表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生したけど、“破滅エンド”が8周目なので、今回は全部キャンセルして推しを幸せにすることにした  作者: 月代


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話「ループの代償」


離宮に来て、28日目。


3日間、療養棟にこもって呪紋の術式構造を再解析していた。


「完治か告発か」——あの夜から、答えを探し続けた。


呪紋を解除すれば、エミル殿下は完治する。でも証拠が消える。

呪紋を残せば、証拠は保全できる。でもエミル殿下は苦しみ続ける。


どちらも選べない。


だから——第三の方法を探した。


術式の構造を一から読み直す。

外層から中層、中層から深層。

全ての回路を追って、一つの可能性に辿り着いた。


呪紋の「転写」。


エミル殿下の身体から呪紋を丸ごと引き剥がし、別の媒体——紫水晶に移す。


術式の上書きの応用だ。

2話でエミル殿下の外層を解除した時と原理は同じ。

ただし規模が桁違いに大きい。


深層まで含めた呪紋全体を一度に上書きし、移動先に再構成する。

成功すれば、エミル殿下の身体からは呪紋が消え——紫水晶の中に署名入りの証拠が残る。


完治と告発の両立。


できる。理論上は。


ただし。


「全魔力を一度に注ぎ込む必要がある」


自室の机で、計算結果を前に呟いた。


全魔力の放出。

それは——意識喪失から、最悪心停止に至る行為。


でも、それだけじゃない。


8周分のループの記憶。そして——前世の記憶。


日本で暮らしていた日々。大学の教室。友達と語り合った推しの話。『永遠のティアラ』を初めてプレイした夜。設定資料集のたった一行に心を撃ち抜かれた瞬間。


それら全ては、この世界の魔法体系では説明できない——魂に刻まれた超常的な情報。


魔力を完全に枯渇させた場合、その器が空になった時——超常的な情報は消失する。


前世の記憶も。8周分の記憶も。全部——消える。


エミル殿下の好きな花。

エミル殿下の好きな飲み物。

エミル殿下の好きな詩人。

エミル殿下が首を傾げて笑う癖。


設定資料集の一行に恋をした、あの日の気持ちも。


7周分の失敗。

8周分の痛み。


全部——消える?


紙の上の計算式が、滲んで見えた。


……怖い。


認めたくないけど、怖い。


最初に打ち明けたのは、クロードだった。


庭の端。湖から離れた木立の下。二人きり。


全てを話した。

転写の方法。必要な魔力。そして——記憶喪失の可能性。


クロードは最後まで黙って聞いていた。


そして——。


「ふざけんな」


即座に。


「お嬢、記憶を失うってことは、お嬢がお嬢じゃなくなるってことだろうが」


「……そうかもしれないですわ」


「“かもしれない”じゃねえ。8周分の記憶がお嬢を作ってんだ。それを全部捨てるなんて——」


クロードの拳が、横の木の幹に叩きつけられた。


鈍い音。


拳が震えている。


「俺は反対だ」


「でも、これが唯一の方法ですわ」


嘘の語尾ではない。本心でそう信じている。


クロードは私を見た。

いつもの皮肉な笑みが消えていた。


「……本当に、お嬢はいつも自分を後回しにする」


声が低くなった。


「それが——俺には、たまらなく辛いんだよ」


……クロード。


あなたの気持ちは、知っていた。


何周もの間、ずっと。

毎回ついてきてくれた理由も、皮肉の裏に隠された本音も。


でも私は——応えられなかった。

8周分、変わらなかった。


「ありがとう、クロード」


声が震えた。


「あなたは毎周回、私のそばにいてくれた。——でもこれは、私が選ぶことですわ」


クロードは目を伏せた。


長い沈黙。


「……わかってる。わかってるよ、お嬢」


声が掠れていた。


そのまま、クロードは木立の奥に歩いていった。


背中が見えなくなるまで、私は動けなかった。


次に——エミル殿下に伝えた。


ただし、記憶喪失の可能性は言わなかった。


言えなかった。

言えば、この人は絶対に止める。


「大きな魔力が必要で、しばらく寝込むかもしれませんわ」


それだけ伝えた。


エミル殿下が、じっと私を見た。


灰青の瞳。

静かで、深い目。


「ヴィオレッタ嬢、何か隠していないか?」


心臓が跳ねた。


「あなたが嘘をつく時、語尾が少し変わる。今は変わっていない」


——知っていた。


この人は、私の嘘の癖に気づいていた。


「でも——言っていないことがある顔をしている」


嘘はついていない。でも全てを言っていない。


語尾は変わらない。

でもこの人には、それ以外の部分が見えている。


数秒、沈黙した。


逃げることはできた。

「何もありませんわ」と言えば、語尾に「ね」はつかない。嘘じゃないから。


でも——。


この人の前で、隠し事をしたまま戦いに行くことが、耐えられなかった。


「……記憶を、失うかもしれませんわ」


言ってしまった。


エミル殿下の表情が凍った。


「記憶って……僕のことも?」


「全部ですわ。8回分の——あなたの好きな花も、好きな本も、好きな季節も。全部」


「そんなの——駄目だ。駄目に決まっている!」


エミル殿下が立ち上がった。


声が大きかった。

今までで一番大きな声。


「ヴィオレッタ嬢の記憶は——ヴィオレッタ嬢そのものじゃないか。それを失うなんて——」


「エミル殿下」


私は——エミル殿下の手を取った。


初めて、私の方から。


温かい手。

あの日、私が倒れた時に握ってくれた手。


「私は8回の人生で、一度も幸せになれなかった」


声が震えた。公爵令嬢の仮面は、もうどこにもなかった。


「でも——あなたが笑ってくれたこの1ヶ月が、8回分の全部よりも幸せだった」


エミル殿下の灰青の瞳が、揺れている。


「だから、この記憶を使って、あなたを自由にしたいの」


語尾が——素に戻った。


「〜ですわ」ではなく、「〜したいの」。


1話の馬車の中で、「どうでもいいの」と言った時と同じ。

本音が漏れる時の、私の口調。


エミル殿下の瞳から、涙がこぼれた。


「なら——僕が全部覚えておく」


震える声だった。


「君が忘れても、僕が全部覚えて、何度でも教えるよ。君が好きなものも、君が笑った日も」


その言葉を聞いた瞬間。


わかった。


この人は——推しじゃない。


推しなんかじゃなかった。


「推し活」という言葉で、ずっとごまかしていた。

前世で設定資料集の一行に惹かれた時から、8周分の時間をかけて見つめ続けた感情を、「ファン」とか「応援」とか、安全な言葉で包んでいた。


でも——もう、ごまかせない。


私は、この人を好きなんだ。


恋。


8周目にして——初めて自覚した。


最悪のタイミングで。


恋を自覚した瞬間に、その記憶を失うかもしれないなんて。


笑えない。全然笑えない。


でも——泣くわけにもいかない。


エミル殿下の手を、強く握った。


「……ありがとう、エミル殿下」


それだけ言った。


夜。


管理人が二通目の密書を持ってきた。


父の手紙。


『国王への謁見を手配した。アルベルトも協力する。呪紋の証拠提示は離宮ではなく王都で行う。3日後、王城にて。——父より』


3日後。


あと3日で——全てが決まる。


窓の外に、湖が見えた。


朝日が水面に反射して、眩しく輝いていた。


凪でもなく、波紋でもなく。

ただ——光。


覚悟を決めた時の光。


右耳のイヤリングに触れた。


母の形見。

もうすぐ、この石にエミル殿下の呪紋を移す。


紫水晶が——藍色に変わるかもしれない。

母の形見が、別のものになるかもしれない。


でも。


大切な人を守るために使うなら——お母様も許してくれると思う。


目を閉じた。


3日後。


8周目の人生の、最後の戦い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ