第18話 勝利
ルカの祈りが、イリアの誓いに触れた。
縛めの一本を失った神剣が、その力を一段深く解き放つ。白銀の刃が、烈しく光を吐いた。
そして──刃から光が、翼のように、左右へ大きく広がっていく。
白銀の剣身から生えたその光の翼は、イリアが腕を振るうと、扇状に地を薙ぐように伸びた。あの村では、一刀で一体を両断した程度。だが今回は、一薙ぎで魔物の列を面で薙ぎ払っていた。威力の質そのものが、変わっている。
「これが、あなたの祈りなんですね……祈祷師様!」
力の奔流にイリアが息を呑む。だが、その白銀を握る手は、少しも怯んでいなかった。
以前村で初めてこの力を解いたとき、彼女はどこか、自分の刃に気圧されていたように思う。しかし、今の彼女にそれはなかった。
ルカには、その理由がわかる。自身の呪いが仕組まれたものだとわかれば、それが自分のせいではないとわかったのならば。自分の力として、存分に振るえる。
イリアはもう、自分の力をちゃんと信じられているのだ。
「はぁぁぁぁぁぁッ──! 〈王翼斬〉!!」
翼の剣閃が、黒の群れを真っ二つに割った。
割れた道の、その奥へ。イリアが一直線に駆ける。ルカの〝視〟が、その切っ先の行く先を導いた。
「イリア様、そこだ! 群れの心臓──核の、中心を!」
ルカはイリアに届くよう、声の限り叫んだ。
イリアの唇が、静かに動く。
「……承知しました。私の祈祷師様」
白銀の翼──〈王翼斬〉が、大きく振り抜かれた。
光の刃が、黒く脈打つ核を根元から両断する。
その断末魔は、魔物の咆哮とは違っていた。粘つくような、人の笑い声に似た響きが、ぷつりと途切れる。ルカの背をぞくりと冷たいものが走ったが、それが何なのか、考える間もなかった。
核が、砕ける。その刹那、群れを縫っていた無数の黒い糸が、ぷつんぷつんと、一斉に断ち切れた。
束ねる糸を失った群れは、たちまち統率を失っていく。
正気に返り、きょとんと立ち尽くす個体。糸を失って、ぐずぐずと崩れ落ちる個体。恐慌をきたし、我先にと北へ逃げ散る個体。あれほど不気味に整っていた〝進軍〟が、みるみるうちに、ただの獣の群れへと逆戻りしていった。斥候が見た、あの異常の、逆再生だ。
イリアと兵たちが、残った敵を掃討する。だが、深追いはしない。目的は殲滅ではないからだ。足を止め、時を稼ぐこと。それを忘れてはいなかった。
そこへ、砦の方角から伝令が駆けてきた。
「報告ッ。村人の避難、完了しました! 全員、結界の内側へ……!」
その声に、雪原の兵たちが、どっと沸いた。
間に合った。民は一人残らず、あの光の網の中へ逃げ込んだ。
勝つための戦では、なかったはずだ。時間さえ稼げれば、それでよかった。なのに、核まで断って、群れを崩して、勝ってしまった。
張り詰めていたものが、ふっと緩む。その途端、ルカの膝から力が抜けた。
「……っと」
陣の上に、へたり込む。目の前が白く霞んだ。極限まで精神を研ぎ澄ましたせいで、体力も消耗していたようだ。
傷だらけのガングが、そこへ、のしのしと歩いてきた。荒い息を吐き、肩から血を滴らせながら。
「勝った、のか……俺たちが。あの数を、相手に」
信じられん、という顔だった。それから彼は、ルカのすぐ傍にしゃがみ、その肩をぐいと掴んだ。
「よくやったよ。祈祷師」
ごつごつした手が、労わるように肩を叩く。
「いや……ルカ」
初めて、名で呼ばれた。
あの、追放者を叩き出すと凄んでいた男の口から。ルカは、霞む視界の中で少しだけ笑った。
雪原に、朝が差し始めている。
生き延びた兵たちが、そして、砦の門前から様子を窺っていた民たちが、二人を──白銀の翼を振るった姫と、その傍らの祈祷師を、食い入るように見つめていた。
〝呪われ姫〟
その名は、この雪原で完全に上書きされた。
翼の神剣で、大群を退けた姫。誰ももう、彼女を呪いの化身などとは呼ばない。
民の中から、あのグラッテの老人が、よろよろと進み出た。
言葉を発しかけて、けれど、それは声にならない。ただ、皺だらけの顔をくしゃくしゃに濡らして、両手を合わせ、拝むように頭を垂れる。
それが、皮切りだった。
どこからともなく、兵の一人が剣を掲げた。次の一人が、雪の上に片膝をつく。辺境の、無骨な男たちの、精一杯の敬意の形が、さざ波のように広がっていった。
「イリア姫、万歳! ルカ様、万歳!」
誰かが叫び、歓呼が雪原を揺らした。
「呪われ姫なんて……とんでもねえ」
民の一人が、洟を啜りながら呟く。
「あれは……俺たちの、守り神だ」
その歓声の中で、イリアがルカを振り返った。
血と雪と返り血に汚れて。それでも、その顔はどこまでも晴れやかだった。二人の視線が、まっすぐに交わる。
イリアが、そっと近づいて。ルカにだけ聞こえる声で言った。
「……あなたのおかげです。私だけの、祈祷師様」
ルカは、へたり込んだまま、赤くなった顔を掻いた。
完全なる勝利。だが、その余韻の中で、ルカの胸には二つの小さな棘が刺さっていた。
ひとつ。核は断った。だが、鎖はまだ残っている。この決戦で砕けたのは、二本目。イリアの魂には、まだ幾重にも、あの黒が巻きついたままだ。今日の核も、所詮は手駒の一つ。あれを操り、鎖を編んだ大本は、黒幕は、まだどこかにいるはずだ。
ふたつ目。核を両断した時の、あの断末魔だ。人の笑い声に似た、あの粘つく響き。砕けた核の残滓に、ほんのわずか、あの気配の残り香がまだ漂っている気がした。誰かが、まだ遠くからこちらを窺っている。そんな薄ら寒さが、拭えなかった。
そして、北の空が、ふと気にかかった。
この大勝の報せは、やがて王都へも届くだろう。
王都が、自分たちを二重に見捨てたあの場所が、それを知って何を思うのか。ルカには、まだ知る術がない。ただ、〝見捨てた辺境〟がこれほどの勝利を掴んだと知って、王都がそれを黙って見過ごすとは、どうしても思えなかった。
だが、それはまだ先の話だ。
今は、ただ。
血と雪に汚れた戦場に、朝日が昇る。その光の中を、二人は肩を並べて、砦へと帰っていく。
(無能と言われた祈祷師と、呪われた姫と蔑まれた彼女)
ルカは、隣を歩く横顔にそっと目をやった。
(王国に捨てられた僕たちが……王国に見捨てられたこの土地を、守り抜いたんだ)
東の空の光が、二人の背を、あたたかく照らしていた。




