表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生したけど、“破滅エンド”が8周目なので、今回は全部キャンセルして推しを幸せにすることにした  作者: 月代


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/10

第6話「聖女と悪役令嬢の停戦」


離宮に来て、15日目。


朝。

庭の湖が見えるベンチに、二人分のカモミールティーを用意した。


一つは私。

もう一つは——向かいに座る、聖女リゼット・フォンティーヌ。


クロードが少し離れた木の幹にもたれて、護衛を兼ねた見張りをしている。


リゼットは困った時の癖そのままに、両手を胸の前で組んでいた。

翡翠の瞳が落ち着かなさそうに揺れている。


「……ヴィオレッタ様。昨日は突然押しかけてしまって——」


「リゼット嬢」


遮った。

このまま謝罪を聞き続けても、話が進まない。


「単刀直入に伺いますわ。何をしに来たの?」


リゼットが息を呑んだ。


数秒の沈黙。

それから、唇を震わせながら口を開いた。


「謝りたかった、です。あの式典で——わたしのために、あなたが追放された。わたしは何も言えなかった。聖女なのに。人を救うべき立場なのに。何もできなかった」


涙が翡翠の瞳からこぼれ始めた。


「ここに来るまで、ずっと考えていました。わたしにできることは何だろうって。——せめてお話をして、わたしの気持ちだけでも伝えたかった」


7周分の記憶が、脳裏を横切った。


この子を「敵」だと決めつけていた1周目。

ゲームの構図——ヒロインvs悪役令嬢。転生した私は、その構図に囚われていた。

リゼットが聖女でヒロインだから、悪役令嬢の私とは敵対するものだと。


「利用されている駒」だと見下していた3周目。

「和解できる相手」だと計算ずくで近づいた6周目。


どの周回でも、私はリゼット・フォンティーヌという人間を「役割」でしか見ていなかった。


ゲームのヒロイン。

攻略対象を奪う敵。

聖女という記号。


7周分の偏見は——ゲームの知識が作った檻だった。


でも目の前にいるのは——ただ泣いている、17歳の女の子だ。


「リゼット嬢」


声をできるだけ柔らかくした。


「あなたが謝る必要はございませんわ。あの場で声を上げられなかったのは、あなたの立場を考えれば当然のこと。——私があなたの立場でも、同じことをしたでしょう」


嘘ではない。

語尾にも「ね」はつかなかった。


リゼットが顔を上げた。


「ヴィオレッタ様は……本当に悪い人じゃなかった。宮廷でみんなが言っていたことは、嘘だった」


泣かないでほしい。

推し活で忙しいのに聖女のケアまでは想定外——いやでも、この子も被害者なのだ。


聖女という看板を掲げさせられ、宮廷の権力闘争に利用され、自分の意志で何も選べなかった子。


「リゼット嬢。一つ、お願いがありますの」


涙を拭いているリゼットが、こちらを見た。


「エミル殿下の呪い——ご存じ?」


「呪い……? 殿下のご病気は、呪いなのですか?」


知らなかったらしい。当然か。宮廷魔術師すら見抜けなかったのだから。


「聖女の治癒魔法では、呪いそのものは解除できません。属性が違いますわ。でも——エミル殿下の体力を回復させることはできるはず」


リゼットの目が変わった。

涙が止まり、翡翠の瞳に光が戻る。


「させてください。わたしにできることがあるなら、何でもします」


即答だった。

迷いがなかった。


この子は——聖女という肩書きを外しても、人を助けたい人間なのだ。


「ありがとう、リゼット嬢」


自然に口から出た。

7周かけて一度も言えなかった言葉が、8周目であっさり出てきた。


午後。


リゼットがエミル殿下の療養棟を訪れ、二人が初めてまともに話をした。


エミル殿下は穏やかにリゼットを迎え入れた。


「聖女様が僕のような者を気にかけてくれるとは思わなかった」


「エミル殿下は、ヴィオレッタ様が大切にしている方ですから」


大切にしている。


「大切とかそういうのではなくてですね」


慌てた。声が裏返った。


エミル殿下とリゼットが同時にこちらを見て、エミル殿下が首を傾げて笑った。


「違うの?」


「違いますわ。これは推し活であって——あ」


また余計な単語を。


「推し活、ってまた言ったね」


エミル殿下が楽しそうに目を細めた。


「前に聞いた『ファン』と関係ある言葉?」


「関係ないですわ。忘れてくださいませ」


「えー。気になるんだけどな」


推しに追及されている。

つらい。楽しいけどつらい。


リゼットがきょとんとした顔で二人のやり取りを見ていた。


夕方。


管理人の老婦人が、一通の封書を持ってきた。


「王都から早馬で届きましたよ」


差出人は記されていない。

けれど——封蝋に押された紋章を見て、息が止まった。


クレティア公爵家の紋章。


父の手紙。


手が震えた。

別の理由の震えだった。


封を開ける。


中には短い文面が、端的な筆致で書かれていた。


『王妃が聖女の管理権を強化し、リゼット嬢を宮廷から出さぬよう動いている。離宮にいるなら急ぎ事情を知らせよ。お前の離宮行きを手配したのは私だ。——父より』


……お父様。


手紙を持つ手が、震えたまま止まった。


お前の離宮行きを手配したのは私だ。


あの馬車。

あの書状。

離宮の部屋が用意されていたこと。


全部、父だった。


8周の人生で——父は、私のために何もしてくれなかったと思っていた。

追放されても声を上げず、処刑されても助けに来ず。


違った。


動いていた。

ただ——私が、知らなかっただけで。


右耳のイヤリングに触れた。

母の形見。


お母様。

お父様は、ちゃんと見ていてくれたんだ。

8周目にして——やっと、気づいた。


涙は出なかった。

でも、胸の奥が温かかった。4話でエミル殿下に手を握ってもらった時と、同じ温かさだった。


夕暮れ。


リゼットに父の手紙の内容を伝えた。


王妃がリゼットの管理権を強化しようとしていること。

宮廷に戻れば、王妃の管理下に置かれること。


「ここにいる方が安全ですわ。でも、あなたの意志を聞かせて」


リゼットは少し俯いて——それから、顔を上げた。


「わたしは、ここにいたいです」


静かだけれど、はっきりとした声だった。


「……初めて、自分の意志で場所を選びます」


翡翠の瞳が、もう揺れていなかった。


夕暮れの庭。


ヴィオレッタ、エミル、リゼット、クロード。


四人が離宮の庭にいる。


エミル殿下がベンチに座り、リゼットが隣で花を見つめ、クロードが木にもたれて空を仰ぎ、私が湖を見ている。


8周目にして初めて——「味方」がいる。


1周目は一人で泣いた。

3周目は一人で逃げた。

7周目は一人で戦って、一人で死んだ。


今回だけ、違う。


これは——私が今まで選ばなかったルートだ。


湖面は穏やかだった。


けれど遠くの空に、灰色の雲がかかり始めている。


嵐の予兆。


王妃が動いている。

父が動いている。

王都で何かが変わり始めている。


穏やかな時間は、きっと長くは続かない。


でも——今だけは。


この庭で、この四人で。


もう少しだけ、このままでいさせてほしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ