのは、それが召還を装うた、私命であったがゆえ。反逆の意は……あの地には、ございませぬ」
「団長、貴様まで……ッ!!」
だが、団長はランドを見なかった。
そして、しばし、逡巡するように口を噤んでから。武人は、腑に落ちぬ、という顔で続けた。
「……ひとつ。今もって、解せぬことが、ございます」
その声が、わずかに低くなる。
「あの森の、退却。我らは、兵の半分を失いました。なれど、全滅は免れた。あの混乱の中で。なぜ、我らは生き残れたのか」
団長の目が、遠くを見た。
「見えぬ手が、兵の背をかばうたかのようでございました。あの祈祷師が王都を去った、あの日を境に。我らの、運は……確かに、傾いたように思えてなりませぬ」
言いさして、団長はまた、口を噤んだ。
それ以上は、言わない。確信までは至っていないのだろう。ただ、武人の勘だけが何ごとかを掴みかけている。その気配だけを、そこへ残して。
だが、ランドには、その述懐がとどめだった。
三本目の柱も、折れた。
誰も、味方しない。血縁の伯父も。共犯の長官も。武人の団長も。
この大広間に、ランド=アンセルムの側に立つ者は、もうただの一人もいなかった。
柱は、すべて、折れた。
被害者の物語は、もう語り続けられない。
それでも、ランドはいつものように蓋を閉めようとした。この思考の先へ進んではならない。あの結論にだけは、辿り着いてはならない。
だが。
その蓋に、手をかけたとき。
「ランド」
国王が、初めて口を開いた。
静かな、しかし大広間の隅々まで染み渡る声だった。
「呪いではない」
ランドの動きが、止まる。
「天のせいでもない。辺境でも、長官でもない」
国王は玉座から、ゆっくりとランドを見据えた。その目に初めて、色が宿っていた。怒りではない。もっと深く、静かな、悲しみに似た色だった。
「正しき警告を、そなたは、嗤うた。それを告げた者を、辺境に捨てた。勝てぬ戦を諸侯への見栄のために、強いた。そして、わが娘に……」
わが、娘。
その一語が、ランドの胸を貫いた。
イリア。あの錆姫。伯父の実の娘。ランドにとっては、従妹。王都が二重に見捨てた娘。
「そなたは、負けたのだ。いや……そなたが追い出した二人に、負けたのだろう」
国王の声は、責めてはいなかった。ただ、事実だけを置いていく。だからこそ、逃げ場がどこにもなかった。
「すべては、そなたの一歩から始まった。……ほかの、誰でも、ない」
その、刹那。
ランドの内側で、これまで幾度となく思考を堰き止めてきた、あの蓋が。
閉まらなかった。
ああ。
声にならない声が、腹の底から漏れる。
(そうだ。俺が。俺が、あの日……)
堰が、切れた。
これまで、あの結論の一歩手前で必ず飛びのいてきた。呪いだ、と。長官だ、と。辺境だ、と。別の物語へ跳んで、逃げてきた。
だが、もう跳ぶ先がない。柱は、すべて折れた。逃げ場は、伯父の一言で塞がれた。
因果が、逃げ場をなくして内側へ流れ込んでくる。
あの神託は、まぐれではなかった。あの男を追放しなければ、遠征は勝っていた。あの姫を捨てなければ、神剣は王都で目覚めていた。あの旗は、泥に沈まなかった。
すべての、始まりは。
あの男を嗤って、白を剥いだ、己の──。
「……ぁ」
膝が、震えた。
立っていられない。
だが、その崩れ落ちる寸前の、意識の片隅で。
往生際の悪い声が、なお喚いていた。
(……なぜ、だ。なぜ、俺が。俺は次代の王で……)
その声さえ、もう力を持たない。認めさせられた、という事実の重みに押し潰されて、言葉になりきらなかった。
国王が、立ち上がった。
その手が、上げられる。
「ランド=アンセルム」
大広間が、水を打ったように静まり返った。
「そなたより、王太子の位を、剥奪する」
衛士が、進み出た。
ランドの胸元へ、手が伸びる。王太子の証たる、金の紋章。それが留め具から外され、取り上げられた。
「……あ、」
声に、ならなかった。
胸元が、軽くなる。あるべきものを失った、その空白の感触がやけに冷たかった。
諸侯の視線が、その一点へ集まっている。位を剥がれ、証を失ったみじめな男を見物する目。
ふと、脳裏にひとつの光景が甦った。
数か月前の、あの大聖堂。
聖杯の前で、白い祈祷師の証を剥ぎ取られた、一人の男。下着一枚にされ、辺境に放り出され、満座の嘲笑を浴びた、あの男。
その男を、いちばん高い場所から笑っていたのが。
ほかならぬ、自分だった。
嗤った側と、嗤われた側。
その二つの位置が今、綺麗に入れ替わっていた。
白を剥がれた男は、辺境で選び取った居場所に立っている。紋章を剥がれた男は、王都のこの大広間で、すべてを失って立っている。
泥に沈んだ、あの紋章旗。出陣の朝、あれほど誇らしげにはためいていた旗。その意味が今、ここでわかった。
ランド=アンセルムの誇りも、地位も、王太子の資格も。何もかもがあの旗と同じく、泥の底へ沈んだのだ。
ようやく、ランドは何もかもを悟った。
自分がどこで間違えたのかを。すべての因が、どこにあったのかを。
だが、悟ったそのときには──もう、何もかもが手遅れだった。
白を剥がれた、あの男がそうであったように。
上座の国王が、剥奪を終えた甥から、ふと視線を外した。
その目が向いた先は、北。雪深い辺境の方角。かつて見殺しにしかけた、実の娘のいる方へと。
その視線の意味を、ランドはもはや知る由もなかった。




