第三話 父と母と私の距離
翌朝、父が屋敷へ到着すると、顔を赤くし、握った杖を床へ打ちつけながら、父はマルクスを怒鳴りつけた。
「我が娘を三年も欺き、あろうことか妹に子を産ませ、出生まで偽ろうとしただと!グランディエ公爵家を愚弄するにも程がある!」
父の後ろには母もいた。
母はフィオナの姿を見た途端、震える手で頬を打った。
フィオナは床へ崩れ、頬を押さえて泣いた。
「あなたという子は……。レティシアが、どれだけあなたを助けてきたと思っているの!」
「お母様、ごめんなさい。私、本当にマルクス様を愛していて」
「黙りなさい!」
母がこれほど激しくフィオナを叱る姿を、私は初めて見た。
けれど、胸は晴れなかった。
「レティシア。心配するな。この男には必ず償わせる。お前は我が家へ戻ればよい」
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「お父様が怒っていらっしゃるのは、私が傷つけられたからですか。それとも、公爵家の名誉が傷つけられたからですか」
父は言葉を失った。
「私は幼い頃から、フィオナに譲るよう言われてきました。姉なのだから我慢しなさいと、何度も」
「それと今回のことは別でしょう」
母が掠れた声で言う。
「別ではありません、お母様。フィオナは、私のものは望めば与えられると思って育ちました。私も、奪われても黙って受け入れることに慣れてしまった」
母の唇が震える。
「だからといって、私がフィオナの罪までお父様とお母様へ負わせたいわけではありません。ただ、何もなかったように実家へ戻り、以前と同じ娘に戻るつもりもございません」
「では、どうするのだ」
「離縁します。持参金の全額返還と、三年間の運用益、婚姻契約違反に対する慰謝料を求めます。私はそれを元手に、自分の屋敷を持ちます」
「一人で暮らすというのか」
「一人で立つのです」
自分の口からその言葉が出た瞬間、胸の奥に熱が灯った。
誰かに選ばれなくてもよい。
誰かが許さなくてもよい。
私は、自分の人生を自分で選んでいい。
「今度だけは、私の望みを後回しにしないでください」
父は長い沈黙の後、目を伏せた。
「……分かった」
母が泣きながら、両手を握り締める。
「レティシア。あなたに我慢させることを、私たちは聞き分けがよいと勘違いしていたわ」
「今は、謝罪を受け取れる気持ちにはなれません」
「ええ」
「けれど、いつかお話しできる日が来るかもしれません」
許したわけではない。
拒絶し切ったわけでもない。
私は初めて、両親との距離さえ、自分で決めた。
王宮での審問は、ひと月後に開かれた。
国王の名を受けて調査を指揮したのは、王直属の近衛騎士団長であり、エルンハルト領の隣に広大な領地を持つアシュフォード公爵、レオンハルトだった。
彼とは以前、冬季の備蓄や国境沿いの避難所について、何度か協議したことがある。
プラチナブロンドの髪と、深い蒼色の瞳。
近寄りがたい印象を与える容貌だが、会議では身分の低い書記官の意見にも耳を傾ける人だった。
「レティシア殿。提出された記録は確認した」
審問が始まる前、レオンハルトは私の前へ歩み寄った。
「君があの夜、証拠を押さえたおかげで、侍医と役人への買収まで辿ることができた」
「実際に、協力者がいたのですか」
「侍医はすでに金を受け取っていた。フィオナ嬢を診察した記録も意図的に破棄している。それから、マルクスは軍の輸送費の一部を流用し、別邸の維持費と口止め料へ充てていた」
喉の奥が冷えた。
私が気づかなければ、本当に計画は実行されていたのだ。
「君は、夫の裏切りを訴えたのではない。王国の継承制度を欺く企てを止めた。そのことを忘れないでほしい」
レオンハルトの視線は真っ直ぐだった。
憐れみではない。私がしたことを、正面から認める目だった。
「ありがとうございます」
私は背筋を伸ばし、審問の間へ入った。
マルクスとフィオナは、並ぶことを許されず、離れた場所へ座らされていた。
エルンハルト辺境伯は、息子を見ることなく、険しい顔で前を向いている。
証拠が一つずつ読み上げられた。
侍医へ渡された金貨。
偽造予定だった診療記録。
別邸の賃貸契約。
出生届へ署名する予定だった役人との書簡。
軍の輸送費から消えた金。
家令と侍女長の証言。
そして、あの夜に二人が認めた計画。
「違う!私は家の跡継ぎを得ようとしただけだ!レティシアとの間に子が望めない以上、ほかに方法がなかった!」
「望めなかったのではありません。あなたが、私とは子を持たないと決めただけです」
「君も同意したはずだ」
「私が同意したのは、あなたが誰とも子を持つつもりがないという前提での白い結婚です。妹との不貞にも、偽りの子を産んだことにされることにも、同意しておりません」
「結果として跡継ぎが得られるなら、何が不満なのだ!」
審問の間が静まり返った。
三年間、私はこの男の何を見ていたのだろう。
いや。
彼はずっと、自分の都合しか見ていなかった。
私が見ないふりをしていただけだ。
「私を人として扱わなかったことです」
マルクスの口が閉じる。
「妻ではなく、家名と身分を保つための道具として扱った。都合が悪くなれば領地へ追いやり、知らぬ間に妹の子の母親に仕立てようとした。そのことを、私は決して許しません」
裁定が読み上げられた。
マルクスとの婚姻は、彼の重大な欺瞞と婚姻契約違反を理由に解消。
私の持参金は、運用益を含めて全額返還。
三年間に対する慰謝料として、エルンハルト家が王都近郊に所有していた屋敷と、南部の荘園が私へ譲渡される。
ただし支払いの大半は、息子の不始末を管理できなかった責任として辺境伯家が負い、後にマルクスへ求償されることとなった。
マルクスは嫡嗣の地位を剥奪。
軍籍と王宮での役職も失い、家名を用いた活動を禁じられた。
出生記録偽造未遂と軍費流用については、有罪。
辺境伯家の後継者には、傍系の従兄が指名された。
フィオナはグランディエ公爵家から除籍され、相続権と持参金を失った。
ただし、生まれてくる子に罪はない。
私は裁定が下る前、子どものための養育費だけは別に保全してほしいと願い出た。
マルクスから没収された財産の一部が信託され、子が成人するまで、両親は自由に引き出せない形で管理されることになった。
審問が終わった後、連行される直前のマルクスが私へ尋ねた。
「なぜ、その子を助ける。憎くないのか」
「その子は、私を欺いておりません。あなた方と同じことを、私はしたくないのです」
私が憎むべき相手は、自分の意思で私を踏みにじった者たちだ。
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