↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
馬の声が聞こえるようになったと思ったら実は馬は全員元人間だった。  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)
第2章「売れ残りの馬券おやじ」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/34

第27話 素通りした男たち




【皐月賞】主取りの皐月賞候補について語るスレ


1:名無しの馬券オヤジ  弥生賞おつかれ


2:名無しの馬券オヤジ  主取りがまた勝ちやがった


3:名無しの馬券オヤジ  しかも2番人気で


4:名無しの馬券オヤジ  9番人気→7番人気→2番人気→本番は?


5:名無しの馬券オヤジ  単勝1倍台とか見てみたい


6:名無しの馬券オヤジ  いやいや皐月はキングス1強だろ


7:名無しの馬券オヤジ  ホープフルはハナ差だったけどな


8:名無しの馬券オヤジ  あれは展開だろ展開


9:名無しの馬券オヤジ  弥生賞の相手弱いって


10:名無しの馬券オヤジ  セプターブライトは弱くないだろ


11:名無しの馬券オヤジ  セプターはまだ良化途上


12:名無しの馬券オヤジ  イッテは完調だったしな


13:名無しの馬券オヤジ  それで1/2馬身か


14:名無しの馬券オヤジ  キングスなら3馬身はちぎってた


15:名無しの馬券オヤジ  またその話か


16:名無しの馬券オヤジ  ホープフルで負けてるのに3馬身は草


17:名無しの馬券オヤジ  ホープフルは仕掛けが遅れただけ


18:名無しの馬券オヤジ  負けは負けだろ


19:名無しの馬券オヤジ  中山2000ならキングス  府中2400ならイッテ


20:名無しの馬券オヤジ  これ


21:名無しの馬券オヤジ  逆だろ


22:名無しの馬券オヤジ  血統見ろよ  イッテの父は地味でも母系がスタミナ寄り


23:名無しの馬券オヤジ  父の産駒走ってないのに血統もクソもあるか


24:名無しの馬券オヤジ  走ってるのはイッテ自身だろ


25:名無しの馬券オヤジ  個体の能力だよなあ


26:名無しの馬券オヤジ  キングスは良血の申し子


27:名無しの馬券オヤジ  1億円が走ってる


28:名無しの馬券オヤジ  主取り300万が走ってる


29:名無しの馬券オヤジ  どっちが夢あるんだよ


30:名無しの馬券オヤジ  競馬は夢を見るもんだろ


31:名無しの馬券オヤジ  いや儲けろ


32:名無しの馬券オヤジ  皐月はキングス単勝でいい


33:名無しの馬券オヤジ  イッテ複勝で我慢


34:名無しの馬券オヤジ  馬連一点で勝負


35:名無しの馬券オヤジ  本命決められないやつは馬連


36:名無しの馬券オヤジ  3着に穴あけて3連複


37:名無しの馬券オヤジ  セプター3着でいいだろ


38:名無しの馬券オヤジ  3連単キングス→イッテ→セプターで確定


39:名無しの馬券オヤジ  その並びで買うと配当安そう


40:名無しの馬券オヤジ  主取りが皐月獲ったら伝説だろ


41:名無しの馬券オヤジ  サマーセールで300万だぞ


42:名無しの馬券オヤジ  誰も手挙げなかったんだよな


43:名無しの馬券オヤジ  鷹司ファームも素通りしたらしい


44:名無しの馬券オヤジ  あの玲司さんが?


45:名無しの馬券オヤジ  「ほどほどの牧場ですから」って言ったらしい


46:名無しの馬券オヤジ  うわ


47:名無しの馬券オヤジ  それは今思うと最高の嫌味だな


48:名無しの馬券オヤジ  今のイッテを見て何思ってんだろうな


49:名無しの馬券オヤジ  知らんがな


50:名無しの馬券オヤジ  でも鷹司はキングスいるからな


51:名無しの馬券オヤジ  自家生産でGⅠ狙えるんだから余裕だろ


52:名無しの馬券オヤジ  イッテに負けたら面白いけど


53:名無しの馬券オヤジ  座敷わらし、弥生賞も現地にいたらしいな


54:名無しの馬券オヤジ  中山のパドックで見たってツイート回ってた


55:名無しの馬券オヤジ  もう完全にルーティンだろ


56:名無しの馬券オヤジ  馬運車より先に着いてる説


57:名無しの馬券オヤジ  現地の空気を吸うだけでパドックの気配が読めるとか


58:名無しの馬券オヤジ  こわいこわいこわい


59:名無しの馬券オヤジ  でもあの歳で毎回あの落ち着きは何なんだよ


60:名無しの馬券オヤジ  目が据わってるらしいぞ


61:名無しの馬券オヤジ  大人しくて無表情なんだよな


62:名無しの馬券オヤジ  その無表情がいいんだよ


63:名無しの馬券オヤジ  信者は黙って単勝握れ


64:名無しの馬券オヤジ  もう皐月の単勝買ったわ


65:名無しの馬券オヤジ  まだオッズ出てねえだろ


66:名無しの馬券オヤジ  気分だよ気分


67:名無しの馬券オヤジ  座敷わらしが現地なら外せない


68:名無しの馬券オヤジ  皐月も来るんだろうな


69:名無しの馬券オヤジ  小6の遠足じゃねえんだから


70:名無しの馬券オヤジ  でもホープフルから全部現地だぞ


71:名無しの馬券オヤジ  親が連れてってるんだろ


72:名無しの馬券オヤジ  牧場の跡取り教育ってやつか


73:名無しの馬券オヤジ  教育であの空気は出ねえって


74:名無しの馬券オヤジ  まあでも皐月はキングスだろ


75:名無しの馬券オヤジ  ここまで来たら意地でもイッテだわ


76:名無しの馬券オヤジ  主取りが皐月獲ったら歴史が変わる


77:名無しの馬券オヤジ  主取りが皐月獲って見返す展開、競馬漫画でも怒られるぞ


78:名無しの馬券オヤジ  でも現実はそういうこと起きるからな


79:名無しの馬券オヤジ  だからやめられないんだよ


80:名無しの馬券オヤジ  でも皐月の週ってなんか毎年天気ぐずつかね?


81:名無しの馬券オヤジ  気が早えよ


◇


 肩がこる。ここ数年でいちばん肩がこる。


 仲介屋の男は冷えたジョッキの表面に指を這わせながら、そう思った。昼間はあたたかかったのに、夜になるとやっぱり日高は冷える。ストーブの灯油が焼ける匂いと、煙草の煙が混じって店の空気をゆっくり濁らせている。


「で、見たのか」


 向かいの席から同業者のひとりが身を乗り出した。焼酎の入ったコップを傾けながら、妙に楽しそうな顔をしている。


「何をだ」


 男は短く返して、枝豆をひとつつまんだ。冷たい。塩が指に残る。


「弥生賞」


 隣の男が言った。こいつはいつも声が大きい。酔うとさらに大きくなる。


「見たよ」


「見たのか」


「見たって言ってるだろ」


「で、どうだった」


 男は、しばらく黙った。答えたくなかった。答えたら、今夜のこの空気がもっと面倒な方向に転がっていくのが分かっていた。


「……強かったよ」


 声は、思ったより小さくなった。


「はっ」


 隣の男が、鼻で笑う。


「お前、あの馬の前で何秒立ってた?」


「3秒」


 男はジョッキを置いた。枝豆の塩が指に残ったまま、掌を軽く拭う。


「3秒って、お前……」


 隣の男が噴き出した。声が大きい。店の奥で焼き鳥をひっくり返していた店主が、ちらりとこちらを見た。


「正確には、3秒とちょっとだ」


「ちょっとって何だよ」


「カタログから顔を上げて、隣の札へ移るまでだ」


 1年半前のサマーセール。男は客の馬主に付き添って、買い手側の立場で会場にいた。栗毛の1歳馬が通路を歩いた。男はカタログから目を上げた。3秒。胴が詰まっている。それだけ見て、隣の札へ移った。


「で、何て言ったんだ」


「胴が詰まってる、と」


「それだけ?」


「それだけだ」


 向かいの男が箸を止めて、にやにやしながら身を寄せる。


「お前が今ごろ、その3秒を思い出してるのか」


「思い出してない」


「思い出してるじゃないか」


「弥生賞を見た後だからだ」


「言い訳が早い」


 隣の男が焼酎を一口含んで、けらけら笑った。


「3秒でGⅠ馬を見逃した男。いい肩書きだな」


「買い手側だ。売り手じゃない」


「分かってるよ。でも、お前の3秒は高すぎる」


 男は黙って枝豆をひとつ、口に入れた。冷えていた。


「なあ、聞いたか」


 向かいの男が、急に声を潜めた。酔いのせいで赤くなった顔を寄せて、周りを気にするような目つきで笑う。


「鷹司の代表が動いてるらしいぞ」


「鷹司って、玲司さんか」


「そう、あの銀縁眼鏡」


 隣の男が、途端にまともな顔になる。


「何を動いてるんだ」


「久世の繁殖を調べさせてるらしい。ハナコだけじゃない」


「あの鷹司が、あの小さな牧場を?」


「お前が3秒で素通りした馬の下だよ」


「だから買い手側だと言ってるだろ」


「お前が連れてった客もな」


 向かいの男がにやりと笑う。


「でもよ、あの玲司さんが人を入れて調べるって相当だぜ。買う気があるか、よっぽど気にしてるか」


「キングスレガリアの皐月の前に、敵情視察だろ」


「敵情視察で繁殖調べるか?」


「分からん。お前の3秒が招いた戦争かもしれないな」


 男は黙ってジョッキを傾けた。ビールがもうぬるい。


「俺はカタログを見てただけだ。目の前にいる馬の値段と、客の予算と、あのときの空気を考えたら3秒で十分だった」


「十分だった結果がGⅠ馬だ」


「結果論だ」


「競馬に結果論以外の何があるんだよ」


 隣の男が腹を揺らして笑った。店のストーブが、ごう、と音を立てて燃える。


「それで、お前はまだ自分が悪くないと言い張るのか」


「悪くない」


 男は言い切った。枝豆の皿には、殻ばかりが残っていた。


 居酒屋の空気が少しだけ湿っぽくなった。ストーブの火がごう、と鳴る。焼き鳥の煙がゆっくりと天井へ昇っていく。


「……歩様は良かったんだよ」


 仲介屋の男は、ジョッキに残ったぬるいビールを見つめたまま言った。


「父が地味すぎて、手が挙がらなかった」


 向かいの男が笑うのをやめた。隣の男も、箸を置いた。焼酎のコップを傾けかけた手が止まる。店の奥で、店主が焼き台を拭く音だけがしゃっ、しゃっと続いていた。


「お前がか」


「俺が、だ」


 男は顔を上げなかった。枝豆の殻をひとつ、指先でつまんで皿の端に寄せる。


「カタログの数字と、売り場の空気と連れてった客の予算。あの場で手を挙げる理由はなかった」


「でも今は」


「今は、結果が出てる」


 男はジョッキを置いて、立ち上がった。椅子が床を擦った。


「悪い、先に出る」


「おい、もう一杯くらい」


「明日も朝から馬を見るんだ」


 財布から札を何枚か抜いてカウンターに置く。店の外へ出ると、冷えた空気が首のあたりにまとわりついた。吐く息が白い。駐車場の砂利が、靴の下でじゃりと鳴った。


 男は店の軒先に立って、スマホを取り出した。画面の明かりが指先を白く照らす。検索窓に文字を打つ。


「久世牧場」


 変換候補の下に電話番号が表示される。市外局番は、ここからそう遠くない。


 男はその番号を、しばらく見つめた。親指はまだ画面に触れていない。夜の風が、居酒屋の暖気を背中から奪っていく。


 スマホの画面にはただ、番号だけが並んでいた。


 居間のストーブが腹の底でごうごうと唸っていた。風呂上がりの俺は、こたつに足を突っ込んで宿題のドリルを開いたふりをしていた。実際は、日曜の夜に美浦の馬房で聞いた「謝ってたって」の一言が、まだ頭のなかで渦を巻いている。


 机の上の電話が鳴った。久世牧場の番号は、夜でも容赦なく鳴る。


 母さんが台所から出てきて、濡れた手をエプロンで拭きながら受話器を取った。


「はい、久世牧場でございます」


 母さんの声が、一瞬で営業用になった。俺はドリルを見たまま、耳だけをそちらに向ける。


「ああ、いつもお世話になっております。……ええ。……ええ」


 相手の名を、母さんは復唱しなかった。復唱しないときの母さんは、だいたい警戒している。


「……はい。ハナコのお腹の仔ですね。春に生まれる予定の」


 こたつの中で、俺の足が止まった。ハナコのお腹。まだ生まれてもいない仔の話だ。


 母さんの背中が、少しだけ伸びた。


「恐れ入りますが、ハナコの今年の仔は売りません」


 丁寧だった。丁寧なのに、句点のあとに余白がなかった。続く言葉を、相手が挟む隙間がなかった。


「……ええ。理由はいくつかございます。……いいえ、価格の問題ではございません。……はい、はい。……そう仰られても、お気持ちはありがたいのですが」


 母さんは片手で受話器を押さえ、もう片方の手でこたつの上のメモ用紙を引き寄せた。何か書きつける。数字じゃなくて、名前のようだった。


「……ええ。サマーセールのときのことは、うちも覚えております。……いいえ、恨み言ではございません。ただ、うちはうちで仔を出す相手を選びたいんです」


 ストーブが、ごう、と鳴る。


「……はい。……はい。……では、失礼いたします」


 かちゃり、と受話器が戻った。母さんは振り返らない。メモを二つ折りにして、エプロンのポケットに押し込んだ。


「誰」


 俺が聞くと、母さんはようやくこちらを見た。


「日高の仲介の人。サマーセールでカミノイッテを見てたって」


 母さんは少し笑ってそれからストーブの前にしゃがみ、鉄瓶の湯気を手で払った。


「あの人、今年の仔を買いたいって。生まれる前に」


「で、断った」


「当たり前でしょ」


 母さんの声は、帳簿をつけるときと同じ速さだった。俺はドリルの隅に、鉛筆で小さく丸を描いた。


 断る理由を、あの人はたぶん「感情」だと思ってる。でも母さんにとっては、これはただの決裁だ。


◇


 4月の夜は、ストーブの火を落とすと少し肌寒い。俺はこたつに入ったまま、母さんのスマホを借りて週間予報を開いた。日曜の欄に傘の絵。千葉は土曜から雨。


 皐月賞は日曜。中山の芝はたぶん稍重か、もっと悪けりゃ重だ。


「……あ」


 俺は思わず声を漏らした。こたつの向かいで帳簿を閉じていた母さんが顔を上げる。


「どうしたの」


「なんでもない。ちょっと、思い出しただけ」


 俺はスマホを返して、こたつに顎まで沈んだ。


 源さんは、泥が嫌いだ。


 忘れもしない。源さんがまだ1歳だった春、雨の翌朝の門の前。同い年の連中はぬかるみを平気で突っ切って、泥を跳ね散らかしながら走り回っていた。源さんだけが、ぬかるみの縁を大回りしてきれいな地面だけを選んで歩いていた。あの小さい頃から、あの馬はそういうやつなのだ。


 こたつの中で俺はもう一度、美浦の馬房で聞いた低い声を思い出していた。


――皐月を勝ったら、あいつに言ってくれ。俺が、謝ってたって。


 あのときの源さんは、勝った直後だというのに妙に静かだった。まるで、ずっと前から決めていたことをようやく口にしたみたいに。


 その「皐月」に、よりにもよって雨が重なる。


 泥を避けて歩くあの馬が。ぬかるみを大回りするあの馬が。よりによって、一番の条件付きの日に。


 母さんは何も知らず鉄瓶の湯を茶碗に注いでいる。俺は黙って、その湯気を眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。